1333 遥かなる帰路(62)
「ナターシャ!」
そう叫んで立ち上がったゾイアの身体が、いきなり倍ぐらいに膨らみ、着ていた服がビリビリに裂けて弾け飛んだ。
露わになった筋骨隆々たる肉体に黒い獣毛が生え出し、一気に獣人化するかと皆が息を呑んだところで、突如動きが止まった。
牙のある口は閉じられたまま、喉の辺りから抑揚のない声が響いた。
「……設定された非常停止を発動し、自動的に再起動に移行します」
みるみる獣毛が消え、ゴツゴツした身体つきが丸みを帯び、内部から光り始めた。
例によって、ギータが「誰も触れるでないぞ」と警告したが、さすがにジェルマも今回は黙って見つめている。
が、今回も林檎ほどに小さくなる前に変化が停止し、凹凸の少ない人形のような状態で止まってしまった。
と、抑揚のない声が状況を報告した。
「……深刻な障害が発生しました。人格損傷の危険回避のためリブートを中止し、少女形態で再構成します」
再び身体が大きくなり始め、少し曲線の多い形が現れかけたところで、一瞬でウルスから交代したウルスラが悲鳴のような声を上げた。
「あっ! みんな見ちゃ駄目よ!」
ジェルマが「え? 何でだよ?」と聞き返すのをギータが遮り、「こっちを向いておれ」と一緒に壁側に向きを変えた。
目がどの位置かよくわからないゴーストも、ヨタヨタと方向転換して入口側を向いた。
唯一人ゾイアを見ているウルスラは、「あなたも見ないでよ」と内部のウルスに告げた。
その間に、ゾイアのダークブロンドの髪は肩まで届くほど長くなり、顔も体型もすっかり女らしくなっている。
ちょうどウルスラと同じ歳くらいの少女の姿である。
これだけは変わらないアクアマリンの瞳は、茫然と宙を見つめている。
ウルスラは思わず「まあ、綺麗」と呟いたが、すぐにハッとしてゴーストに頼んだ。
「ゴーストさん、お願い。わたしぐらいの女の子が着る服を出してちょうだい」
ゴーストはこちらを見ずに「おお、心得た」と返事をすると、少し大きめの声で壁に命じた。
「許可番号8823! 十代半ばの少女に似合う服を要求する!」
壁からフォンというような音が響き、それらしい服が出て来ると、ウルスラは改めて皆に「わたしがいいと言うまで、絶対に見ないでよ」と念押ししてからゾイアに告げた。
「さあ、こっちへ来てゾイア、いえ、ゾフィア」
ゾイアが女性形になるのは二度目であるが、前回の十歳児の時とは明らかに異なり、自分でも戸惑っているらしく、ぎこちない動きでウルスラの方へ移動した。
ウルスラは、特にジェルマが覗き見していないか警戒しつつ、ゾイア、いや、ゾフィアに優しく声をかけた。
「大丈夫よ。わたしがちゃんと着せてあげるから」
「すみません。お願いします」
暫く衣擦れの音だけが響き、ウルスラが「いいわよ!」と宣言すると、早速ジェルマが不平を漏らした。
「何だよ、もう。おいら、いくら女の姿になったって、ゾイアのおっさんの裸なんか見て喜ぶかよ。ってか、うわっ、結構別嬪さんじゃねえか」
が、ウルスラはそれを全く無視し、「ゾフィア、さあ、お掛けなさい」と促した。
「はい」
ゾフィアが元の席に座ったところで、ゴーストが少しお道化たように「何を話していたか忘れたよ」と笑った。
「おっと、そうか。ダフィーニョ島を造るという話だったな。まあ、円筒の上っ面だけ海面に出して、岩礁に偽装しよう。後は、そうだなあ」
ジェルマが大きな声を出した。
「だったら灯台を建てなよ! 沿海諸国にあるようなショボいやつじゃなくて、もっとうんとデッカイやつをさ」
すると、珍しくウルスラも同意した。
「あら、それはいい考えね。だったらいっそ、巨人像とか女神像とかにして、松明を持たせるのもいいわね」
ゾフィアが小声で「世界を照らす自由の」と呟いたが、誰も気づかなかった。
代わりにギータが「それなら寧ろゾイアの像がよかろう」と言った意見に皆が賛同した。
表情はないものの、ゴーストも満足そうに「それがいいだろう」と述べ、少し声を改めた。
「名残り惜しいが、おまえたちには待っている者がいよう。もう夜も更けた。今から少し眠り、夜明けと共に帰るがいい」
時差のためなかなか寝付けなかったのか、翌朝、ゾフィア以外の三人は眠そうな目を擦りながら、それでもゴーストが用意した朝食を全部平らげ、愈々出発することになった。
上昇する巨大シリンダーにゴーストも共に乗り、海上に出ると笑いながら告白した。
「実は、潮風に当たると錆び付くから外出は禁止されているのだが、元々海育ちだから、偶には良いものだな。ああ、大丈夫さ。下へ降りたらすぐに全身洗浄する。では、さらばだ。また来てくれよ」
ジェルマは「勿論さ!」と応えたが、それほど気軽な立場ではないウルスラとギータは微笑むだけであった。
ゾフィアもまた、曖昧な表情のまま頷いている。
と、ジェルマがそのゾフィアの前に廻りかけて、「いや、違うな」と首を傾げた。
「やっぱり、抱っこは恥ずかしいや。おいらも負んぶでいいよ」
ギータが苦笑した。
「わしは仕方ないが、おぬしはもっと跳躍の練習をして、自力で行けるようにならねばのう」
「わかってらい!」
それでもジェルマは無茶はせず、大人しくゾフィアに負ぶわれた。
「へえ。いい匂いだな。なんか、母ちゃんを思い出すよ」
皮肉な笑みを浮かべてジェルマを見ていたウルスラも、最後の言葉にスッと笑みが消えた。
それを励ますように、ギータが声を張った。
「さあ、戻るんじゃ! みんな待っておるぞ!」




