1363 ハルマゲドン(19)
大公宮を出たウルスラは一人でスカンポ河の河原に来た。
勿論ニノフは警備の兵をつけることを申し出たのだが、ウルスラが断ったのだ。
逆に警備兵が危険に晒されても護ってやる余裕がないとの理由だが、それ以外の事情もあった。
ウルスラは周囲に人がいないことを確認すると、自分自身に向かって問うた。
「やっぱり、脱いだ方がいいかしら?」
と、喉の辺りから抑揚のない声が答えた。
「……どちらでもお好きなように。但し、水中で変身されるようでしたら、衣服はない方がいいでしょう」
「そうね。あ、じゃあ、魚みたいな鱗で身体を覆ってよ」
「……畏まりました。ですが、両手は自由に使える状態がよろしいかと思いますので、下半身の部分を魚類形態にいたしましょう」
「うーん、仕方ないわね。水に入ったら、そうしてちょうだい」
「……了解しました。尚、水中での会話が可能になるよう、言語中枢に直接接触しますので、何かお尋ねの際は、声を出さずに言葉を発するつもりでお話しください」
「難しいこと言うのね。まあ、やってみるけど」
ウルスラは再度左右を確認すると手早く服を脱ぎ、一気に河へ飛び込んだ。
ほぼ同時に下半身が鱗に覆われた尾鰭のように変わり、見た目は人魚のようである。
スカンポ河は大河の割に透明度が高いため、河底を埋め尽くす真っ赤なザリガニが良く見える。
『うわっ、気持ち悪っ』
思わず心の中で叫んだのだが、すぐに返事があった。
『……この生物以外に生き物が棲めないため、水が濁らないのです。貪食で繁殖力も強く、常に飢餓状態にあります。最近は歩く死者が河に来ないので、共喰いを繰り返していると思われます』
『それ以上言わないで。あ、でも、腐死者に効く薬を作るためには、わたしがガンクを食べないといけないのよね?』
『……色々と誤解されているようですが、非位相病素は通常のウイルスではありませんし、その人工抗原も一般的なワクチンとは異なり、空中散布でも効果があります。また、原料となる蛋白質についても、この生物でなければならないという訳ではなく、あくまでも製造の手間を省くためです』
『うーん、よくわからないけど、じゃあ、ガンク以外のものを食べてもいい、ってこと?』
『……この生物の場合も食べるのではありません。生きたまま捕獲して殻を外し、細胞を壊さぬよう擂り潰して培養します。よって、百匹程度で充分です』
『百匹程度って、そんなに食べられないわ。おえっ』
生理的嫌悪感から空えずきするウルスラに、抑揚のない声も、次第に宥めるような調子になって来た。
『……何度も申しますが、食べるのではなく、体内に取り込むだけです。味覚検知器を通しませんから、味も感じません。それでもお口を使用するのがお嫌なら、手を伸ばしてください。そこから取り込みましょう』
『わかったわ』
ウルスラが両手をスルスルと伸ばして河底に近づけると、獲物が来たと勘違いしたガンクたちがザワザワと寄って来た。
『いやっ』
ウルスラはあまりの気味悪さに、目を瞑って顔を背けた。
その間に両手はタコかイカのように変形し、近づくガンクをクネクネした触手のようになった指でガバッと掴んだ。
目を開けていてもウルスラの頭の位置からは見えなかったであろうが、掌の中央には凶暴そうな牙がビッシリ生えた円形の口が開き、捕らえたガンクを頭からバリバリと噛み砕き呑み込んだ。
直後、赤い塊を吐き出したが、それは不要な殻の部分のようであった。
忽ちガンクは恐慌状態になって逃げ始めたが、凶暴な両手は容赦なく追いかけ、次々と喰らいついて行った。
目を瞑っていても異様な音は響いて来るため、両手が使えないウルスラは耳たぶを変形させて両耳を塞いだ。
どれくらいそうしていたのか、抑揚のない声が報告して来た。
『……当座必要な量を確保しました。直ちにワクチンの製造に取り掛かります。最終的に精製するまで、三日ほど要すると思います』
恐る恐る目を開けると、何事もなかったように河底は再びガンクで埋まっていた。
『そう。なるべく急いでちょうだい。じゃあ、一旦戻りましょう』
『……了解』
その頃、クジュケの後を追うようにハリスのガーコ州を離れたファーンは、懐かしいバスティル村に到着していた。
が、その表情は冴えない。
「村人の顔が暗いな。コソコソとわたしの視線を避けるように逃げて行く。胸騒ぎがする。もしや……」
そう独り言ちると、鍛冶屋のガブリエルの家を目指して脚を速めた。
「ああっ!」
思わず絶望の声を上げたファーンの目の前に、無残に打ち毀されたガブリエルの家があった。
近くに人影もなく、ガブリエル本人も、弟のミハエルも、どうなったのかわからない。
と、ファーンの表情が変わった。
集中するように、半眼に目を閉じた。
「来るぞ。馬蹄の轟きが聞こえる。ふむ。十騎以上いそうだ。おお、そうか。村人に密告されたのだな。何たることか! ……ああ、いや、責めまい。かれらも犠牲者だ」
すぐに地響きのような馬の脚音が近づいて来た。
十三騎の騎兵がファーンの行く手を遮るように止まった。
その中央の厳つい赤毛の大男が剣を振り翳し、蛮声を張り上げた。
「住民より訴えがあった! その方、ご禁制のプシュケー教徒だな! 大人しく縛につけ!」




