1296 遥かなる帰路(25)
竜騎兵の生き残りだというマオール人に、救けて欲しいと言われたゾイアは返事に困った。
と、心の奥の方からウルスラの声が聞こえて来た。
……ゾイア、わたしの言うとおりに伝えてちょうだい……
その間、なかなか返事をしないゾイアに、マオール人は諦めたように嘆息した。
『やはり、おまえが森の精霊であっても無理な頼みか……』
立ち去ろうとするマオール人の前で、巨大な鳶の人面の部分の口が再び開いた。
『待つがよい。われは霊界の存在故、人界に関与することができぬが、おぬしの望みを人に伝えることはできる。今、魂のみ飛ばしてカリオテ大公国の者と話した。おぬしたちを連れて行くことはできるが、東廻り航路が使えぬ以上、マオール帝国へ行くのは無理だという。いっそ、カリオテに帰化してはどうか、と言っておるぞ』
この極めて世俗的な回答をどう思ったのか、マオール人の兵士は苦渋の表情で答えた。
『有難きお話しなれど、今更帰化をする気はない。できれば、カリオテの一隅に置いてもらい、東廻り航路の再開を待ちたいのだ』
『わかった。そのように伝えよう。では、この門は撤去してくれるか?』
マオール人は悲しそうに笑った。
『そうすべきとは思うが、最早その力もない。おまえが本当にスピリトスであるのなら、何とかしてもらえぬだろうか?』
半ば試すように言われ、ゾイアは『容易いことだ。少し離れておれ』と告げた。
マオール人兵士が道から外れると、ゾイアは人面の部分をグッと前に突き出し、口から猛烈な勢いで火を噴いた。
魔道にも発火の技はあるが、これに比べれば子供の火遊びのようなものであろう。
寄木細工のような門は忽ち炎に包まれ、一瞬にして燃え落ちた。
多少は疑いを感じていたであろうマオール人は、それを見て平伏している。
ゾイアは口を戻し、『ここで待っておれ』と告げて飛び去った。
同じ頃、馬車を止めた傍で目を閉じて集中していたウルスラが、パッと目を開いた。
「上手く行ったわ。少しは怪しまれたかもしれないけど、提案は受け入れてくれた」
それを聞いて、ギータがホッとした顔になった。
「すまんの。わしの読みが甘かった。肉体的には最強でも、心は子供。駆け引きなどできるはずもない。ウルスラが気づいてくれて良かったわい」
すると、ファーンが苦渋の表情で頭を振った。
「謝るべきは、わたしだ。昔の悪行の結果が、このような形で残っていたとは。慙愧に堪えぬ。すぐにでも行って、ドラグンの者たちに詫びたい」
意外にも、これにはファイム大臣が反対した。
「それは止めた方がよい。かれらも昔の恨み辛みが甦り嫌な思いをするだけだ。今は一刻も早く水と食糧を与え、充分に休養させた後、安全なわが国へ連れて行ってやるべきだ。その役目、喜んで引き受けよう」
ウルスラも頷いた。
「大臣にはご迷惑をお掛けして申し訳ないけど、わたしも仰るとおりだと思うわ。かられにとって今一番必要なのは、苦しみから救うことよ」
ファーンは深く頭を下げ、涙声で「わかりました」と応えた。
マオール人たちの保護のため、馬車に乗ったファイムと騎兵二十騎が先行し、隠形して同行する魔道屋スルージがそれを確認してから、ウルスラたちが通り過ぎることになった。
「それが要らざる軋轢を防ぐ手立てじゃな」
ギータが述べると、横に居たラミアンが疑問を呈した。
「多少ズラしたとしても、港や船の中、何よりもカリオテに着いてから、その、あの方と出会ってしまうんじゃありませんか?」
近くにファーンはいなかったのだが、ラミアンは気遣って名前を伏せたようだ。
ギータは皺深い顔で苦笑した。
「そこは専門家じゃ。いざとなれば隠形するじゃろうし、港でも船でも同じ場所にならぬよう配慮する。また、カリオテでは、マオール人たちは取り敢えず海難者の施設に入れるそうじゃ」
そこへ、ウルスラ、ファーン、ゾイアの三人が戻って来た。
「え? あれは、本当にファーンさん?」
ラミアンが声を上げたのも無理はない。
普段の女格闘家のような動き易い服ではなく、貴婦人が着るような華やかな旅装なのである。
それだけでなく、薄い化粧もしているようだ。
柄にもなく含羞んでいる本人の代わりに、ウルスラが説明した。
「わたしが持って来てる服を、ゾイアに、いいえ、ゾフィアに手直ししてもらったの。少しでも違った印象になるように」
ギータも、「おお」と声を出した。
「言われてみれば、ゾイアも顔立ちが少女のものになっておるのう。ダークブロンドの髪も長くなっておるようじゃ」
と、ラミアンが「あ、でも」と割り込んで来た。
「あんまり女性ばかりだと、野盗なんかに狙われませんか?」
ウルスラの顔が上下し、瞳の色がコバルトブルーに変わった。
「ここからはぼくが表に出るから、まあ、ぼくとゾフィア、ラミアンとファーンという、恋人同士みたいな体の組み合わせでいいんじゃない? あ、ギータは余っちゃうけど」
ギータは「心配するな、スルージがおるわい」と皆を笑わせた。
ところが、そのスルージが慌てた様子で戻って来た。
「大臣ご一行は無事にマオール人たちを保護したんでやんすが、念のため街道の先の方を見に行ったら、野盗のような集団が隠れておりやした。四五十人はいそうでやんす」




