1294 遥かなる帰路(23)
猩々に捕まってしまったウルスは、しかし、意外にも平静であった。
「いざとなれば姉さんと交替して逃げれるし、あんまり敵意を感じないしね」
これは独り言ではなく、ウルスラに説明しているのであろう。
その時、ラミアンから異変を聞いたらしいファーンとゾイアが大木の近くまで飛んで来た。
ウルスを抱えているポンゴは、警戒するように二人の動きを目で追っている。
空中浮遊しながら目を細めて様子を見たファーンが、ポンゴを刺激しないよう小声で尋ねた。
「お怪我は?」
ウルスも囁くように答えた。
「大丈夫だよ。ポンゴは草食性だし、これは想像だけど、彼女はぼくを護ってくれたんだ」
「彼女? 護る?」
「そう。このポンゴは雌で、年齢から考えて母親だと思う。ラミアンが急に大声を出したから、咄嗟にぼくを救けようとしてくれたんだよ」
身につまされたのか、ファーンはチラリとゾイアを見た。
「わかりました。しかし、このままではわたしたちの身動きが取れませぬ。ウルスラさまに替わられて、どうぞお逃げください」
「うーん、それも考えたけど、いきなり逃げると、彼女が可哀想じゃない? ちょっと待ってて、ちゃんと説得するから」
「説得?」
訝るファーンに片目を瞑って見せると、ウルスはポンゴに話しかけた。
「救けてくれてありがとう。でも、仲間が来たからもう大丈夫。帰らせてくれない?」
言葉が通じるとは思えなかったが、ウルスは同じ言葉を感情を込めてもう一度繰り返した。
すると、ポンゴはウルスを抱いたまま、スルスルと幹を下り始めたのである。
ファーンとゾイアも同じ速度で一緒に降りて行く。
地面に着いたところで、ポンゴはそっとウルスを放した。
改めてウルスが「ありがとう」と礼を述べると、ポンゴはそれに応えるかのように小さく鳴くと、森の奥へ去って行った。
感に堪えないという表情で、ファーンが聞いた。
「新しい魔道ですか?」
ウルスは苦笑して首を振った。
「違うよ。でもなんとなく、話せばわかってくれるんじゃないかな、って気がしたんだ。言葉の意味は理解できなくても、気持ちは通じたんだと思う」
「成程」
そこへ半泣きのラミアンが駆け寄って来た。
「ああ、良かった! ご無事だったんですね、陛下!」
ウルスは慌てて口に指を当て、「静かに」と告げた。
「また心配して戻って来ちゃうよ」
「え?」
訳がわからずキョトンとしているラミアンを見て、ウルスとファーンは吹き出した。
ゾイアだけは森の奥へ消えたポンゴのことを思い出しているのか、「既存種に比べて随分大型だな。やはり過剰な理気力の影響だろうか?」と呟いたが、その直後には「あれ、何だっけ?」首を傾げた。
ファイム大臣の馬車が追いつく頃には、先行していたギータも心配して戻って来た。
「ほう。ポンゴがのう。まあ、何にせよ、ウルスも一国の王なのじゃから、もう少し自重せんとな」
敢えて苦言を述べたギータに、ウルスは素直に「ごめんね」と謝ったものの、すぐに昂奮した口調で付け加えた。
「でも、凄いんだよ! バロードにだって樹はあるけど、こんなに大きくはならないからね。やっぱり、降雨量の差かなあ」
すると、ラミアンも口を挟んで来た。
「そうですね。バロードのある中原西部は乾燥地帯ですから。それに、土壌の養分もいいのでしょう。但し、あそこまで幹が太くなってしまうと、簡単には伐採できません。ガルム大森林奥地の出身であるヤーマン大統領が、旧ザネンコフ領の樹々が細くて真っ直ぐであることに感激し、そこに首都を定めたのも宜なるかなと存じます」
また話が横道に逸れそうな気配を察し、ファイムが提案した。
「ともかく、『森の街道』に入ったら馬車も楽に進めるでしょうから、なるべく固まって行きましょう。ガルマニア帝国が管理していた時代と違い、治安も心配ですし」
ギータが「おお、そうじゃな」と話を纏めようとした時、一行に先立って街道の下調べに飛んでいた魔道屋スルージが、「大変でやんす!」と叫びながら飛んで来た。
「街道の途中にでっかい門があって、通れなくなってやす!」
真っ先に驚いたのはファイムである。
「そんな馬鹿な! つい先日街道を通って来た時には、そのようなものはなかったぞ!」
と、ウルスの顔が上下して、瞳の色が限りなく灰色に近い薄いブルーに変わった。
「恐らく、良からぬ者たちが通行止めしてお金を要求するために造ったものでしょうね。他の旅行者の迷惑にもなるから、この際、わたしたちで排除しましょう。いいですか、ファイム大臣?」
勇ましい提案にファイムはちょっと鼻白んだが、返事をする前にギータが助言した。
「わしもそうすべきとは思うが、相手がどのような集団で、人数が如何ほどかも知らずに攻めるのは無謀すぎる。スルージはどう見た?」
スルージは困ったようにモジャモジャの髪の毛を掻いた。
「それがその、びっくりしちまってよくは見なかったんですが、門の近くには人っ子一人おりやせんでした」
横で話を聞いていたファーンが「わたしが行って確かめよう」と言うと、ゾイアが「ぼくが行くよ、お母さん」と割り込んで来た。
「なんとなくだけど、お母さんは行かない方がいいような気がするんだ」
ファーンはハッとして、「まさか、マオール帝国か?」と訊いた。
「わからない。でも、何かわかったら、取り敢えず戻って来るよ」
返事を待たず、ゾイアはその場から急上昇した。




