1316 遥かなる帰路(45)
マオール帝国東南部にあるファンクァンは、南北朝時代の南朝の首都であった。
南北統一後も東廻り航路の終着港として繁栄したが、ゾイアがゴーストに依頼した海上封鎖の影響により、見る影もなく衰退してしまった。
これはシャン族を始めとする南人たちだけでなく、周辺海域を荒らし回っていたワコ族にとっても死活問題であった。
一部の者たちは、定住と貿易に活路を見出そうとするヌルチェン皇子の施策に逆らい、比較的豊かな旧北朝地区の沿岸に上陸し、略奪を繰り返した。
当然、新皇帝ヌルサンの逆鱗に触れることとなり、海賊取り締まりが強化された。
そうして捕らえられたワコ族から、ヌルサンは、異母弟ヌルチェンがワコ族の首領となっており、しかも、東廻り航路が不通となった原因を知っているらしいとの情報を得たのである。
既にガルム大森林を横断する街道の建設に着手していたヌルサンも、その進捗のあまりの遅さに業を煮やしていたところであったから、この情報に飛びついた。
大船団が仕立てられ、次々にワコ族の海賊船が拿捕された。
同時に、その首謀者としてヌルチェンに出頭が命じられ、それに応じなければ、捕らえたワコ族全員を処刑すると伝えられた。
ヌルチェンは、ゾイア宛に救援を求める手紙を書いている途中、裏切った部下の手引きで踏み込んで来た邏卒に捕縛され、その時の手紙がジェルマに送られることになったのである。
尤も、手紙がどうなったかなどヌルチェン本人には知らされず、帝都ペイアンの牢獄に幽閉され、魔道の力を封じる消魔草の煎じ汁を飲まされた上で、連日のように拷問されていた。
その日も牢役人から散々に鞭打たれ、東廻り航路の再開方法を尋問されたが、ヌルチェンは一貫して知らないと突っ撥ね続けた。
『幾ら責められようと、知らぬものは知らぬ。無駄なことだ』
『ええい、強情なやつめ! 皇帝陛下の弟だからと思い、手加減しておればいい気になりおって!』
このような状況であったが、ヌルチェンは皮肉な笑みを浮かべた。
『ほう? とても手加減しているようには思えぬが』
『だ、黙れ!』
激昂した役人は力任せに鞭を振るい、さすがにヌルチェンは気を失った。
どれくらいの時間が過ぎたのか、ヌルチェンは人の気配を感じて目を醒ました。
相手に気取られぬよう薄く目を開くと、天井近くの明り取りの窓から少し白み始めた空が見えた。
夜明けが近いようだ。
と、相手が声を掛けて来た。
「意識が戻ったようですね?」
相手の言葉に違和感を覚え、ヌルチェンはハッキリと目を開けて見た。
見たことのない金髪碧眼の若い男が、中腰でヌルチェンの顔を覗き込んでいる。
違和感があるのも当然で、久しぶりに聞く中原の言葉だったからだ。
ヌルチェンも同じ言葉で問うた。
「何者だ?」
相手は、ヌルチェンが先程役人に向けたのと同じような皮肉な笑みを浮かべて答えた。
「リーロメルと申します。おお、今表情が動いたところを見ると、わたくしの名前だけはご存じのようですね」
ヌルチェンは間違って腐ったものを口にしたように顔を顰め、吐き捨てた。
「知っているとも、殺人鬼め! 海の上までその怖ろしい噂が伝わって来ておったわ。そうか、遂に兄はわたしを殺すことを決めたのだな。生命を惜しむつもりはない。さっさと仕事を済ませるがいい!」
リーロメルは肩を竦めた。
「誤解なさっているようですね。わたくしはもうヌルサン陛下の刺客ではありませんよ。特命全権大使としてガルマニアへ行ったのですが、そこである人物と出会い、自分の生き方を変えることにしたのです。まあ、陛下にお役御免を願ったところで殺されるだけですから、言ってはおりませんがね」
ヌルチェン自身もそうであったから、何か感ずるものがあったのか、少し警戒を解いた表情になった。
「確かに殺気はないようだな。が、それならば、わたしに用はあるまい。帰ってくれ」
「そうは行きません。危険を冒してここへ来たのは、そのある人物と関わりがあるからでございます」
「ある人物とは誰だ?」
「殿下も良くご存じでしょう。ゾイアどのですよ」
同じ頃、その帝都ペイアンの遥か南、ファンクァンの沖にある小さな島に二つの光球が現れ、そこから四つの小さな人影が出て来た。
「へえ、本当にまだ暗いや。ってか、これは逆に翌朝ってことかな?」
燥いだ声で尋ねたのはジェルマである。
「そういうことらしいのう。じゃが、まだ油断するのは早いぞ。ゴーストどのは一応無人島と言うておったが、誰かおるかもしれんでな」
これはギータの声であった。
「あ、ぼくが様子を見て来ます」
応えたのはゾイアであったが、ウルスラが反対した。
「もう少し明るくなってから、全員で移動した方がいいわ。知らない場所で離れ離れになるのは」
その時、ギータが切迫した声で遮った。
「静かに!」
すると、遠くの方から声が聞こえて来た。
『おーい、誰かいるだかーっ! いるなら、返事をしてくれろーっ! おらを救けてけろーっ!』
ギータがハッとしたように「あの声は」と呟いた。
「シャントンのようじゃ」




