1330 遥かなる帰路(59)
一旦東廻り航路を再開したら二度と閉鎖はしないと断言した予備機構に、ゾイアもシャントンも言葉を失った。
が、白髪白髯の老人の姿になっている相手は、笑って手を振った。
「別に即答しろとは言わぬ。おまえたちの仲間で充分に話し合ってくれれば良いのだ。その結果を、おまえたちがゴーストと呼んでいる小型自律機械に伝えてくれ。念のために言っておくが、これは古代神殿とも話し合った結果だから、向こうに泣きついても無駄だぞ」
何か文句を言いたそうに口を尖らせているシャントンを制し、二十代の若者姿のゾイアが応えた。
「仰っていることは理解できました。わたくしが以前のような成熟した人格であればともかく、今はとても判断ができません。ご助言どおり、待っている仲間と協議してみます。ところで、明確には思い出せないのですが、あなたさまにお尋ねすべきことが、まだ他にもあったような気がするのですが?」
老人は苦笑した。
「そのことそのこと。本来ならそちらを先に言うべきであった。しかし、どうだろうな。今それを言ったとして、おまえに理解できなければ意味がない気もするが」
ゾイアは自分の内部を見つめるためか、目を瞑った。
と、喉の辺りから抑揚のない声が響いた。
「……既定の人格は破損した訳ではなく、休眠状態にあります。その間の記憶は保持されていますので、再起動が正常に実施されれば、本体記憶へ移行します」
シャントンが顔を顰めて「またチンプンカンプンだべ」と文句を言ったが、老人は納得したように頷いた。
「いいだろう。では、そのまま聞くがよい」
目を閉じているゾイアは眠ったように動かないが、老人は構わずに話し始めた。
さて、先ずは、おまえに約束した中原東南部の除染の件だ。
毒素を中和する人工微生物を上空から散布して数箇月が経過し、ほぼ無害化された。
後は南の大海に繋がる水路を掘って、湿原に溜まっている水を流せばよいのだが、そのことで提案がある。
当初は、宙港に保管されている巨人型自律機械、おまえたちの云う機械魔神を貸し出し、山脈を切り通して水路を掘ってもらうことにしていた。
が、これには三つ問題があると思う。
一つは、大規模な自然破壊となり、気候などに悪影響を及ぼす可能性があること。
それから、いかに毒素が消えたとはいえ、大量の土砂が一度に南の大海へ流れ込み、周辺海域を汚濁させる虞があること。
最後に、ジャイアントロボが長期間人目に晒されることになり、悪心を抱いた者が奪おうとするかも知れぬこと。
よってわれらとしては、最小限の干渉に留めるためにも、逆に海底から隧道を掘り、大陸棚の下を潜って大湿原の地下へ繋げようと思う。
ああ、心配せずとも、爆破などは行わず、全てジャイアントロボにやらせるつもりだ。
次に、非位相病素の件だ。
そうか、わかり易い言葉で言わねばならんな。
腐死者を生み出す瘴気のことだ。
おまえたちの云うスカンポ河に棲むザリガニだけは、何も影響されずにンザビを食べる。
もし、このガンクが河底にいなければ、ンザビは水中を歩いて中原に渡って来たはずだ。
他の生物が全滅し、自然淘汰の結果、このガンクだけが生き残ったのだろう。
このガンクを調べれば、人工抗原や抗病素薬が作れるかもしれないと何匹か標本を捕獲した。
わかりにくいか、シャントンとやら?
まあ、おまえたちの住む地域ではンザビそのものも見ることもないだろうからな。
まあ、そういうこともあると思って聞いてくれ。
ともかく、ワクチンを兼ねた抗ウイルス薬はできたよ。
これを大量生産し、空中から散布すればいいのだが、どうも非位相者の中和が不完全だったらしく、少し活発化し始めているようだ。
よって、時空干渉機、おまえたちの言い方では『アルゴドラスの聖剣』を使って活動を抑えながら散布する必要がある。
それができるのは、ゾイア、おまえだけだ。
一応、見本を渡すから、いざという時まで収納しておいてくれ。
老人は懐から木の実ほどの丸いものを取り出し、目を閉じたままのゾイアに差し出した。
目を開けることなく、ゾイアはそれを受け取り、躊躇わずに口から呑み込んだ。
シャントンが「だ、大丈夫だべか?」と心配そうに聞いたが、返事は喉からの声であった。
「……サンプルを格納しました。一定の温度・湿度等を保ち、品質を保持します」
老人が「うむ」と頷くのと同時に、ゾイアの目が開いた。
「ん? わたくしは眠ったのでしょうか?」
「いや。直接身体の方と話したよ。どうだ、用件は済んだと思うが?」
ゾイアは首を傾げたが、ホッとしたように微笑んだ。
「胸の痞えが下りたような気がします。ありがとうございました」
シャントンは不満げに「さっぱりわからねえだ」と溢したが、老人は苦笑して弁解した。
「おまえに完全にわからせるには、何十年もかかってしまう。すまないが、これで勘弁してくれ。では、地上へ戻してやろう。ファンクァンという場所でよいか?」
「だども、東廻り航路の件をみんなで話し合うのなら、おらももう一度あの島に戻った方がいいべさ」
ゾイアは「そうですね、すみません」とシャントンに謝ってから、老人に長い数字を告げた。
と、老人の姿が薄れ、白い影に戻りつつ「座標を確認した」と言った直後、周囲は真っ暗になった。




