1292 遥かなる帰路(21)
賑わっている広場から少し離れた木蔭に、少年ゾイアは佇んでいた。
今夜は満月に近く、明るく照らされているのに、ゾイアの表情は暗い。
と、背後から小さな足音が聞こえ、ゾイアはハッとして振り返った。
「あ、ギータさん……」
歩いて来たのは小人族のギータであった。
多少酒を飲んだらしく、皺深い顔が赤らんでいる。
「こんなところにおったのか。せっかくのご馳走じゃから、少しは食べたらどうじゃ?」
「すみません、食欲がなくて……」
「そうか。まあ、おぬしは食べずとも平気じゃろうから、無理には勧めぬ。ならば、少し話そう。その辺に座らぬか?」
「はい……」
二人は手頃な切り株に腰を下ろした。
「悩みがあるのじゃろう?」
ギータに聞かれたゾイアは、大きく息を吐いた。
「悩み、というか、自分でもよくわからないんです。ぼくって、何なんでしょう?」
ギータは、フッと笑った。
「同じじゃなあ」
「同じ?」
「ああ。あれはもう随分前のことになるが、大人の姿であったおぬしから、同じ悩みを打ち明けられたことがあったよ。その時と答えは一緒じゃ。どのような姿になろうとおぬしは人間、ありのままでよい、とな」
「ぼくは人間、ありのままでいい……」
「そうじゃ。自分が何故他の誰でもなく、この自分なのか、という問いに答えられる者など、この世におらぬ。まあ、神さまなら知っておられるだろうがの。神ならぬ身のわしらは、ありのままの自分を受け入れて生きるしかない。どうじゃ、少しは納得できたかの?」
ゾイアは再び大きく深呼吸すると、ニコッと笑った。
「そうですね。ぼくもありのままの自分を受け入れます。ああ、そうだ。やはり何か食べることにします。ギータさんも一緒にどうですか?」
「おお、いいじゃろう。わしはつまみ程度でよいが、もう少し飲みたいでな」
結局、ウルスたちはゲオグストに三泊した。
ウルスはガルム族の生活を熱心に見学すると同時に、自分が持っている豊富な農業の知識を伝授して喜ばれた。
ラミアンは、秘書官として影のようにウルスに付き従い、その言行をこまめに記録した。
ファイムはゲーリッヒと具体的な貿易交渉を進め、専門家でもあるギータがそれに助言した。
魔道屋スルージは、『森の街道』とその先の港の安全を確認するため、先行して出発した。
そして、ファーンとゾイアは産後間もないミラと新生児ウルフガンクの看護に努めたのである。
いや、ゾイアはミラの部屋に出入りする時は少女の姿となっており、男名前では変だからとミラが言うので、ゾフィアという名にした。
驚くほど的確に赤ん坊の世話をするゾフィアに比べ、こういうことが不得手なファーンは戸惑いながらも、嬉しそうに自分の役目を果たした。
それぞれが充実した三日間を過ごし、明朝はもう出発という夜、ウルスはゲーリッヒに呼ばれた。
自宅とは別にある、州総督の執務用の家で待っていたゲーリッヒはいつもの毛皮の服ではなく、麻で作らせたという涼しそうな部屋着姿であった。
服装そのままの気軽そうな笑顔で、ウルスに椅子を勧めた。
「まあ、座ってくれ。別に堅苦しい話じゃねえんだ」
ウルスが座るのを待ってゲーリッヒは話し始めたが、そう見せたがっているほど気軽な内容ではないらしく、やや緊張しているのが見て取れた。
大きく息を吐くと、らしからぬ小さな声で話し始めた。
先ずは、改めて礼を言わせてくれ。
ミラの出産に立ち会ってくれた姉ちゃんもそうだが、おめえの助言で来年は豊作が見込めそうだとみんな喜んでた。
カリオテとの貿易も上手く行きそうだし、おれも将来への希望が膨らんでる。
ただ、どうしても気になることがあって、おめえが言い出すのを待ってたんだが、おれを気遣って言いそうもねえから、おれから聞くことにした。
それは、おれの弟たちのことだ。
未だに行方不明の太っちょゲルカッツェと、何やら怪しげな宗教にかぶれてエイサに『神聖ガルマニア帝国』とやらを創ったゲルヌのことだ。
ああ、わかってる。
おれも今更あいつらをどうこうしようとは思っちゃいねえ。
昔からゲルカッツェは大嫌いだったが、皇帝になったのは本人の考えじゃなく、チャドスに利用されただけだってことは、おれだってわかってる。
ましてや、ゲルヌはおれなりに可愛がったし、まあ、一時は辛く当たったこともあるが、本気で臣下に落とすつもりじゃなかった。
今にして思えば、おれはゲルヌに嫉妬してたんだな。
親父も死ぬ直前は、どこへ行くにもゲルヌを同行させてたよ。
あれから色々あって自分でもわかって来たが、おれは皇帝の器じゃねえ。
今のエクサルコスって肩書も重てえくらいだ。
が、ゲルヌは違う。
或る意味、親父以上の器量がある。
あいつが新しいガルマニア帝国皇帝になるなら、おれはそれでもいいと思ってる。
しかし、今のまんまじゃ、それは無理だと思う。
あいつの仲間の赤目族が信仰しているという魔道神は、本当の神さまじゃねえ。
何やら得体の知れねえ代物だ。
それぐれえは、おれにもわかる。
チャドスがゲルカッツェを利用したのとは違うが、自分たちの目的のためにゲルヌを使っているんだ。
まあ、その目的は、悪いことじゃなさそうだがな。
ああ、そうさ。
おれは心配してるんだ。
取り越し苦労だとは、わかってるがな。
おめえはゲルヌと親友なんだろう?
あいつが変な方向に走らねえよう、時々忠告してやってくれねえか。
それと、偶には顔を見せるように言ってくれ。
おれは今でも兄貴だからな。
おお、それに甥っ子が生まれたことも教えてやってくれよ。
ふふん、まあ、そういうことで、よろしく頼むぜ。
聞き終わったウルスは少し目を潤ませながら、「必ず伝えるよ!」とゲーリッヒの手を握った。




