1295 遥かなる帰路(24)
ゾイアは上昇と共に変身したらしく、ゲーリッヒから与えられた服がヒラヒラと落ちて来た。
それを受け留めたファーンが「やはり、わたしも……」と、自分も飛び立とうとするのを、ギータが止めた。
「まあまあ、ここはゾイアに任せよ。おぬしは行かぬ方がいいと、あやつも言うておったじゃろう。それに、不謹慎なことを言うようじゃが、少年の姿になって以来、ゾイアの肉体は以前にも増して変幻自在になったような気がするぞ。将軍であった頃には、結構敵に斬られたり、矢が刺さったりしたと思うが、今はスルリと抜ける技を身につけておる。一見、弱々しく見えたとしても、あやつは今が最強じゃ。心配いらん」
ファーンは、フッと自嘲するように笑った。
「幼い頃、父から厳しく鍛えられているわたしを、母が泣いて庇おうとしてくれた。負けん気が強かったわたしは、要らぬお節介だと母に反発したものだ。今、その報いを受けているのだな」
横で聞いていたウルスラも「心配しないで」とファーンに声を掛けた。
「ゾイアに何かあれば『識閾下の回廊』でわかると思うから」
「ありがとうございます」
勿論、ゾイア自身は自分が心配されているなどとは思ってもみないようで、上昇しつつ滑らかに鳶の形態に変わると、順調に水平飛行に移って行った。
眼下には緑の絨毯のような大森林が広がっている。
その中に、明らかに異質な白い直線が走っているのが見えて来た。
これが『森の街道』であろう。
ゾイアは、その白い直線に沿って、南下して行った。
程もなく、白い直線を塞ぐように建っている門のようなものが見えた。
門といっても、伐り出した材木を継ぎ足し継ぎ足し作ったらしく、如何にも素人臭い。
ゾイアはミルウスの姿のままで急降下した。
と、門の蔭から一本の矢がそのミルウス目掛けて飛んで来たのである。
矢がミルウスの胴に突き刺さり、螺旋を描いて門の手前に落下した。
地面に落ちたミルウスを注意深く見れば、一滴の血も流れていないことがわかったであろうが、門の蔭から出て来た人物にはそのような余裕はなさそうであった。
細かな鉄片に黒漆を塗ったものを多数繋ぎ合わせた鎧のようなものを着ているのだが、既に大半の鉄片はボロボロになって千切れており、鎧としての役目は果たしていない。
その隙間から素肌が覗いているのだが、痩せて肌艶も悪かった。
顔もゲッソリと頬が痩けており、その目の細さから辛うじてマオール人であることがわかる。
もう何日も食べていないのであろう、既に涎を垂らしている。
矢が刺さったミルウスに走り寄って掴もうとしたが、その頭が蛇のように伸びて来て、マオール人の手を突っついた。
『うわっ! な、何だ、これ?』
怯えて飛び退った相手の前で、ゾイアのミルウスから矢が抜け落ち、立ち上がって巨大化すると共に、胸の辺りに人間の顔のようなものが浮かび上がって来た。
その口が開くと、少年とは違う重々しい声が響いた。
『われはこのガルム大森林の精霊である。ここはわれの通り道であるのに、何故このようなものを作って塞いだ? 正直に申さねば、取って喰らうぞよ』
その言葉はマオール語であり、空を飛べるのだから道を通る必要はないはずで、相手が冷静に考えれば矛盾だらけであったのだが、恐怖に駆られたマオール人は震えながら身の上を話し始めた。
正直に話すから、どうか喰わないでくれ。
わしらは竜騎兵の生き残りだ。
もう随分前、東廻り航路で中原に来た。
最初は宰相チャドスに招聘され、大元帥ドーンという者の援軍として出陣した。
ところが、ヌルギス陛下の義理の姪に当たるタンファンという女子に騙され、大蜥蜴と切り離されて、地下道を通ってガルマニア帝国に帰ることとなった。
一箇月程度で戻れるだろうとの読みは甘く、地下道で迷って散り散りとなり、当初八千名であったのが、数百名ずつぐらいの軍団に分かれ、時期も場所もバラバラに地上へ出たようだ。
よって、わしらの軍団以外の者たちがどうなったか知らぬが、凡そは同じ経過を辿ったことだろう。
わしらの軍団はプシュケー教団の援助を受けたりもしたが、大半は途中で帰国を諦め、それぞれの土地で帰化することを選択した。
三年後、漸くガルマニア帝国に到着した時には百名程度にまで減っていたが、内戦の真っ只中で、タンファンはおろかチャドスもおらず、右往左往するうちに帝国そのものが崩壊してしまった。
代わってできたアーズラム帝国では、ハリスという将軍がマオール人に良くしてくれるとの噂を聞き、その許へ半分以上が行った。
その後、政変があったそうだが、ハリスは律儀にマオール人を護ってくれたというので、更に半分が去った。
残ったわしらは、もう二十名しかおらぬ。
ただ、それでも猶ここまで来たのは母国マオールへ帰りたい一心からだ。
この『森の街道』を南へ行けば、東廻り航路へ行く港があるはずだ。
ああ、無論、今は東廻り航路が通れないことは知っている。
それでも歩いて港まで行ってみようと決めたが、如何せん、水も食糧も尽きた。
街道の脇で皆へたり込んでいる時、騎兵に護られた美々しい馬車が通るのを見かけた。
紋章を知っている者がカリオテ大公国のものだと言うので、帰りを待って連れて行ってもらおうと思ったのだ。
が、普通に頼んでも止まってくれぬだろうから、皆で必死にこの門を建てた。
わし以外は、過労で動けなくなり、近くで寝ている。
おまえがスピリトスとやらであるのなら、どうかわしらを救けてくれぬか?
ゾイアは返事に窮した。




