1285 遥かなる帰路(14)
「止めよ、ゾイア!」
咄嗟に叫んだファーンの声に応じたゾイアが空中で停止すると、牛酪を切るようにスルリとその身体を剣が走り抜けた。
反射的に剣で薙いだゲーリッヒも呆れたように、「化け物だな」と嘆息した。
「しかし、まあ、嘘偽り無く、本物の獣人将軍だったわけだ。それなら、こいつも拘束するぜ」
太々しく笑うゲーリッヒに対し、身を乗り出して文句を言おうとしたファーンを制し、意外な人物が発言を求めた。
馬車の中に居た五人の中で、唯一人ゲーリッヒが拘束すると言わなかった秘書官ラミアンである。
「僭越ながら、ゲーリッヒさまは大変な間違いをなさろうとしていますね」
喧嘩を売られたと思ったのか、ゲーリッヒは皮肉で返した。
「何だと? てめえ一人取り残されたのが気に喰わねえなら、いいだろう。おめえも連れて行って、誰かの稚児にしてやろう。それでいいか?」
ラミアンは怒らず、寧ろ冷静に「まあ、お掛けください。それから、みなさんも落ち着いてください。これから外交交渉をいたしますので」と殺気立つ仲間たちも宥めた。
毒気を抜かれたようにゲーリッヒがドカリと座ると、ファーンもゾイアの手を引いて奥に行き、ギータとスルージも自然にその傍へ座った。
そこへ、成り行きを心配したウルスラとファイム大臣も戻って来たため、ラミアンは司会者のように二人も座らせた。
如何に広い馬車でも、八人が車座で座れば互いの距離は近い。
ゲーリッヒは「窮屈だな、言いたいことがあるなら早く言えよ」と文句を言ったが、最初に乗り込んで来た時のような勢いはなかった。
それではお話しさせていただきます。
え?
ああ、大丈夫ですよ陛下、もう溺れた影響はありませんから。
さて、ぼくがこれからお話しするのは、損か得か、ということです。
ゲーリッヒさまは、カリオテ大公国の馬車に他国人、つまりバロードの人間が乗っているのでは、との情報を基に、何か利益が得られないかと考えられたのでしょう?
正直なお答え、ありがとうございます。
そのこと自体に間違いはないと存じますが、方法が間違っています。
まず、ガルム州の置かれた状況を考えてみましょう。
旧ガルマニア帝国の皇帝直轄領だったとはいえ、現在のガルマニア合州国では、失礼ながら片田舎です。
帝都であったゲオグストは徹底的に破壊され、住民も立ち退かされたため、農業も商業も衰退しています。
ところが、各自治州は基本的に自給自足を義務付けられているそうですから、他州の援助は期待できません。
よって、ガルム州復興のためには外国との交易が必要です。
中でも、ゲーリッヒさまのお造りになった『森の街道』で繋がった沿海諸国と、大いに貿易を振興なさるべきです。
ガルム州からは動物の毛皮や木材を運び、沿海諸国からは海産物と香辛料を仕入れるのです。
各州は自給自足が原則とはいえ、商売は禁止されておりませんから、それを売ってください。
数年もすれば、ガルム州は合州国一の豊かな州になるでしょう。
さあ、その沿海諸国の盟主たるカリオテに、あなたは何をしようとしているのですか?
ここで、われわれの仲間を拉致すれば、カリオテの面目は丸潰れです。
如何に温厚なスーラ大公とて、お赦しにはなりますまい。
寧ろ、手厚く持て成すべきではありませんか?
今のは経済の面ですが、軍事の面はもっと深刻です。
あっ、その前に、ちょっと身の上話をさせてください。
ぼくが生まれる前、赤ん坊の兄が誘拐される事件がありました。
父母は必死に捜したそうですが、見つかりませんでした。
諦めきれぬまま、ぼくを出産した後、母は衰弱して亡くなりました。
その兄が、なんと生きていたのです。
但し、極悪非道な刺客となって。
今回、何も知らぬ兄はぼくを攫い、殺そうとしました。
ぼくはゾイアさまのお蔭で助かり、兄も多少改心したようです……。
……ごめんなさい、ちょっと、感極まってしまって。
はい、大丈夫です、続けます。
兄は、今回の婚礼にマオール帝国の特命全権大使として来ていましたが、実態は間諜でした。
その兄が、恐るべきことを申しておりました。
新たな皇帝となったヌルサンは、中原制覇の夢を忘れておらず、ガルム大森林を東西に貫く軍用道路の建設に着手したというのです。
ええ、そうです、ゲーリッヒさまの『森の街道』の真似です。
東西に何倍も長いガルム大森林ですから、一朝一夕には無理でしょうが、マオールの国力と人口を考えると、意外に早いかもしれません。
その軍用道路の出口は、当然ゲオグストです。
何故なら、そこから『森の街道』に繋げられるからです。
以前、ゲーリッヒさまが帝位にあられた頃、ガルマニアとバロードは地政学的な位置が同じだと仰ったそうですね?
つまり、背後が無防備だと。
その背後に、マオール帝国の侵略の手が伸びようとしているのです。
これは、ガルム州だけの問題でも、ガルマニア合州国だけの問題でもありません。
中原の危機です。
それに対抗するためには、バロード連合王国の援けがどうしても必要になります。
今は記憶を失くされておりますが、参謀総長ゾイアさま率いるバロード軍は、兄弟国エオス大公国軍と併せ、既に十万を超えております。
更に、無敵の聖剣もございます。
このバロードと敵対するのは馬鹿げたことです。
できれば同盟すべきですし、当座は友好関係を保つべきです。
よって、このまたとない機会に、カリオテ大公国およびバロード連合王国と仲良くなさってはいかがですか?
それこそが、ガルム州にとっての本当の利益となりますよ。
ぼくの話は以上です。
ゲーリッヒさま、お考え直していただけませんか?
ラミアンの長広舌を我慢して聞いていたらしいゲーリッヒは、顔を顰めて告げた。
「うるせえな」




