1326 遥かなる帰路(55)
東廻り航路の再開に反対するために危険を冒して来たウルスラと同体の弟ウルスが、突然逆の主張を始めたことに、皇帝ヌルサンよりも味方のジェルマの方が驚いた。
「ええっ、いいのかよ、そんなこと言って。また怖い姉ちゃんに怒られるぜ」
ウルスは苦笑して「しっ、聞こえてるよ」と片目を瞑って見せた。
リーロメルも意外そうな顔で、「そのお話、女王陛下もご承知ですか?」と尋ねた。
ウルスは表情を改めて首を振った。
「いや。まだ説得はできていないんだ。でも、これから、ヌルサンさんも含めて納得してもらえるように話したいと思ってる。だから、少しの間聞いていて欲しい。ヌルサンさんも、いいですか?」
ウルスの言い方にやや不快そうに眉を顰めながらも、ヌルサンは「構わんと言っただろう」と顎をしゃくった。
ウルスは、最初より幾分緊張が解れた表情で話を続けた。
ぼくの秘書官にラミアンという青年がいます。
自分の部下を褒めるのは気が引けますが、優秀な外交の専門家で、ぼくにもよく助言してくれます。
これから言うことも、大半はかれからの受け売りです。
さて、かれの口癖は「外交は利害」です。
理想や理念は大切でしょうが、国家間のことは、最終的に得か損かで判断するべきだということですね。
先ほど言いかけましたが、東廻り航路の封鎖は、沿海諸国にとっても、マオール帝国南部の沿岸部にとっても、大変な損失を齎しています。
では、誰が得をしているのか。
常識的に云えば中原、中でも東端に位置するガルマニアでしょうね。
しかし、本当にそうでしょうか?
成程、そうしている限りマオール帝国から大軍が襲って来ることはないかもしれません。
でも、考えてみてください。
マオール帝国の巨船でも、運べる兵士は一隻当たり二千名が限度でしょう?
それも、ギュウギュウに詰め込んで、ですね。
たとえば今、東廻り航路が再開され、ヌルサンさんが大船団を中原に向けて送ったとします。
その最初の一隻が沿海諸国に到着し、交戦が始まったところで再び東廻り航路を閉鎖すれば、精々数隻しか通過できず、その間にガルマニアが援軍を送れば撃退できます。
これは極論ですが、万一東廻り航路の制海権をマオール帝国が握り、大軍団を送り込んで沿海諸国も含めて中原全域を支配できたとしても、結果的に得られる利益は、領土と領民が増えた、というに過ぎません。
しかも、支配を維持するためには、相当の軍勢を常駐させねばならず、その負担は計り知れません。
下手をすると、中原を征服した代わりに、マオール本国を失うという可能性すらあります。
逆に、ガルマニアが再び帝国化してマオール帝国南部を攻めようと企んでも、同じことです。
ならば、商業目的に限定して通航を認めるようにした方が、双方に利益があるじゃないですか。
軍事利用するよりは、平和裏に交易を拡大し、国を富ませる方がずっとお得です。
よって、ぼくは商業目的に限っての東廻り航路再開を望みます。
ウルスが珍しく長広舌を振るい、上気した顔で話し終えた時、パチパチと拍手が聞こえた。
笑顔で拍手しているのはリーロメルであった。
「素晴らしい演説でした。それに、わたくしごとですが、弟を褒められ、とても誇らしい気持ちになりましたよ。さて」
表情を引き締めてヌルサンに向き直った。
「陛下。わたくしからもご提案がございます。現在幽閉中のヌルチェン殿下を直ちに釈放され、皇太子になさっては如何でしょう? その上で、東廻り航路の管理をお任せになるのです。これぞ適材適所かと存じますが?」
ヌルサンは天井を見上げて考えたが、顔を戻した時にはやや投げ遣りに「好きにしろ」と答えた。
「但し、条件がある。ロメル、おまえのことだ」
リーロメルは覚悟を決めた表情で頭を下げた。
「はい。わたくしはこのお話し合いが済めば、如何様な処罰でもお受けいたします」
ヌルサンは苦笑した。
「そう死に急ぐな。処罰ではない。おまえが失踪して初めて気づいたのだ。朕にはおまえが必要だと。後宮に何千名の妻妾が居ようと、話の合う女子など一人もおらん。戻って来い。それが条件だ」
リーロメルはハッとしたように顔を上げ、少し目を潤ませて拝礼した。
「身に余るお言葉。恐悦至極に存じ上げまする」
振り返ると、今まで見せたことのない笑顔でウルスに尋ねた。
「陛下のお気持ちはお聞きのとおりです。お姉さまの方はどうですか?」
と、ウルスの顔が上下し、瞳の色が限りなく灰色に近い薄いブルーになった。
「聞いていたわ。わたしとしてはまだ不安だけれど、確かに永遠に両国を遮断する訳には行かないわね。でも、言って置くけど、万一軍船を送って来るようなことがあれば、すぐに封鎖させるわ。ゾイア、それでいいわね」
思わず振り向いたウルスラは、全裸のゾイアから慌てて目を逸らした。
ゾイアはそれどころではなく、自分自身に問いかけているようであったが、納得した顔で返事をした。
「はい。心の奥から、大丈夫との声が聞こえました」
ウルスラはそちらを見ないように注意しながら「これで決まったわね」と頷いたが、ジェルマが「ちょっと待てよ」と口を挟んだ。
「おれの朋友のヌルチェンは、本当に救けてくれるんだよな?」
これにはヌルサンが直接答えた。
「勿論だ。大事な跡継ぎだからな。それから、あいつを誘き寄せるために捕らえたワコ族も全員解放してやる。それで良いか?」
「それならいいぜ」
ジェルマの生意気な言い方も今は気にならないのか、ヌルサンはウルスラに提案した。
「もう后になれなどとは言わぬ。せっかくマオールへ来たのだから、少しゆっくりしていくがいい。大袈裟にならぬ程度に歓迎の祝宴を用意させよう」
ウルスラは少し迷ったが、微笑んで応えた。
「それではお言葉に甘えます。ついでと言っては何ですが、今のゾイアに合う服を貸していただけませんか?」




