1311 遥かなる帰路(40)
壁面に開いた穴に吸い込まれた小舟は、薄暗がりの空間に停止していた。
ウルスたちが振り返ると、丸い穴は急速に縮んでフッと消え、鼻を摘ままれてもわからないような闇に包まれた。
風の音も波の音も聞こえなくなり、シーンと耳が痛くなるほどの静かさである。
「どうなってるの?」
ウルスの問いが、「なってるの」「てるの」「の」と木霊のように反響する。
ジェルマが自慢げに「まあ、見てな」と答えた。
と、静かだった暗闇に、ゴゴゴゴッと鈍い音が響いて来た。
同時にどこからか赤っぽい弱い光が射して来て、中の様子が見えるようになった。
小さな城ならスッポリ入るぐらいの何もない空間である。
外から見た時と同様に、壁面は全体が燻んだ紅色の金属でできている。
壁面は緩く内側に曲がっており、同じ素材でできた天井に当たる部分は円形であった。
下の方は暗すぎて良く見えないが、巨大な円筒がずっと続いているようだ。
その間にも、ゴゴゴゴッという音は徐々に大きくなってきている。
今度はギータがジェルマに尋ねた。
「これがダフィニア島なのかの?」
ジェルマは鼻で笑った。
「まだ入口さ。おいらにも良くわかんないけど、縦に動く廊下みてえなもんかな」
「縦に動く、とは?」
「これから下に降りるってことさ」
ジェルマは降りると言ったが、空中に浮かんでいる小舟を含め、円筒形の空間全体が下に向かって動き始めた。
「天井がぶつからないかな?」
ウルスは心配したが、天井から一定の距離を保ったまま下がっているようだ。
円筒が動いている間、五歳児の姿のゾイアだけは茫然としたまま一言も喋らなかった。
動き出した時と同様、巨大な円筒は唐突に停止した。
床と天井の間隔は、人間の身長の五倍ぐらいしか離れていない。
ゴゴゴゴッという音もスーッと消えていった。
空中に浮かんでいた小舟は、ゆっくりと床に接地した。
「さあ、着いたぜ!」
そのジェルマの声に応えるように、横の壁面にスーッと縦に黒い線が走り、それが左右に拡がって、人が通れるくらいの隙間が開いた。
「みんな、どんなやつが出て来ても驚くんじゃねえぞ」
ジェルマは笑ってそう忠告したが、ウルスは悲鳴のような声を上げてしまった。
「ええっ、な、何これ?」
壁の隙間から出て来たのは、甲冑を着ている人間のように見えた。
が、そのぎこちない動きも全体の体型も、人間とは異なっていた。
胴体は壁と同じ金属のようで、それに短い手足のようなものが付いている。
それ以上に人間離れしているのは頭部で、全体が頭巾のような透明なものに覆われ、その内部に様々な金属の歯車のようなものや、色とりどりに光る硝子玉のようなものが雑然と詰め込まれているように見える。
口に当たる部分には、小さな鉄格子のようなものが嵌め込まれており、そこから抑揚のない声が聞こえて来た。
「……ゾイアの救難信号を受信したので舟を回収させた。しかし、姿が見えぬようだが?」
ウルスだけでなくギータすら言葉を失っている中、ジェルマは親戚の伯父にでも話しかけるような気軽さで答えた。
「いや、いるよ。おいらと同じ年頃になっちまったけどさ」
「ほう。成程。低稼働状態とはそのことか。で、後の二人は誰だ?」
「ああ、紹介するよ、ゴースト。こっちの頼りなさそうな青い目の坊ちゃんがウルスだ。これでもバロードの王さまだぜ。それから、このちっこい皺くちゃの爺さんはギータだ。まあ、見りゃあわかるだろうけど、小人族さ」
ゴーストと呼ばれた相手は、当然バロードという地名に反応した。
「おお、バロードというと両性族の族長アルゴドラスが創った国だな。すると、おまえもそうなのか?」
と、ウルスの顔が上下し、瞳の色が限りなく灰色に近い薄いブルーに変わった。
「ええ、そうですわ。わたしは弟ウルスと共にバロード連合王国を統治するウルスラです。ゴーストさまにお願いがあります」
ゴーストはチカチカと硝子玉を瞬かせたが、フッと笑いを含んだような声で応えた。
「まあ、立ち話も何だ。ゆっくり座って話そう。尤も、わしはこの身体故、座れんがね」
ゴーストは声を出して笑いながらその場で向きを変えると、壁の隙間に向かって歩き始めた。
先にピョンと跳ねるようにジェルマが舟を下り、振り返って「行こうぜ」と声を掛けると、ギータも「おお、そうじゃな」と同じようにポーンと跳ねた。
ウルスラは少し浮身して、ゾイアの手を引いた。
「行くわよ、ゾイア」
ゾイアは黙って頷き、自分も浮身してウルスラに続いた。
ゴーストに先導されて四人が巨大円筒の外に出ると、そこは立方体のような形の小さな部屋だった。
後ろでスーッと扉が閉まると、ジェルマが得意げに教えた。
「また下がるから、足を踏ん張っとけよ」
フッと身体が浮き上がるような感覚に、ウルスラもギータも「あ」「お」などと思わず声を上げる中、ゾイアはポツリと呟いた。
「昇降機か……」
待つ程もなく下へ到着し、扉が開くと、ウルスラは大声で叫んでしまった。
「まあ、すごいわ!」
そこには、綺麗に縦横整えられた市街地があった。
しかも、その上には青い空と輝く太陽があり、市街地の先にはこんもりと繁った森が見え、その遥か向こうには、峨々たる山並みすら見えている。
ゴーストは、芝居がかったように短い手を伸ばして告げた。
「ようこそダフィニア島へ!」




