1293 遥かなる帰路(22)
翌朝、ウルスたち一行はゲオグストを後にし、『森の街道』の入口へ向かった。
最早隠れる必要もないため、馬に乗れないファイム大臣以外は、ゲーリッヒが好意で提供してくれた馬に乗っている。
ゾイアも少し身長を伸ばし、ファーンと別の馬に乗っていた。
「お母さんに甘えてばかりではいけないと思ったので」
少し恥ずかしそうに、ファーンにそう告げたという。
自分は騾馬に乗っているギータがそれを聞き、「ならば、わしがファーンの前に乗ってもよいぞ」と冗談を言ったが、意外に淋しそうなファーンの顔を見て、それ以上揶揄うのを止めた。
一方、ウルスはラミアンと馬を並べ、ガルム州の農業振興について持論を戦わせていた。
「野菜や根菜もいいけど、やっぱり小麦を育てるべきだと思うんだ」
「でも陛下、狩猟の合間となると、手が行き届かないでしょう?」
「うーん、そこだよね。専業の農民がいないからなあ。と、なると、或る程度は入植者を募るしかないだろうね。ああ、そうか、ギルマンの例を参考にしたらいいな。今度、ゲルヌに聞いてみよう」
「おお、そうですね。それが糸口となって、ご兄弟の仲が元に戻ればいいですね」
屈託なく言うラミアンと違い、ウルスは吐息混じりに「だといいけど」と呟いた。
かつて帝都であったゲオグストはガルム大森林の際に立地していたため、出発して程もなく、一行の眼前に緑の壁のような大森林が現れた。
馬車とお付きの警護兵たちはどうしても遅れがちになるため、身軽なウルスたちが先行する形になり、中でも気が急くのかウルスの馬が突出し、その少し後ろをラミアンが並走している。
以前、人質として連れて来られた時にはじっくり大森林を見ることができなかったウルスは、早くも大昂奮していた。
「見てよ、あの樹々の幹の太いこと! ああ、恐らく何百年、いや、何千年も手付かずのまま育ったんだよ!」
ウルスほど興味がないらしいラミアンが、渋い顔で評した。
「でも、随分捩じくれて絡み合っていて、ちょっと気味が悪いですね」
すると、いつの間にか追いついて傍に来ていたギータが教えた。
「緑の迷宮とも云われておる。この大森林の原住民であるガルム族以外、一度迷い込んだら出て来れないとの伝説もある。が、わしの調べたところ、これは敵に攻め込まれないようゲール帝が作った話であるらしく、古来より人の出入りはかなりあったようじゃ。が、まあ、難路であることは間違いない。ここから少し南へ下ると、街道の入口じゃ。さあ、行くぞ」
先に右に曲がって行くギータのミュールを見送りながらも、ウルスは未練がましくチラチラと横目で大森林の方を見ていたが、遂に我慢しきれなくなったようにラミアンに告げた。
「ねえ、ちょっと」
皆まで言わせず、ラミアンは「駄目です」と即答した。
「ギータさんのお話をお聞きになったでしょう? 多少ゲール帝が話を盛ったとしても、危険であることに変わりはありませんよ」
が、ウルスも諦めなかった。
「だったら、中までは入らない。外から見るだけでいいんだ。頼むよ、ラミアン」
王さまにここまで言われては断れない。
ラミアンは押し切られ、「本当に見るだけですよ」と念を押しながらも、ウルスと共に馬を前に進めた。
ウルスとラミアンが本来の経路を逸れたことは、その後ろを進むゾイアとファーンもすぐに気づいた。
「大丈夫でしょうか、お母さん?」
ファーンは目を細めて大森林の方を見ていたが、「うむ」と頷いた。
「近くに人の気配はないな。安全とは言えぬまでも、差し迫った危険はあるまい。ちょうど馬車も遅れていることだし、ここで馬を止めて待とう」
「はい」
大森林に近づくにつれて張り出した大木の根で足場が悪くなり、ウルスは途中で馬から下りて歩き出した。
ラミアンも慌てて馬を下り、二頭まとめて木立に繋ぐと、小走りでウルスを追った。
「お待ちください、陛下!」
ラミアンの声も耳に入らないのか、ウルスは歩みを止めず、一番手前の大木の前に立った。
「凄いなあ。岩みたいにゴツゴツしてる。樹皮を覆う緑色のものは苔だよね。これで樹齢何年ぐらいだろう? そういえば、街道の途中に『万年樹』というのがあるらしいけど、愉しみだなあ」
ウルスが幹に触れようと近づいた、その時。
頭上でザッと枝が揺れるような音がしたかと思うと、何か黒い塊のようなものが落ちて来た。
「え?」
驚くウルスの目の前に、毛むくじゃらで手足の長い大きな生き物が立っていた。
人間のような顔をしているが、勿論動物である。
でっぷりと太っており、顎の肉が弛んで垂れ下がっている。
向こうにとっても明らかに出合い頭であったらしく、目を丸くしている。
「あ、思い出したぞ。動物図録に載ってた猩々だ。でっかいなあ」
ウルスが小声で独り言ちた時、背後で悲鳴のようなラミアンの声が上がった。
「陛下、お逃げください!」
が、逆にその声に怯えたのか、ポンゴはサッと手を伸ばしてウルスを抱きかかえ、樹上へ逃げたのである。
「ああああっ、陛下ーっ!」




