1321 遥かなる帰路(50)
帝都ペイアンの皇禁城にいる皇帝ヌルサンの前に、突如現れた魔女ドーラ。
が、良く見ればその姿はやや朧であり、時々向う側が透けて見えている。
『幻影か』
安堵と失望が入り混じった表情でヌルサンが呟くと、ドーラは鼻を鳴らした。
『当たり前であろう。如何にわたしが大魔道力を発揮しようと、単身では一万人の東方魔道師に太刀打ちはできぬ。また、剣技比類なき兄アルゴドラスであろうと、十万を超える近衛兵に囲まれては逃げ切れぬ。更に言えば、わたしの本体がここにおっては、いつ差し違えられるかとおぬしも不安であろう。よって、このような方法にしたのじゃ。が、姿は幻でも、中身は本物ぞえ。心して聞くがよい』
平伏したまま固まっている秘書官の上で得々として説明するドーラに、ヌルサンは怒鳴り返すかと思いきや、厄介者の親戚の伯母が訪ねて来たような態度で告げた。
『帰ってくれ』
その投げやりな言い方に、ドーラの方が身を乗り出すようにして尋ねた。
『どうした、何か悩み事か?』
つい答えようとしてしまい、ヌルサンは自嘲するように笑って玉座に座り直した。
『わが先祖魔族の不倶戴天の怨敵であるおまえに、うかうかと己の弱みを喋るところであった。さあ、もう話すことなどない。疾く帰れ』
ドーラは『そうはいかぬ』と開き直った。
『遠隔地から幻影を送るのは、わたしとてしんどいのじゃ。手ぶらでは帰れぬわい。では、そちらの事情は聞かぬ。せめてこちらの言いたいことだけでも言わせてくりゃれ』
ヌルサンは、衛兵を呼ぼうか、いっそ自分が席を立とうか迷っている風であったが、どちらも面倒になったのか、吐息混じりに告げた。
『ならば、勝手に喋るがいい。朕は珍しい虫が鳴いているとでも思って聞き流す。ところで、その前に一つだけ質問がある。その者は死んだのか?』
ヌルサンが顎をしゃくって床に貼り付いたように動かない秘書官を示すと、ドーラは苦笑した。
『これぐらいは種明かししてもよかろう。遠隔地に幻影を送るには、中継点が要る。わたしの部下になっておる東方魔道師に専用の魔種を渡し、親戚の伝手を辿ってこの男の脳天に密かに植え込ませた。心配せずとも、用が済めば抜いてやるぞえ』
それに対するヌルサンの反応は『その必要はない』という、冷たいものであった。
『どのような事情があるにせよ、このような事態を招いた責任を取らせ、こやつの首を刎ねるつもりだからな。さあ、良いぞ、話せ』
ドーラもまた、気の毒な秘書官の運命など歯牙にもかけず、平然と話し始めた。
さてさて、どう切り出せばよいのか今でも迷っておるのじゃが、結論はハッキリしておるから、先に言ってしまおう。
わたしはマオール帝国と手を結ぼうと考えておる。
ああ、言われずともわかっておるわさ。
おぬしの父、そして祖母がどれほどわたしと兄を恨んでおったのか、というのであろう。
わたしもこの両者が生きておれば、このような話を持ち出さぬぞえ。
水に流せ、とは言わぬ。
が、個人的な恨みと、国家の外交は別問題のはず。
外交とは、畢竟、利害じゃ。
どこぞの政治家が利害が一致すれば悪魔とでも手を結ぶと言うたそうじゃが、逆に云えば、利害が対立すれば親兄弟でも殺し合うのが今の世の中ぞえ。
実際、おぬしも自分の兄弟を皆殺しにして皇帝になったのじゃろう?
ほう。
全部ではないのか。
成程のう。
あの末っ子だけは生き残っておったのか。
それこそわたしは、あの末っ子には煮え湯を飲まされたが、利害が伴えば仲間に戻してやっても良いと思っておるぞ。
おっと、話が逸れたのう。
ともかく、納得してもらうには、こちらの恥を晒すしかあるまい。
おぬしが中原の実情をどの程度把握しておるか知らんが、わたしは今、ガルマニア合州国のバローニャ州総督という立場にある。
何じゃ、知っておるのか。
ならば話は早い。
この合州国という虚構を創り上げたヤーマンという男は煮ても焼いても食えぬ曲者じゃ。
ガルマニア統一のために丸呑みにしたわたしの大軍勢を、徐々に徐々に削り取り、最終的には丸裸にしてしまおうとしておる。
そうはさせじと、わたしは同僚のハリスやゲーリッヒと手を組もうと画策したが、どうも上手く行かぬ。
特に、見込みがあると思うておったゲーリッヒの方が、最近特に対応が冷たい。
そこで密かに探ってみたところ、なんと、わが孫ウルスラが先に唾を付けておったのじゃ。
ああ、そうじゃ、わたしはこの孫を憎んでおる。
さっきも言ったであろう。
利害がぶつかれば、肉親と雖も敵になると。
正にそうじゃ。
その孫娘がゲーリッヒを誑かすのに利用したのが、『マオール帝国の脅威』さね。
おぬし、ゲーリッヒの『森の街道』を真似て、『皇帝回廊』とやらを通そうとしておるらしいの。
ほう。
頓挫しておるのか。
まあ、それはそれとして、孫娘がマオールを出汁にしてゲーリッヒと同盟した以上、わたしとしてはそのマオールと組むことでこの両者に対抗するのは当然の策略であろう?
どうじゃ、この際、わたしと手を結ぶ気はないか?
先程までの態度からみて、ドーラも半ば断られることを覚悟して聞いたのであろうが、意外にもヌルサンは長考した。
ドーラが焦れて催促しようと口を開きかけた時、ヌルサンが答えた。
『いいだろう。但し、条件がある』




