1345 ハルマゲドン(1)
幸いなことにウルスたちが乗っていた船からは一人の犠牲者も出ず、また、ウルスラの裸体を目撃したのもウルスとラミアンだけで、それもホンの一瞬で済んだ。
「変身のたびに裸になるのは、本当に不便だわ」
服を着ながら不満を漏らすウルスラに、背中を向けたままのラミアンが余計なことを言った。
「あ、でも、お綺麗でしたよ」
途端、ウルスラにキュッと背中を抓られて、ラミアンは「痛てっ、すみません」と謝った。
さすがに同体の弟であるウルスは、別のことを気にしていた。
「ラミアンの生命を救うためとはいえ、黄金城から託された腐死者をやっつける薬を、全部使っちゃって良かったのかなあ」
ラミアンが今度は自分に謝ろうとするのを、ウルスが慌てて止めた。
「あ、違うんだ。ラミアンはぼくを援けようとしてくれただけで、謝るべきはぼくの方さ。そうじゃなくて、ぼくが心配してるのは、今後のンザビ対策さ」
と、ウルスラの喉から抑揚のない声が響いた。
「……人工抗原の分子構造は解析済みです。時間と材料さえあれば、再生産できます。今から始めますか?」
ウルスラ本人が質問した。
「材料って何?」
「……動物性蛋白質です。なるべく原型に近いものが良いので、ザリガニと呼ばれる甲殻類が手に入れば、それが一番です」
ウルスラは少し考えてから、首を振った。
「申し訳ないけど、もっと切迫した状況になった時にお願いするわ。さすがにガンクを食べるのは、ちょっと抵抗があるから」
「……了解」
と、早くも立ち直ったラミアンが、自説を話し出した。
「本来、吸血性の飛翔動物であるコウモリが、積極的にンザビに近づくとは考えられません。報告されている例では、死肉食のハゲワシが誤ってンザビの肉を喰ったらしく、ンザビ化して飛来したところを捕獲、焼却処分されたことがありました。似たようなことは二三あったかもしれませんが、今回のことはあまりにも異常です」
ウルスラも同じ疑問を持っていたらしく、頷いた。
「そうね。今回は偶々わたしが居合わせたから良かったけど、また同じようなことが起きる可能性はあるわ。スカンポ河全域に非常警戒を通達しなきゃ」
ウルスラは、最早身分を隠している場合ではないと判断し、船長に状況を説明して最寄りの河湊に停泊してもらい、安全が確認できるまで出航を見合わせるように命じた。
その湊はアーロン辺境伯の施政下にあったため、担当の役人を通じて連絡を入れると、すぐに本人が馬で駆けつけて来た。
「おお、ご無事でしたか! ん、こ、これは……」
既に下船して湊近くの馬車道に並んで立っていたウルスとウルスラを見て、一瞬戸惑ったアーロンだったが、辺境で共に戦った日々を思い出したのか、即座に真相に気づいた。
「お一人は、ゾイアどののお身体ですね?」
代表してウルスラが「ええ、そうよ。わたしの方」と答えた。
「でも、ゆっくり説明している時間がないの」
「はい、存じ上げています。わたくしの方にも、東岸側の目撃者から今回の事件の報告が参りました。早速、丁度バロードから来ていた連絡役のシャンロウ秘書官にお願いし、エオス大公国に跳躍してもらいました。今頃はエオス河軍の監視船が厳戒態勢をとっているはずです」
「ありがとう。それじゃ、これからわたしたちもニノフ兄さまのところへリープして、対策会議に加わることにするわ」
アーロンは生真面目な顔で溜め息を吐いた。
「このような場合に申し上げるべきではないのでしょうが、せっかく両陛下にお立ち寄りいただいたのですから、わたくしの新辺境伯領の目醒ましい発展ぶりをお見せしたかったのですが……」
すると、ウルスが目を輝かせて「それなら、ぼくが残るよ」と宣言した。
「だって、二人を連れてリープするより、ラミアンだけの方が姉さんの負担も軽くなるし、こっちはこっちで誰か居た方がいいよ」
二人の後ろに控えていたラミアンが「あ、じゃ、ぼくも」と言いかけるのを、ウルスラが遮った。
「あなたは駄目よ。シャンロウが飛び回っている上に、この後クジュケにも動いてもらうことになるでしょうから、あなたに通常業務を引き継いでもらわないと。ここからバロードに直帰してちょうだい」
ラミアンが何か応える前に、近くの空中にポッと光る点が現れ、小太りの魔道師が姿を見せた。
今しもウルスラが名前を挙げたシャンロウであった。
「ああ、見つかって良かっただよ。おらたち、急に目が回るほど忙しくなっただに、ラミアンさんをすぐに連れて帰れと、クジュケさんがやいのやいの言ってるだあよ。あ、申し遅れただ。両陛下、お帰りなせえまし。さ、ラミアンさん、行くだよ」
「でも」
「ごちゃごちゃ言わねえで、行くだ!」
「あっ」
シャンロウは半ば強引にラミアンを連れて行った。
横で唖然としているウルスに、ウルスラが釘を刺した。
「わたしもすぐにリープするけど、あなたを残していくのは、今後どういう風に事態が変わるかわからないからよ。最悪、わたしに万一のことがあっても、あなたが生き残れるようにと思ったの。その覚悟を持って残るのよ。自分の興味は、一時棚上げにしてね。いい?」
初めて事態の深刻さが身に沁みたのか、ウルスは震える唇をキッと結んで答えた。
「はい、姉さん。充分に気をつけてね」
「ええ、わかってるわ」
ウルスラは、アーロンに向き直った。
「弟をよろしくお願いします」
アーロンは少し目を潤ませて「はっ。わが生命に替えましても!」と自分の胸を叩いた。
ウルスラは静かに頭を下げると、その場からリープした。




