1361 ハルマゲドン(17)
ここは、ガルマニア合州国パシントン特別区の大統領官邸。
内乱後のゴタゴタもやっと落ち着き、官邸内の執務室で通常の政務に専念しているヤーマンのところへ、筆頭補佐官のコロクスがやって来た。
狒々に似た顔に、意味不明のニヤニヤ笑いを浮かべている。
「お忙しいところすまにゃあですがの、ちょびっとお客が来とるで、通してもええですかいのう?」
ヤーマンは見ていた書類から目も上げず、逆に問い返した。
「誰だぎゃ?」
「へえ。バロード連合王国の統領で、クジュケっちゅう魔道師だで」
「ほう?」
ヤーマンは漸く顔を上げ、普段は皺に埋まっているような目を、カッと見開いた。
白目の部分が殆どなく、猿を思わせるような目である。
「クジュケか。忙しいちゅうて、わしの婚礼にも来んかった男が、今更何の用かや?」
コロクスは、自分が詰問されているかのように少し後退りながら説明した。
「その婚礼に出席した王と女王のお礼じゃあ言うちょります。まあ、そりゃあ建前でしょうがの、併せて和親条約の下話をしてえんじゃとか」
「ふーむ」
ヤーマンは首を傾げ、癖のある短い髪の生えた頭をポリポリと掻いた。
「わからんのう。確り者の女王から、謀叛の顛末は聞いちょうるじゃろうから、わしらの国が今、外に目え向けるような余裕はにゃあとは知っとるはず。それを敢えて向こうから誼を通じたいちゅうのんは、こりゃあ何かあるでよ」
「何ですかいのう?」
暢気な声で尋ねるコロクスに、ヤーマンは表情を一変させて怒鳴った。
「ど阿呆! それを考えるのが、おみゃあの仕事でにゃあか! オーネを嫁に貰うて、ちいと色呆けしとりゃあせんか!」
コロクスは顔色を変え、床に手を着いて這い蹲った。
「とんでもにゃあです! わしゃあ元々盆暗頭だで、閣下みてえにパッ、パッとは思いつかにゃあだけだがや」
ヤーマンは鼻を鳴らした。
「まあ、ええ。だいたいはわかっちょる。バロードがわしの国に用があるとすりゃあ、ドーラのことに決っちょる。またぞろあの婆さんが、いらんちょっかい掛けちょるんじゃろ。おえりゃあせんのう」
コロクスはガバッと顔を上げた。
「おお、確かにそうじゃがね。さあすがに大将は頭が」
ヤーマンは煩そうに手を振って遮った。
「もう、ええ。お世辞なんぞ言う暇があったら、考えてちょう。今、わしがクジュケに会うのは、得かの? それとも、損かの?」
コロクスは、また意味不明な笑顔になって黙った。
長年の経験で、ヤーマンの問いに迂闊な答えを言うより、待っていればいいとわかっているのだ。
案の定、ヤーマンは自答し始めた。
そりゃあ、得に決まっとるがや。
今のわしの国は、作り始めたばっかりのチーズみてえなもんだで。
ちょっとでも揺さぶられりゃあ、グズグズに崩れてまうでよ。
そん中でも、一番の不安定要素がドーラの婆さんじゃあちゅうのんは、子供でもわかることだぎゃ。
せんだってのロッシュの乱に絡めて多少は領土と兵力を削ったものの、めげずに蔭でコソコソやっちょるのはお見通しだで。
が、困ったことに、力で抑えつけるにゃあ、まだまだわしの方の戦力が足らんわ。
ハリスは言えば協力するじゃろうが、ゲーリッヒの小僧は今一つ肚が読めにゃあでよ。
と、なりゃあ、他人の力を借りるしかにゃあ。
それも寧ろ、こっちが恩を着せてやりゃあええ。
態々わしんとこに来たちゅうことは、向こうも尻に火が点いとるんじゃろう。
理由?
知らんわ。
まあ、大方ドーラの婆さんが河向うの腐死者を渡らせて嫌がらせしとるとか、そげなことだぎゃ。
が、わしゃあ知らんふりして、別に仲良うせんでもええが、そこまで言うなら和親条約でも、通商条約でも、何なら軍事同盟でも締結してやってもええと返答する。
いやいや、本気なわけがにゃあじゃろ。
してもええ、とだけ言うて、締結は何じゃかじゃで引き延ばす。
要は、ドーラの動きを牽制してもらいさえすりゃええ。
その間に国内の体制を固めて、ドーラの自由にさせにゃあように縛り上げるだぎゃ。
まあ、クジュケっちゅうのんは喰えにゃあ男らしいで、それぐらいは読んじょるじゃろ。
まあ、取引は互いに得がにゃあでは成立せんから、そこら辺が落としどころだで。
わかったら、あんまりへりくだらず、かといって傲慢にはならず、そこそこの礼儀で通してちょう。
聞き終わったコロクスは、自分の想定どおりの答えだったらしく、満足そうな笑顔になって「へへえーっ」と叩頭した。
しかし、同じころ自分の嫁オーネがドーラと密談しているとは、知る由もなかった。
一方、あからさまに自分が表に出ない方がいいだろうと、間接的にクジュケをヤーマンに取り次いだハリスの許へ、別れを告げに来た人物がいた。
「くれぐれもゲオグスト商人組合の人たちを頼む」
深々と頭を下げたのは、プシュケー教団のファーンであった。
かつてタンファンとして暗躍していたが、今は亡き教主サンサルスの薫陶を受け、今では新教主となった兄弟子ヨルムを支える存在となっている。
ウルスたち一行の帰路に同行していたが、かつてマインドルフ一世によってゲオグストを追われ、行き場を失くした商人たちを、ハリスに託すために別行動をとっていた。
自然と話の流れはバロードのことになり、ハリスはクジュケが来ていること、ドーラとの経緯などを話した。
ファーンは思わず「昔のわたしならドーラを殺るが」と呟き、苦笑して首を振った。
「すまぬ。聞かなかったことにしてくれ。また兄弟子に叱られる」
「おお、無論だ。して、直接、聖地シンガリアへ、戻るのか?」
「いや。せっかくだから一度バスティル村へ寄って行く」
「そうか。今は、ドーラの領土、ではないが、充分に、気をつけて、くれ」
「ああ、そうする。世話になったな」
出口まで見送ったハリスは、「何も、なければ、良いが」と独り言ちた。




