1313 遥かなる帰路(42)
ヌルチェン皇子からの手紙が本物であり、そこに脅迫の文言を書き込んだのが新皇帝のヌルサンであろうとギータは推測した。
それでも猶東廻り航路の再開に反対するウルスラと、感情的に反発するジェルマに対して、ゾイアが意外なことを言った。
「ヌルチェンという人を救け出すしかありません」
これには、ヌルチェンを見殺しにするなと主張していたジェルマでさえ鼻白んだ。
「おいおい、おっさん、じゃねえ、ゾイア。それができるんなら苦労はねえんだよ。相手は暗黒帝国マオールだぜ。宏大な領土のどこに居るのかもわからねえし、それがわかったとしても警備だって超絶厳重に決まってる。どうやって救けるんだよ?」
が、ゾイアの返事は「ぼく、何か言いましたか?」であった。
代わりにギータが答えた。
「確かにのう。東廻り航路が再開されればヌルチェンは殺されぬかもしれんが、解放される保証まではないでな。ならば、少々困難でも、直接本人を救出するに如くはあるまい」
「でも、どうやって?」
聞いたのはウルスラの方である。
ジェルマは「無理だよ」と肩を竦めた。
ギータは「さっきと逆じゃな」と苦笑した。
「難しいとは思うが、かつて同じような状況でわしの友人のマルコを救出したのはゾイアじゃ。そのゾイアが言うのであれば、可能性はあろう」
ジェルマが口を尖らせた。
「それはゾイアがおっさんだった時だろう? こんな右も左もわかんねえ五歳児に、何ができるって言うんだよ?」
ギータが答える前に、ウルスラが反論した。
「できるわよ。ゾイアの戦闘能力は前以上だわ。智略の部分だけ、わたしたちが補ってやればいいのよ」
「わたしたち? おめえもマオール帝国へ行くつもりなのか?」
「ええ。それで東廻り航路の再開が止められるのなら、行くわ」
「そんなに東廻り航路の再開が嫌なのかよ?」
「個人的な好き嫌いで言ってるんじゃないわ。中原の平和を護るためよ」
再び睨み合う二人に、今度はゴーストが仲裁に入った。
「まあ、待ってくれ。マオールへ行く行かないを決める前に、ゾイアの不具合が直るものかどうか、一度調べてみた方がいい。わしが自分の保守点検に使っている機械に掛けてみよう」
ちょうどゾイア以外の三人が飲み物を飲み終わったところだったので、ゴーストの私室へ移動することにした。
ウルスラが気にして「後片付けしましょうか?」と言った直後、椅子やテーブルはおろか飲み物が入っていた容器まで、一切が床に呑み込まれるように消えた。
後は元の空箱の状態である。
「便利なものじゃな」
ギータが感心すると、ジェルマが「だろ?」と得意げに応えた。
順に石造りの家を出たが、四角い小さな部屋から降りた辺りには何もなく、遥か向こうの地平線まで道が延びていた。
「あら? あの扉はどこだったかしら?」
首を傾げるウルスラに、小鼻を膨らませたジェルマが「ここさ」と言いながら、何もない空間をコンコンと叩いて見せた。
すると、その背景にスーッと黒い線が入り、左右に分かれると、先程乗って来た箱のような部屋が現れた。
「どうだ、驚いたろう?」
「別に」
扉の前で動かない二人に、ギータが呆れたように「これこれ、つまらぬ意地の張り合いをせずに、さっさと乗るんじゃ」と促した。
三人の後にゾイアが続き、最後にゴーストが乗り込んで扉が閉まった。
「わしの私室へ行ってくれ」
ゴーストが命じると、意外にもジェルマが「あれ?」と声を上げた。
「なんだよ。今度は逆に上がると思ったのに、また下がるのかよ」
「ああ。ホンの少しだがな。わしが休眠状態の時に極力外界の影響を遮断するためだと思うが、岩盤を刳り抜いた部屋が用意されていたのだ。何しろこの身体は年代物だからな。葡萄酒のようなものさ」
ゴーストの冗談はギータにしか通じなかったようで、ジェルマもウルスラもキョトンとしていた。
が、ゾイアだけは聞き取れぬほど小さな声で「ヴィンテージワイン」と呟いた。
ゴーストが言ったとおり昇降機はすぐに止まり、乗り込んだのと反対側の扉が開いた。
短い廊下の先にまた同じような扉があり、五人が近づくと自動的に開いた。
そこは六角形の変わった部屋で、最前飲み物が供された石造りの家の内部と同じ素材のようだったが、全体の照明が柔らかい橙色になっていた。
その中心に、人間が入れるくらいの硝子の容器のようなものが立っている。
「棺桶みてえだな」
ジェルマが率直な感想を述べると、ゴーストが声を出して笑った。
「正にそうだな。が、見かけよりずっと居心地はいいぞ。さて」
ゴーストはその容器に向かって「許可番号8823! 人工実存の点検を要求する!」と告げた。
と、硝子容器の前面が左右に開き、何もない空間から抑揚のない声が響いた。
「……要求が承認されました。中へお進みください……」
ゴーストは透明な頭部の硝子玉を瞬かせながら、ゾイアを指し招いた。
「心配は要らぬ。さあ、中へ入るのだ」
ゾイアの幼い顔に、一瞬怯えのような表情が走った。
それでも自分を励ますように両手を握り緊め、「はい」と頷くと、一歩一歩踏みしめるようにして容器の中に入って行った。




