1366 ハルマゲドン(22)
ファーンは、ドーラが懐から取り出した黒い球を鋭い目で睨んだまま動かない。
いや、動けなかった。
ドーラは嘲笑いながらも、油断なくファーンの様子を見ているからだ。
「どうじゃ、懐かしかろう? 『魔の球』ぞえ。前回は悪運強く聖地シンガリアの近くに落ちたらしいが、今度はどうかのう。遥かに遠いおぬしの故郷、マオール帝国かもしれぬな。いや、それとも、腐死者しかおらぬ北方はどうじゃ? おぬしの父同様、不死身の機械人間に生まれ変われるかもしれぬぞ」
ドーラの挑発に、ファーンは奥歯を噛んで耐えた。
縛られたままであったことが悔やまれた。
不意を衝かれた前回と違い、『魔の球』であることさえ認識できていれば、ファーンなら強制転送される前に逃げ切れるだろう。
が、縛られた状態から抜け出すには、ホンの数瞬だが時間を要する。
その僅かの手間が、今は生命取りになるのだ。
死なないまでも、見も知らぬ土地へ飛ばされている間に、ガブリエルたちが処刑されてしまう。
ドーラもそれを充分に承知しているから、捕らえた獲物を甚振るように北叟笑んでいる。
「ほほう。観念したようじゃな。ならば、一言約束してくりゃれ。わたしと共にヤーマンを倒す、とな」
あからさまな言霊縛りであった。
うっかり応えてしまえば、たとえこの場は凌げても、その命令に逆らえなくなる。
かといって、下手に動いて『魔の球』で飛ばされれば、自分が死ぬことは構わないとしても、ガブリエルたちだけでなく、結果的にガルマニア国内の仲間全員を見殺しにすることになる。
方法は一つしかなかった。
言霊縛りを受け入れてガブリエルたちを救けた後、全てを兄弟子ヨルムに伝えて事後を委ね、自らの生命を絶つしかない。
ファーンが覚悟を決めて口を開こうとした、将にその時。
二人のいる馬車の外で「何者だ!」という大きな声がした。
大声を出したのは、またしても禁教隊の赤毛の大男のようだ。
馬車が止まり、睨み合うドーラとファーンも互いに少しでも隙を見せぬよう、動かずに外の様子に耳をすました。
と、場違いに丁寧な返答が聞こえた。
「何者かとのお尋ねですので、お答えさせていただきます。わたくしは、バロード連合王国にて統領の任に就いておりますクジュケと申す者。以後どうぞお見知りおきを」
ドーラに対しては強気に出た大男も、外国の首脳と聞いて、やや言葉を改めた。
「これは失敬した。が、バロードのお方がわれら禁教隊に何の御用かな?」
「ほう。禁教隊とは初耳ですな。それはつまり、プシュケー教徒を取り締まる軍隊、という意味でしょうか?」
「如何にも左様。わが国ではプシュケー教は禁じられておるのです。よって、あなたには関係ござらぬ。さあ、そこをどいてくだされ」
「いやいや、そうは参りません。あなた方が捕らえた女人に用があるのです」
大男が鼻で笑った。
「先程の婆さんといい、皆この女と話したがるな。ああ、失礼。が、あなたがバロードでどんな地位にあろうが、われらには関係ないこと。取り調べが済むまで、囚人を部外者に会わせることはできぬ。どうしてもと言われるなら、きちんと筋を通し、わが主コロクス筆頭補佐官閣下に申し出……うっ!」
大男が言葉を詰まらせた理由はすぐにわかった。
「コロクスにゃあ、わしから言うとくだで、クジュケどのの言うとおりにしてちょ。それとも、大統領のわしの頼みより、コロクスの狒々親爺の命令の方が大事かや?」
「め、滅相もございません! どうぞこちらへ!」
バタバタと人が馬から下りて来る足音を聞きながら、馬車の中のドーラは溜め息を吐いた。
「とんだ邪魔が入ったようじゃ。わたしも今はヤーマンに仕える身。ここで鉢合わせは困る。が、証拠は残さぬから、おぬしが何を訴えようが、知らぬ存ぜぬで通すぞえ」
ファーンは油断なく身構えたまま、「別に言うつもりもないが」と返した。
「少しでもそれを恩に着てくれるなら、ガブリエルたちが収監されている牢に張り付かせているという東方魔道師たちも、連れて帰ってくれ」
「勿論じゃ。証拠は残さぬと言うたろう?」
ドーラは『魔の球』を懐にしまうと、その場から跳躍した。
直後、ファーンが入れられている檻に被せてある布がバサッと剥がされ、外の光が差し込んだ。
眩しさに目を細めて見ると、馬車の高さに浮身している魔道師姿のクジュケと、馬に乗った小柄な男が見えた。
男は皺深い顔に埋まりそうになるほど目を細めてファーンを見ている。
「ほう。なかなかの美人じゃの。プシュケー教団の人間でにゃあなら、わしの後妻にしてもいいくらいだぎゃ」
横に浮いているクジュケが苦笑した。
「お戯れを。美しい薔薇には棘がありますよ、ヤーマン閣下」
「知っちょるよ。かつての暗殺者タンファンの名は、旧ガルマニア帝国軍に轟いておっただに。が、今は改心して敬虔なプシュケー教徒らしいの。橋渡し役にはちょうどええだがや」
男がヤーマンであることはファーンにもわかったが、禁教を命じた張本人にしては様子が変であった。
ファーンの訝しげな表情を見て取り、クジュケが微笑みながら説明した。
「ウルスラ陛下とじっくり話す時間はありませんでしたが、お手紙であなたとの約束は知っていました。そこで、ガルマニア合州国との和親条約を結ぶに当たり、ヤーマン閣下にそのお話をさせていただいたのです。閣下としても、プシュケー教団と事を構えるより、双方の利益になる途があるなら考えてみてもよい、とのことでございます」
ファーンの愁眉が開いた。
「おお、有難い。ならば、囚われている仲間も解放してくださるのですね」
が、ヤーマンの表情が一変した。
「うんにゃ、それはできにゃあでよ」




