1323 遥かなる帰路(52)
マオール帝国の歴代の皇帝の中でも、第四代ヌルサン帝は特に用心深かった。
対立する七人の兄弟を皆殺しにした後も暗殺を懼れ、日中は殆ど一人で過ごすことが多い。
伽藍とした皇帝の間の一段高い玉座に座り、用事がある時だけ秘書官や衛兵を呼ぶのである。
身の回りの世話をする小姓でさえ、常時傍に侍ることを許さなかった。
ところが、まだ皇子の頃に被征服民の南人から推挙された中原の魔道師リーロメルとは不思議と馬が合い、皇帝となってからも他の家臣とはしたこともない他愛のない世間話をすることさえあった。
性格の似た者同士ということもあり、君臣の垣根を越えた信頼関係が生まれたのだろう。
そのような関係性もあって、ガルマニアへ特命全権大使を派遣する話が持ち上がった時、皇帝自らリーロメルを指名したのである。
『それなのに裏切りおって』
今日も一人で玉座に座り、見るともなく古い書籍を捲りながら、ヌルサンは独り言ちていた。
詳しい事情までは伝わって来ないものの、任務の失敗を恥じて逃亡したらしいとは聞いた。
『それならそれで、朕に直接弁明するべきではないか』
と、その呟きが聞こえたかのように、秘書官の一人がリーロメルが面会を申し出て来ていると知らせて来た。
思わず身を乗り出して『良いぞ』と言いかけ、すぐにヌルサンは自分の言葉を否定した。
『いや、駄目だ。何を今更会う必要があろう。あのような不埒者、即刻首を刎ねよ!』
『御意のままに』
なるべく視線を合わせぬよう、頭を下げたまま出て行こうとする秘書官を、ヌルサンは慌てて止めた。
『待たぬか。このような場合に朕を諫めるのが、おまえたちの役目ではないか』
振り返った秘書官の顔は蒼褪めていた。
ちょっとした諫言をしたばかりに、斬首されてしまった秘書官は数知れない。
どうするのが正解なのかわからず、わなわなと唇を震わせている。
ヌルサンは少し苛立ちながら訊いた。
『ロメルはどのような様子であった?』
因みにリーロメルとは、リー族の客分のロメルという意味合いであり、ヌルサンはいつも親しみを込めてロメルと呼んでいた。
秘書官は何度か息を吐いて自分を落ち着かせると、少し震える声で言上した。
『はっ。ガルマニアでの失敗を償うべく、内弟子の少年と協力して獣人将軍ゾイア親子を捕らえたとのことにて、四名で別室に控えておりまする』
それを聞いたヌルサンの表情は、喜怒哀楽が一度に押し寄せたような複雑な動きをした後、却って茫然と放心したものに変わった。
『……内弟子? ゾイア親子? 訳がわからんな。まあ、よい。取り敢えず話を聞く。通してやれ』
『ははーっ』
皇帝の気まぐれで殺されぬよう、秘書官は急いで退出した。
やがて二十名ほどの屈強な衛兵に囲まれるようにして、四人が入って来た。
先頭を歩くリーロメルは罪人用の白いお仕着せ姿で、両手を前に揃えて手枷を掛けられている。
その後ろに、同じ金髪碧眼ながら、十代半ばぐらいの少年が魔道師見習いの灰色のマント姿で続いているが、こちらは特に手枷などは付けられていない。
三人目は筋骨隆々たる偉丈夫で、これでもかというくらい厳重に縛り上げられている。
最後に、沿海諸国の者らしい黒髪の幼児が軽く縄を掛けられた状態で歩いて来た。
それだけのことを見て取ると、ヌルサンは真っ先に衛兵たちに命じた。
『おまえたちは控えに下がっておれ』
当然のことながら衛兵たちに動揺が走ったが、皇帝の命令に逆らうことは死を意味したから、全員そそくさと出て行った。
巻き添えを懼れたのか、案内して来た秘書官も共に去り、室内には皇帝と四人だけが残された。
と、突然ヌルサンが四人に話しかけた。
「ロメル以外の者にもわかるよう、中原の言葉で話してやろう。先ずはロメルよ、申し開きをするが良い」
リーロメルは、いつもの皮肉な笑みを浮かべながら応えた。
有難き幸せに存じまする。
されば、お話しさせていただきます。
陛下の密命を受けてガルマニアへ参りましたわたくしは、当初の目的である内乱を起こさせることに失敗し、失意のあまり逃亡を図りました。
しかし、逃走中に偶然内弟子ウルメルと出会い、その励ましを受け、再起を誓いました。
尤も手ぶらでは帰れぬ以上、何らかの手土産が必要です。
ウルメルと協力し、獣人将軍を捕らえることにしました。
詳細は省きますが、獣人将軍が隠し子を訪ねるところを待ち伏せ、見事に拘束することができたのです。
真に身勝手な話ではありますが、この手柄に免じて来参させていただきたく、恥を忍んでお願いに参った次第でござりまする。
何卒良しなにお取り計らいのほど、お願い申し上げます。
恭しく首を垂れるリーロメルの頭上に、ヌルサンの冷たい言葉が落ちて来た。
「嘘だな」
顔を上げたリーロメルも、平然と応えた。
「勿論嘘でございます」
ヌルサンは怒るべきかどうか少し迷っているようであったが、皇帝らしくもなく肩を竦めて見せた。
「本当のことを言え。他に誰もおらぬ」
リーロメルは初めて笑顔を消し、真剣な眼差しでヌルサンを見た。
「獣人将軍は本物でござります。そして、この少年こそ、バロード連合王国の国王ウルス陛下にあらせられます」




