1338 遥かなる帰路(67)
ウルスに向かって死神めいた痩せた男が突進して来ていることは、真っ先にギータが気づいた。
「むっ! いかん、下がっておれ!」
ウルスとラミアンにそう告げた時には、護身用に腰に下げていた短めの細剣を抜き、ポーンと跳んで二人の前に出ていた。
死神めいた男は速度を緩めず、持っている短剣を目の前のギータに突き出した。
キーンと耳の痛くなるような金属音が響き、ギータのレイピアが短剣にぶつかって大きく撓った。
が、さすがに短剣を弾き返すほどの力はなく、男の短剣とギリギリと擦れ合っている。
と、男の短剣がスッと引かれ、少し間合いを取ってギータを睨みつけた。
「おめえに用はねえんだ、ギータ。怪我をする前にそこをどきな」
油断なくレイピアを構えたまま、ギータも言い返した。
「そうは行かぬ。おぬしが誰か、必死で自分の頭の中の記憶をひっくり返して、やっと思い出したわい。サイカの傭兵部隊におったメッソル伍長じゃな。辞めてから随分経つが、今では稼業を強盗に変えたかの?」
メッソルと呼ばれた男は鼻で笑った。
「残念ながらずっと傭兵のまんまさ。今はこの船の警備兵をやってる。だが、そんなことはどうでもいい。おれが用があるのはおめえじゃねえんだ。後ろでブルブル震えてる王さまさ。そう、バロードの少年王ウルス陛下だ。まあ、ウルス王本人に恨みはねえが、偶々おれが自由都市ミーノに雇われてた時、バロードの大元帥ドーン率いる蛮族軍に酷い目に遭わされたんだ。その落とし前をつけさせてもらうぜ」
ギータが顔を顰めた。
メッソルは、騒ぎに気づいて集まって来た人々に聞こえるよう、態と大きな声を出しているのだ。
逆恨みもいいところだが、それを言えば、ウルス本人であることがバレてしまう。
ギータは一応惚けた。
「ほう? 何か勘違いしておるな。わしの連れは金持ち商人のボンボンたちで、物見遊山の旅をしておるだけじゃ。わしは金で雇われた付き添いさね。しかし、仕事として引き受けた以上、全力で二人を護るぞ」
メッソルの死神めいた顔が、憎悪を露わにした。
「誤魔化したって無駄だ。さっきおれたちに絡んで来た若造は間違えなく獣人将軍かその眷属だった。フニャフニャと変身しやがったからな」
「別にフニャフニャなどしていない」
メッソルの背後から声を掛けたのは、勿論ゾイアの身体を借りているウルスラであった。
その両足首は、黒鬚の巨漢に掴まれたままだ。
その状態で強引に歩いて来たらしい。
仲間の不甲斐なさに鼻を鳴らしたメッソルは、持っていた短剣をポロリと甲板に落として両手を挙げた。
「降参だ。如何に鬼伍長と謂われたおれでも、獣人将軍さまには敵わねえ。煮るなと焼くなと好きにしろ」
そう言うなり、メッソルはその場にゴロンと横たわった。
しかし、カリオテ人の若者の姿のままのウルスラは、肩を竦めて見せた。
「何か誤解しているようだな。確かにおれはマオールの特殊な体術を身に付けちゃいるが、獣人将軍などというのは誤解も甚だしい。さあ、おれの足首を掴んだまま気絶してるこの髭面と一緒に、大人しく本来の仕事に戻りな」
何と、黒鬚はこの状態で気を失っているのであった。
ウルスラはその指を一本ずつ外し、メッソルに「さあ」と促した。
それでも不貞腐れて寝転がっているメッソルのところへ、でっぷりと太った初老の男が歩み寄った。
「こらっ! 何をしてやがんだ、この穀潰しめ! さっさと持ち場に戻らねえと、給金は払わねえぞ!」
メッソルが「わかったよ、うるせえな」とノロノロと起き上がるのを見届けると、初老の男はウルスたちの方に振り返って頭を下げた。
「すまねえ。うちの警備兵が迷惑を掛けたようだな。わしは船長のホックだ。お詫びの印に船長室で昼飯を御馳走させてくれ」
返事をしたのはウルスでもギータでもなく、ましてやウルスラでもなく、ラミアンであった。
「はい! 喜んで!」
船長室で新鮮な魚料理を振る舞った後、ホック船長は改めてウルスたちに詫びた。
「すまなかったな。あのメッソルと相棒のモーラは札付きでな。今度の航海が終われば馘首にしようと思ってたとこだ。まあ、明日の朝にはカリオテに着くから、それまで辛抱してくれ。ところで」
ホックは姿勢を正した。
「聞いちゃいけないことだろうが、メッソルの言ってたことは、本当なのか? ああ、いや、返事はしなくていい。本当だと知れば、わしも平気で話すことができんからな。唯一つだけ、知りたいことがあるんだよ。元海賊だったツイムは、元気にしてるか?」
四人は顔を見合わせたが、比較的差し障りのない立場にあるギータが代表して答えた。
「ああ、元気なはずじゃ。今ではバロード連合王国の海軍を束ねる地位にある。もし、あやつが海賊だった頃に船長に迷惑を掛けたのなら、わしが代わりに謝るが」
ホックは慌てて首を振った。
「いやいや逆さ。こう見えて、実はわしも昔は海賊だったのさ。仲間内のイザコザで生命が危なかった時、助けてくれたのがツイムだ。いつかその礼がしたいと思っていたが、あんたたちがツイムに所縁のある人たちなら、少しは恩返しになる。航海中は何でも言ってくれよ。できるだけのことはさせてもらうからな」
ところがその頃、ホックから叱責されたメッソルは、気絶から目醒めた仲間のモーラに告げていたのである。
「デブ船長め、威張りくさりやがって。このままで済むと思うなよ。おい、モーラ、今度こそドジを踏むんじゃねえぞ」
黒鬚のモーラも歯噛みしつつ答えた。
「ああ。おれだって男だ。あの獣人将軍モドキみてえなやつに、絶対仕返ししてやる!」
(作者註)
自由都市ミーノが蛮族軍に襲撃された事件については、569 リベラの危機(1)をご参照ください。




