1287 遥かなる帰路(16)
ゲーリッヒ、ファーンとゾイア、ウルス、ラミアンの順に馬が進み、前方に小さな森が見えて来たところでゲーリッヒが馬を止め、馬首を巡らせた。
「ここらでいいだろう! ガルム大森林までは遠すぎるからな!」
後の三頭が次々に到着すると、ゲーリッヒは白い歯を見せて笑った。
「タンファンはともかく、お坊ちゃん二人は良くついて来たな。さすがに馬術が盛んなバロードだけのことはある。が、当然、未開拓の森の中は、馬じゃ走れねえ。その辺の木立に繋いで、ここから歩くぜ」
馬を下りて各自が手近の樹に繋ぐと、真っ先にウルスがゲーリッヒに質問した。
「この森は猟場の一つ?」
「そうじゃねえ。とりあえず、狩りの見本を見せるためさ。ここに鹿がいるのは知ってるからな。まあ、警戒心が強いやつだから上手く仕留められねえかもしれねえが、それが狩りってもんだからよ」
「ガルム族の主な獲物はケルウス?」
「いや。一番は猪だな。兎も結構獲るぜ。やっぱり、狩り易くて利用価値のあるものがいいからな」
「熊は?」
ゲーリッヒが片頬で笑った。
「自分に名前が似てるからか? 残念だが、あいつらは獲物じゃねえよ。逆さ。おれたちがあいつらの獲物なんだ」
「じゃあ、気をつけなきゃ」
「ん? どういう意味だ?」
ウルスは黙って近くの樹の幹を指した。
ゲーリッヒの頭より高い位置に、爪痕のような疵がある。
ゲーリッヒは舌打ちしたが、「気にすんな」と言った。
「新しいものじゃねえ。臭いもしねえし、大丈夫だろう。第一、近くにウーススがいりゃあ、馬が騒ぐさ」
「疵が古いものとしても、縄張りの目印かもしれないよ」
「ビクビクすんな。これぐらいのこと……」
笑い飛ばそうとしたゲーリッヒの表情が強張った。
樹に繋いだ四頭の馬が、怯えたように嘶き始めたのである。
ファーンが厳しい顔で「とにかく、一旦ここを離れた方がよい」と告げると、ゲーリッヒも不承不承「そうだな」と頷いた。
と、ラミアンが裏返った声で叫んだ。
「あ、あれ!」
森の奥から、黒い颶風のようなものが迫って来ている。
猛々しい咆哮も聞こえて来た。
ゲーリッヒは顔を顰め、「危えな、こりゃ」と呟くと、持って来た弓と矢に一瞬目を走らせた。
が、一本や二本の矢で斃せるような相手ではない。
すぐに首を振って叫んだ。
「みんな、今すぐ馬に乗って散り散りに逃げろ!」
が、ファーンは既に刀子を構えており、臨戦態勢に入っていた。
「心配するな! 即効性の毒を使う!」
すると、何故かウルスが反対した。
「駄目だよ! 肉が食べれなくなるし、毛皮も傷んじゃう! ぼくに任せて!」
止める間もなくウルスが前に飛び出した。
ファーンは咄嗟に跳躍しようとしたが、横に居た少年ゾイアが、「大丈夫、見てて」と制した。
ウルスは指先に指を当て、息を吹いた。
ウルスの息は白くなり、キラキラと霜のようなものも伴っていた。
それでも、風圧としては大したことはなく、ウーススの猛進を止められるようには見えない。
が、白い霧のように広がるウルスの息の中に入ると、目に見えて速度が落ちて来た。
次第に普通に走る速さとなり、歩き始め、それもどんどん遅くなって、それでもウーススは唸りながら、一歩一歩息を吹き続けるウルス目掛けて進んでいる。
ウルスの目前まで迫ったが、そこで遂に歩みを止め、ウーススは全く動かなくなった。
逆にウルスの方から近づくと、指でチョンと鼻面を押した。
それだけでウーススの巨体がドウッと横倒しになった。
ウルスは笑顔で振り返ると、「ゲーリッヒさん、トドメをお願い!」と頼んだ。
ゲーリッヒは肩を竦め、呆れた顔で「こんな魔道、見たことねえや」と呟いた。
が、すぐに気を取り直し、懐から狩猟用の短刀を出した。
「血が飛ぶから、ちょっとどいてろよ」
「うん」
ウルスは素直に横に移動したが、半ば凍ったウーススからは、然程血も出なかった。
後の行程はさすがに熟れたもので、スッスッと皮を剥ぎ、手際よく肉を切り分けて行く。
そのある意味残酷な光景を、ウルスは喰い入るように見ている。
ゲーリッヒも思わず途中で手を止め、「気持ち悪くねえのか?」と訊いた。
ウルスは真顔で首を振り、「だって、大切なことだもの」と答えた。
「ぼくらは生きものを食べなきゃ、死んじゃう。だから、自然の恵みに感謝して、殺した獲物は無駄なく役に立てなきゃね」
「ほう。小生意気な姉ちゃんと違って、おめえはものの道理がちいっとはわかってるみてえだな」
ゲーリッヒは、その後は黙々と作業を続けたが、心なしか嬉しそうであった。
その間、ラミアンはずっと目を背け、時々口を押さえて空えずきしている。
ファーンは無論、解体は平気のようだが、「そうか。あの技でわたしの放った大蜥蜴を始末してくれたのだな」と、慚愧の念に駆られているらしい。
一方、ゾイアだけはそちらを見ず、周囲を警戒していた。
「狼がいないといいけど……」
と、そのゾイアの心配が具現化したかのように、ルプスの遠吠えが聞こえて来た。
それも、一頭や二頭ではなさそうだ。
ゾイアは慌てて警告を発した。
「ルプスが来るよ! みんな逃げて!」




