1362 ハルマゲドン(18)
さすがに魔道師の恰好という訳にもいかず、クジュケは略式礼装に着替えさせてもらってから、大統領ヤーマンの謁見の間に入った。
ところが一段高い位置にある椅子には誰も座っていない。
「ほう。後から出て来るつもりか」
やや不快そうに呟いたのは、完全に格下の扱いだと思ったからである。
ところが、部屋の奥の小さな扉がパッと開くと、「おお、待たせてすまんのう」と言いながら、小柄な男がひょっこり出て来た。
「え?」
クジュケが驚いたのは、男が農作業をするような野良着を着ており、膝の辺りには泥さえ付いていたからだ。
が、その皺深い猿を思わせる顔には、満面の笑みが浮かんでいる。
「官邸の中庭で野菜を育てておっての、おみゃあにも喰わせようと、収穫しちょったがや。良けりゃ、ここから台所に来てちょうよ」
「はあ」
茫然としているクジュケに、男の顔が引き締まった。
「何ボーッとしちょる! わしゃヤーマンだで。わしと話しとうて来たんじゃにゃあか?」
「あっ、はい」
完全に気を呑まれてしまい、クジュケはヤーマンの後について行った。
小さな扉の奥は狭い通路となっており、一瞬、罠に掛かったかと危惧したが、それを見透かしたように前を歩くヤーマンが話し出した。
「別に怖がることはにゃあ。この通路と台所は特別に結界が張ってあるだぎゃ。盗み聞きされんよう用心しちょるんじゃ」
「へえ」
間の抜けた声を出したものの、クジュケは一応警戒しつつヤーマンの後に従った。
通路は然程長くはなく、入口と同じような小さな扉を開くと、そこは厨房のようであった。
竈には鍋がかけられており、コトコトと煮える音と共に旨そうな匂いが漂っている。
その横には、手足の長い痩せた少女がいた。
顔がヤーマンにそっくりであった。
一人娘のヤンであろう。
「お父、猪汁はもうできちょる。今すぐ喰うかや?」
ヤーマンの皺深い顔が綻んだ。
「おお、そのつもりだぎゃ。客人の分もよそってちょ」
「あ、いえ、わたくしは」
遠慮しようとするクジュケを、ヤーマンの黒目勝ちの目が、ギロリと睨んだ。
「心配せんでも、毒なんぞ入っとりゃあせん。それとも、わしの娘の料理じゃ喰えんとでも言うかや?」
「いいえ、いただきます!」
クジュケは覚悟を決めたように答えた。
ヤーマンは悪戯っぽく「そんな悲壮な顔せんでちょう」と笑った。
汁物を木の椀二つによそった娘のヤンが気を利かせて席を外すと、ヤーマンは自ら一つを手に取った。
「これがわしらのやり方での。肚の探り合いが面倒な時にゃあ、一緒にうみゃあもんを喰うのが近道だで。さあ、遠慮なんぞせんで、腹一杯喰うてちょ」
「はい、喜んで」
半ば社交辞令でそう言ったが、椀によそわれた汁物は肉と野菜の具沢山で、今まで味わったことがないほど旨かった。
「おお、美味しいですねえ」
「じゃろ? 娘の一番の得意料理だで。死んだ母ちゃんが教えてくれたんじゃ」
薄っすら目を潤ませて言うヤーマンに、クジュケは急速に親しみを感じる自分に驚いた。
それがわかったのか、ヤーマンは照れたように笑いながらも、ズケリと告げた。
「話っちゅうのは、ドーラの婆さんのことじゃろう?」
クジュケはハッとしたが、瞬間的に決断し、凡その経緯を包み隠さず語った。
聞き終わったヤーマンは、暫く黙って考えていたが、「ええよ」と軽く頷いた。
「できる限り、婆さんを牽制しちゃる。が、何ちゅうても魔女だぎゃ。完全に国外に出さんとまでは約束できにゃあでよ。それでもええかや?」
「勿論です。逆にわたくしどもも、ドーラさまを討ち取るとまでは約束できません」
「ほう? そこまで考えちょるのか?」
ヤーマンが驚くのも無理はない。
如何に敵対しようと、ドーラはウルスラ女王たちの実の祖母であり、同時にバロード建国の英雄であるアルゴドラス聖王でもあるからだ。
クジュケは表情を改めて告げた。
「女王陛下は、そこまでのお覚悟を固められております。が、それは難しいでしょう。今は何を措いても、白魔の完全復活を止めるのが最優先かと」
「そうじゃの。わしも生き腐れになるのは真っ平御免だぎゃ」
ヤーマンでさえドゥルブの脅威を過小評価していることに、クジュケは苦言を呈すべきか迷ったが、結局止めにした。
自分でさえその全貌を理解しているとは言えないからだ。
大きく息を吐くと、「よろしくお願いいたします」とだけ告げ、椀の残りを平らげた。
その頃、北方の偵察から戻ったウルスラは、兄のニノフと対応を話し合っていた。
「ふーむ。あの極光がそういう役目とは。しかし、そこを突破せねば、中和も無理ですね」
突如ドーラが訪れた動揺が去り、臣下としての物言いに戻ったニノフに、ウルスラも一々逆らうことは止め、自分は普通に妹として話した。
「そうなの。ゾイアの身体に聞いてみたけど、今のところ有効な手段はないみたい。それで取り敢えずは、別のことを始めることにするわ」
「別のこと、と言いますと?」
ウルスラは泣き笑いのような顔になった。
「ザリガニよ」




