1344 遥かなる帰路(73)
ウルスたち三人は、西廻り航路の客船に乗り込み、スカンポ河の河口から遡上し始めたところで、腐死者化したコウモリの大群に遭遇した。
恐慌状態に陥った船内で、甲板に取り残された数名のうちにウルスとウルスラもいた。
気も動顛するウルスの横で、ゾイアの身体にいるウルスラの動きが止まり、喉の辺りから抑揚のない声が警告を発した。
「……非位相病素に感染した生物が多数接近中。直ちに避難してください。繰り返します……」
と、半開きのまま固まっていたウルスラの口が動いた。
「駄目よ! 逃げずに戦わなくては!」
抑揚のない声がそれに応えた。
「……了解。戦闘態勢に移行します……」
質素な旅装に身を包んでいたウルスラの身体が、スルリと白い大蛇のように襟首から抜け出ると、白鳥のような大きな白い翼が生え出て、そのまま飛翔した。
しかし、その体表は鳥の羽根ではなく、透明な鱗で覆われているようだ。
その間にも、ンザビ化したノスフェルは徐々に近づいて来ている。
「……攻撃を指示してください……」
ウルスラは一瞬迷ったようだが、鳥の頭部のように変形した口から、ややくぐもった声で命じた。
「焼き尽くしなさい!」
「……ラジャー!」
ウルスラ自身は、魔道の火術を想定したのだろうが、白い鳥の表面全てが炎に包まれ、火の鳥のような姿となった。
そのまま燃える翼をはためかせ、ノスフェルの群れに自ら突っ込んだ。
その劫火に触れたノスフェルは、次々と燃え上がって行く。
更に、口をカッと開くと、大量の火焔を噴射し、逃れようと飛び回るノスフェルを炎の舌で舐め取るように焼いた。
それでも擦り抜けた数羽が船上に向かったが、フェニックスの姿に勇気づけられた船員たちが火箭を射掛け、一匹ずつ仕留めて行った。
と、その火箭が当たり損なった一匹が、フラフラとよろめくような飛び方で、甲板へ飛んで来た。
その真正面に、姉の活躍を見つめながら茫然と立っているウルスが居たのである。
「危ない!」
叫んだのはウルスではなかった。
一足先に船室へ逃げ込んだものの、自分が護るべき王と女王がついて来ていないことに気づき、戻って来たラミアンであった。
立ち尽くすウルスに向かって、身体が半分腐っているようなノスフェルが接近しているのを見て、思わず叫んだのと同時に、身を挺して覆い被さっていた。
咄嗟のことで一瞬何が起きたかわからなかったウルスも、すぐに事の重大さに気づき、声を限りに助けを呼んだ。
「姉さーんっ! ラミアンが、ラミアンがーっ!」
その時にはもうウルスラも異変に気が付いており、フェニックスの形態のまま大きく旋回して甲板に近づきつつあった。
「何とかしてちょうだい!」
くぐもった声で命じるウルスラに応じ、フェニックスの両目から細い二本の光線が放射された。
二本の光線は、針の先を突くような正確さでラミアンの首筋に乗っているノスフェルの位置で交差し、瞬時に焼失させた。
が、ラミアンはウルスを突き飛ばすようにして立ち上がった。
その顔は泣きそうに歪んでいる。
「か、噛まれました。早く、早く、ぼくから逃げてください。ああ、それよりも、早く焼き殺してください!」
ウルスもドッと涙を溢れさせ、「そんなの、嫌だーっ!」と絶叫した。
その時、ノスフェルの掃討を終えたウルスラが甲板に降りて来た。
人間形に戻ったために全裸であったが、本人もそのようなことは気にも留めていないようだ。
「ああ、何てこと。間に合わなかった。マリシ将軍は噛まれたのが腕だったから自ら斬り落とされたけれど、首ではどうすることもできないわ。ああ、ああ、わたしは、どうしたらいいの? ラミアンを焼き殺すなんて、とてもできないわ……」
絶望に身を捩るウルスラの喉から、抑揚のない声が告げた。
「……直ちに焼却処分するか、そうでなければ、預かっている人工抗原の標本を投与しなければ危険です。但し、じっくり臨床試験をする時間はありませんから、サンプル全てを一気に投与する必要があります。早急にどちらかに決めてください」
ウルスラはもう迷わなかった。
「投与して!」
その刹那、ウルスラの人差し指がスルスルと伸び、同時に指先から細い針が出て来て、立ったままのラミアンの首筋に突き刺さった。
ビクンと痙攣するような動きをした後、ラミアンは仰向けに倒れたが、ウルスラのもう一方の手が伸びて背中を支え、ゆっくりと甲板に横たえた。
既にンザビ化が始まっているのか、ラミアンの顔は怖ろしいほど蒼褪め、死人のようであった。
その横では膝を床に着いたウルスが、「ラミアン、ああ、ラミアン」と譫言のように呟きながら、涙を流している。
ウルスラはそちらを一瞥したが何も言わず、ラミアンの変化に意識を集中させた。
抑揚のない声が「……投与完了」と宣言すると、伸びていた指が戻り、ウルスラは歩み寄ってラミアンの顔を覗き込んだ。
「間に合うといいんだけれど」
気遣わしげに見ているウルスラの目の前で、青かったラミアンの頬に赤みが差し、閉じていた目が開いた。
「こ、ここは、天国ですか?」
「良かった! 間に合ったのね!」
喜ぶウルスラを見たラミアンが、「あっ」と叫んでまた目を閉じた。
ウルスラが心配そうに「どうしたの? 苦しいの?」と聞くと、ラミアンは目を瞑ったまま答えた。
「すみません、女王陛下。ふ、服を着て、いただけませんか?」




