1309 遥かなる帰路(38)
新皇帝ヌルサンに幽閉されたというヌルチェン皇子を救うため、一緒にダフィニア島に行って欲しいとゾイアに懇願するジェルマ少年に、ウルスラは東廻り航路の再開などとんでもないと拒否した。
が、ゾイア自身はダフィニア島に行きたいという。
その表情を見ながら、ギータが聞いた。
「何か思い出したかの?」
五歳児の姿となったゾイアは、少し悲しそうに微笑んだ。
「いいえ、具体的には何も。でも、その子の顔を見ていると、ハッキリとは思い出せないのですが、誰か懐かしい相手に似ているような気がして。なので、その島に行ったら、何か思い出せるかもしれないと思ったんです」
「ふむ。まあ、わしもダフィニア島のことはおぬしから詳しく聞いておらなんだが、東廻り航路を閉鎖してもらった相手がゴーストなる存在であるとは言っておった。再開云々は別としても、会ってみる価値はありそうじゃな」
「だったら、わたしも行くわ」
割り込んだのは勿論ウルスラである。
「その人が早まった判断を下さないように、わたしが助言します」
ジェルマは小さく舌打ちした。
「邪魔すんなよ。これは、おいらとおっさんの問題なんだぜ」
ウルスラも負けずに言い返した。
「いいえ、これは中原全体に関わる問題よ」
睨み合う二人を宥めるように、スルージがのんびりした声で提案した。
「でしたら、あっしはお留守番させていただきやす。少なくとも誰か一人は残ってねえと、ラミアンの坊ちゃんやファイムの旦那が困るでしょうからねえ。皆さん、どうぞお気をつけて」
その様子を見て、ギータが「ほう」と感心した。
「なかなか殊勝な心掛けじゃな。それとも、海が苦手なのかの?」
スルージは、「たはっ」と苦笑した。
「バレやしたか。海というより海月が嫌いなんでやんす」
と、ゾイアの身体がビクッと震えた。
ジェルマが「記憶がなくても、苦手なものは覚えてるんだな」と笑った。
一先ず全員で港まで移動し、宿を探しに行くというスルージと別れると、残りの四人でジェルマの伝手を頼りに船を借りることにした。
「但し、船乗りはみんな怖がってダフィニア島付近には行かねえから、モノだけ借りて、後は自力で航海するしかねえ。まあ、行くのは実質子供四人だから、小さな櫓漕ぎ舟を借りて、舟ごと大きな帆船に乗っけてもらって、外洋で下してもらうのが一番いいだろうね」
ギータが「わしは子供ではないぞ」と笑いながら抗議した。
「が、まあ、体重は皆似たようなものじゃ。交渉はおぬしにまかせよう」
因みに、さすがに少女が乗船するとわかると交渉が難航する虞があるため、ウルスに戻って同行している。
路銀は或る程度潤沢にあったから、櫓で漕ぐ小さな舟はすぐに手に入ったものの、東廻り航路が閉鎖されて以来東に向かう用事がないため、途中まで乗せてくれる帆船はなかなか見つからなかった。
ジェルマが西廻り航路へ行く早船の船長に頼み込み、沖合いで下ろしてもらうことが決まった時には、夕暮れが迫っていた。
髭面の船長は、気の毒そうに告げた。
「出航は明日の早朝だ。言って置くが、他の客もいるから遠回りはできないぞ。沿岸を離れて外洋に出たら、そこで下りてもらう。そこからおれたちの船は西へ向かうから、おまえたちだけ小舟を漕いで東に行くことになる。本当にそれでいいのか?」
子供三人と小人族一人という一行を見て危ぶむ船長に、ジェルマは胸を張って応えた。
「見損なってもらっちゃ困るな。おいらを誰だと思ってるんだい。かの大魔道師サンジェルマヌス伯爵の直系の子孫、ジェルマさまだぜ」
船長は苦笑して「そうだったな」と頷いたが、サンジェルマヌスという名前に反応してまたゾイアの身体がビクッと動いた。
同時にウルスも「だよね」と独り言をいうフリでウルスラに話しかけた。
「だから、あんまりつんけんしない方がいいよ」
それに対する反応は芳しくなかったらしく、ウルスは肩を竦めた。
日が暮れる前に小舟を早船に積み込み、ジェルマたち四人も乗り込んだ。
船長の心尽くしで夕食と一泊する船室が提供され、明日に備えて早々に寝ることにした。
すぐに寝息を立て始めたジェルマと違い、船に慣れないウルスはなかなか寝付けないらしく、頻りにギータに話しかけていたが、「わしはもう寝るぞ」と宣言され、黙るとすぐに鼾をかき始めた。
「やれやれ。これではこっちが眠れんわい。ゾイアはどうじゃ?」
返事はなかったがゾイアの目は開いており、自分の思いに沈んでいるようであった。
翌朝、日の出前に全員起きて甲板に上がり、ベタ凪の海を眺めた。
ギータが「おお、良い天気になりそうじゃな」と声を上げると、ウルスも身を乗り出すようにして笑った。
「良かったあ。天候に恵まれたね。ぼく、船酔いする質だから、実は心配してたんだよ」
が、ジェルマは顰め面で首を振った。
「これは、嵐の前の静けさってやつさ。沖に出たら、うんと荒れるぜ。覚悟しな」
「そんなあ」
嘆くウルスの横で、ゾイアはジッと海面を見つめ、ポツリと呟いた。
「あの時もそうだった……」




