1324 遥かなる帰路(53)
突如開き直ったようにウルスの正体をヌルサンに明かしたリーロメルに、ジェルマが喰ってかかった。
「やっぱりだぜ! おいら最初から怪しいと思ってたんだ! なんだかんだうめえこと言って、結局はおいらたちをこの細目野郎に売り飛ばして、自分だけ助かろうって魂胆だな!」
が、縛られたままのゾイアが小声で「違うと思いますよ」と囁いた。
「きっと勝算があってのことです」
「おめえ、どっちの味方だよ!」
ふたりの会話が聞こえたのか、ヌルサンが少し首を傾げた。
「本当に獣人将軍なのか? いや、今はそのようなことはどうでもいい。朕が興味があるのは唯一人」
ヌルサンの細く鋭い目が、ジッとウルスを睨んでいた。
ウルスはあまりの怖ろしさに目を逸らすこともできず、細かく震えている。
が、ヌルサンは軽く首を振り、意外なことを告げた。
「違う。おまえではない」
これには、リーロメルが異を唱えた。
「いいえ、違いませぬ。このお方こそ、正真正銘ウルス王陛下に相違ございませぬ」
ヌルサンはフッと笑った。
「そういう意味ではない。朕が用があるのは王ではなく、女王の方だ」
リーロメルとしては先ずウルスを紹介し、ヌルサンの様子を窺ってから、ウルスラに交代してもらうつもりだったのだろう。
思い描いていた段取りが狂い、リーロメルが困惑して振り返った時には、ウルスの顔が上下し、瞳の色が限りなく灰色に近い薄いブルーに変わっていた。
同時にオドオドした態度が消え、昂然と胸を張ってヌルサンに問うた。
「わたしに用とは何?」
この無礼な言い方に、ヌルサンを良く知るリーロメルがヒヤリとした表情になったが、言われた本人は「ほう」と感心した。
「さすがだな。噂には聞いていたが、ガルマニアのゲール帝にも物怖じせずに話したらしいな。が、今後は改めよ。礼儀知らずの女子を后にはできんぞ」
その言葉の意味がすぐに理解できなかったのか、ウルスラは「え?」と聞き返してから、顔色を変えた。
「な、何を言ってるの! 冗談にも程があるわ!」
が、ヌルサンは惚けたように笑った。
「朕は冗談など言わぬ。まあ、大マオール帝国と小国バロードでは少々釣り合わぬが、そこは目を瞑ってやろう」
「馬鹿なこと言わないでちょうだい。犬の仔を貰うんじゃないのよ。初めて会ったばかりの相手の嫁になるなんて、考えられないわ」
ヌルサンは意地悪そうな笑みを浮かべた。
「朕には数千名の妻妾がいるが、その殆どとは、初夜が初対面だったぞ」
顔を真っ赤にしてソッポを向くウルスラの代わりに、リーロメルが執り成すように告げた。
「女王陛下が参られたのはそのような意味合いではございません。国家対国家の問題として、東廻り航路の件と、それに伴って幽閉されているヌルチェン皇子のことで、外交交渉をするためでございます」
ヌルサンは細い目を更に細め、リーロメルの顔に穴が開くほど見つめた。
「どうした、ロメル? 人が変わったな。以前のおまえなら朕の意を体し、進んで女王を差し出したはず。それともまさか、女王は既におまえのものになっておるのか?」
「無礼者!」
そう叫んだのは、勿論ウルスラである。
リーロメルが慌てて遮ろうとしたが、ヌルサンが「言いたいことを言わせてやれ」と命じたため、反射的に「はっ」と引き下がった。
そのようなやり取りなどお構いなく、ウルスラは怒りに唇を震わせながら言い募った。
「女を何だと思ってるの! さっきはカニスに譬えたけど、それ以下だわ! 女は物じゃないのよ!」
ヌルサンはニヤニヤ笑いながら応えた。
「おお、そうだとも。女子は物ではない。朕の子を産んでくれる貴重な存在だ。おまえがそうしてくれれば、その子は片田舎のバロードの王などではなく、この大マオール帝国の皇帝となるのだぞ。こんな素晴らしい話はあるまい?」
ウルスラは急に寒気がしたように身体を震わせた。
「やめて! 想像しただけで気分が悪いわ。さあ、そんな話ではなく、外交の話をしましょう」
何とか気持ちを切り替えようとするウルスラに、ヌルサンは追い討ちかけるように告げた。
「そうはいかん。おまえはまだ知らんだろうが、この話はもうおまえの祖母から諒承されているのだ。文句があるなら、あの魔女に言え」
「お祖母さまが……」
怒りで赤くなっていたウルスラの顔が、スーッと蒼褪めた。
それを庇うようにリーロメルが前に出た。
「わたくしもあの魔女は知っておりますが、息をするように他人を騙す人物。その言葉を真に受けられるとは、陛下らしくもございませぬ」
ヌルサンは初めて憎悪を露わにして言い返した。
「そのようなことは、おまえ如きに言われずともわかっておるわ! だが、たとえ嘘だろうが何だろうが、あの魔女は大マオールの皇帝たる朕の目の前で言うたのだ! その言葉を取り消せるものか! 誰が何と言おうが、ウルスラは朕のものだ!」
「違います!」
今度叫んだのはウルスラではなく、ゾイアであった。
筋骨隆々たる偉丈夫の姿から一気に全裸の五歳児となり、縛り上げられていた縄をスルリと抜け出た。
その両目は爛々と緑色に光り、今にも獣人化しそうである。
その時。
広い皇帝の間に、ジェルマの声が響いた。
「時よ、止まれ!」




