1302 遥かなる帰路(31)
「よさんか、コドウィック!」
頭上から大声で呼び掛けられ、ウルスに向かって突進していた男の足が止まった。
「ビスマッハ爺さん?」
コドウィックと呼ばれた男は声のした方を見上げたが、ビスマッハの姿は見えず、その代わりに異様なものを目にした。
人間の十倍はあろうかと思える、巨大な鳥の腹部である。
「な、なんだ、こりゃ?」
唖然とするコドウィックの頭上を通り過ぎ、後ろの四人の男を威嚇するように低空で旋回すると、巨鳥は立ち尽くすウルスの横に着陸した。
先にポーンとギータが跳び下りて来て、ウルスに「少し後ろに下がった方がよいぞ」と告げ、丁度駆けつけて来たファーンとスルージと共に、安全な位置まで移動させた。
その間コドウィックは抜き身の剣を片手に持ったまま、警戒心を露わにしてこちらの様子を窺っている。
と、ラミアンに支えられながら、ゆっくりとビスマッハ老人が巨鳥から降りて来た。
厳しい表情で、真っ直ぐにコドウィックを見ている。
「この者たちは、わしの客人だ。何はともあれ、剣を収めよ」
コドウィックは鼻を鳴らした。
「聞いてねえな。おれたちゃこの辺り一帯の警備が役目だ。不審な人間がいりゃあ、取っ捕まえるのが仕事さ。悪いか?」
「悪いとは言わぬ。が、年端も行かぬ丸腰の少年に剣を振りかざすのは、少々みっともないとは思うぞ」
「何だと、クソ爺!」
怒りと恥辱で顔を真っ赤にしたコドウィックは剣を振り上げたが、その手に向かって何か小さなものが飛んで来て、ピシッと当たった。
「痛っ!」
思わず落とした剣と一緒に、小さな団栗が地面に落ちた。
投じたのは、勿論ファーンである。
「手ごろな木の実が落ちていて良かったな。なければ、これを使うところであったぞ」
その手には既に刀子が握られている。
真っ赤であったコドウィックの顔が蒼褪めた。
かれも武芸を嗜む者として、ファーンの容易ならざる技量に気づいたのだろう。
「まあ、いいだろう。ビスマッハ爺さんの知り合いだと最初からわかってりゃ、おれたちも手荒なことはしなかったさ。今度から、ちゃんと連絡しろよ、爺さん」
コドウィックは後ろを振り返ると、四人の手下に「帰るぞ!」と八つ当たりのように怒鳴り、足早に去って行った。
それを見届けると、ビスマッハは威儀を改めてウルスに詫びた。
「真に申し訳ござらぬ。あの者たちは最後に加わった仲間にて、何かと問題行動が多く、実はわしらも手を焼いておるのです。この後の話し合いでガーコ州への移住が決まったとしても、あの者たちは連れて行かぬようにいたします」
ウルスは「あ、そうだ」と声を上げた。
「そのことで、ぼくがうっかりハリスさんの名前を出したから、かれを怒らせてしまったんです。ハリスさんが国防長官だった時、取り締まられたらしくて」
「おお、それこそ逆恨みですな。で、あれば、猶の事、あの者たちとは、ここで袂を分かちまする」
「それはお任せします。あ、それから、お話のことですが、姉と話し合って、ぼくがさせていただくことにしました」
ビスマッハは、やや意外そうな顔をした。
「それは構いませんが、失礼ながら政治向きのお話は、ウルスラさまのご担当だと思っておりました」
ウルスは少し頬を赤らめた。
「まあ、そうなんですが、今回の件は農業や商業に関することですし、何よりもぼくの親友のことをお話ししたいので」
「ご親友?」
「ええ。ゲルヌです」
「おお、その噂は聞いたことがごさいます。ですが、そのお話をされると、ご身分が知られてしまうのでは?」
「そこは、まあ、考えがあります」
ウルスは微笑んだ。
ゲオグスト商人組合の面々が集まって来るのを待つ間に、人間形に戻ったゾイアに、ファーンは預かっていた服を返しながら「着替え終わったら、少し話がある」と告げた。
ゾイアは手早く服を着ると、「何でしょう、お母さん?」と尋ねた。
ファーンは何故か面映ゆそうな顔で、「まあ、座って話そう」と芝が自生している場所を示し、先に座った。
ゾイアが横に座るのを待ち、ファーンは大きく息を吐いてから話を始めた。
騙すつもりではなかったが、おまえに母と呼ばれるうちに、自分でもそういう気になっていた。
実際、もし普通に嫁に行っていれば、おまえぐらいの年頃の息子がいてもおかしくはないからな。
が、わたしはおまえの母ではない。
赤の他人だ。
どこかに本当の母がいるのかもしれぬが、少なくともわたしは知らぬ。
おまえを傷つけぬために、ずっと母のフリをしようかとも思っていたが、今が潮時だと思う。
何故なら、ここからおまえと別行動をとるつもりだからだ。
この後の話し合いで、恐らくは移住の話が纏まるだろう。
と、なれば、誰かが安全に誘導し、ハリスどのに引き合わせねばならぬ。
それはわたしにしかできぬ仕事だ。
しかし、おまえにはウルス王/ウルスラ女王をお護りするという大事な役目がある。
よって、ここからは、おまえ自身で考え、行動せねばならぬ。
そのために真実を告げることにしたのだ。
良いな、ゾイア?
話しながらファーンは涙を零していたが、心配させまいとしてか、少年ゾイアはグッと堪えていた。
そして、涙を流さずに答えた。
「はい、そのようにいたします、おか……ファーンさん」




