1282 遥かなる帰路(11)
リーロメルは巨大化したゾイアと向き合い、魔眼によって服従を命じた。
獣人化した首から下と異なり、少年の顔のまま大きくなったゾイアのアクアマリンの瞳が、忽ち暗黒に塗り潰された。
「ぼく、僕?」
譫言のように尋ねるゾイアに、同じ暗黒の目をしたリーロメルは、勝ち誇った笑顔で念を押した。
「そうですとも。さあ、その身体を元に戻し、わたくしと共にマオールへ行くのです」
返事をしようとしたゾイアの口が不自然に止まり、喉の辺りから抑揚のない声が響いた。
「……不正アクセスを拒否。必要な対抗処置を採ります……」
真っ黒だったゾイアの目がアクアマリンの瞳に戻り、それに同調するようにリーロメルの目もコバルトブルーに戻った。
「あっ、これは」
何か思い当たったらしいリーロメルが逃げようと身を翻した時には、毛むくじゃらのゾイアの巨大な腕に掴まれていた。
そのまま強引にゾイアの正面に連れ戻され、顔を向けられたが、ギュッと両目を閉じている。
一方のゾイアの目は再び暗黒に転じた。
「……目を開けよ、ロメル……」
ゾイアの喉から出る声はリーロメルの本来の名を呼んだが、頑なに目を開けようとしない。
その間に桟橋の方から、ギータの「スルージ、今のうちにラミアンを救けるんじゃ!」という声が聞こえ、「合点だ!」という返事と、水に飛び込む音が響いた。
が、空中の二人は依然として動かない。
と、ゾイアの暗黒の目から、細い青白い光線が放射され、リーロメルの全身をなぞるように走査した。
「……遺伝子解析終了。配列が極めて近似する者を発見。98パーセント以上の確率で、ラミアンなる個体と兄弟関係にあると推定される……」
「な、何だって!」
驚きの声を上げて目を開いたリーロメルは、ゾイアの暗黒の目を見た瞬間に両目が真っ黒になり、同時に表情が緩んだ。
「……ああ、老師、ごちそうさまでした。本当に、あなたが養父であればどんなに良かったかと悔やまれます。ですが、わたくしを虐待した養父のことは忘れ、老師のご助言を胸に精進いたします」
夢を見ているように呟くリーロメルに、ゾイアの喉から出ている声が告げた。
「……反社会性人格と判定。簡易的な治療を施し、自然治癒に委ねる……」
再び青白い光線が放射されたが、リーロメルの頭部に集中していた。
ゾイアの目が普通に戻り、同時にリーロメルの目もコバルトブルーに戻った。
「……わたくしは、いったい、どうしたのでしょう?」
茫然とした表情で聞くリーロメルに、今度は少年ゾイアの口から「お母さんの縄を解いたら、帰っていいよ」と答えた。
「お母さん? おお、そうですね」
リーロメルが右手を下に伸ばすと、ファーンの身体を締め上げていた魔縄が外れ、手許に引き寄せられた。
向うの方でも、「ラミアンの坊ちゃんはご無事でやんす!」というスルージの声がした。
リーロメルはそちらに目を走らせると、「わたくしに弟が……」と感に堪えないように独り言ちた。
「事情はわかりませんが、確かに顔が似ていますねえ。おお、そういえばウルス王もそのようなことを仰っておられましたね」
改めてゾイアの方を向くと、始めて見せるような人間的な微笑みを浮かべていた。
「なんだか長い悪夢から醒めたような気がします。帰ってよいとの仰せですが、もうマオールに戻る気にはなれません。暫く、一人で旅をしてみようと思います。それでは、ごきげんよう、ゾイアどの」
リーロメルが飛び去ると、ゾイアは少年の体型に戻り、地上に降りた。
「お母さん、大丈夫ですか?」
ファーンは苦笑して「大事ない」と答えると、自分のマントを脱いで全裸のゾイアに着せてやった。
「とりあえず、これを羽織っておけ。ミハエルの服は破れてしまったから、別の服を手に入れてやろう」
そこへ、ポーンとギータが跳んで来た。
「ふむ。ラオーランでのヌルサン皇子との一件があった故、大丈夫であろうと思いつつも本人が少年のままなのが気になっておったが……。まあ、結果的には、それが相手の油断を招き、却って良かったようじゃの。もう襲って来ることもあるまい。それより、どうじゃ、おぬしもウルスラたちと合流せぬか?」
ファーンは少し考えたが、「そうだな」と頷いた。
「ゾイアを送り届けたら帰るつもりでいたが、今のこの状態のままでは心配だ。本来のゾイアに戻るまでは、傍についていよう」
話の成り行きを不安そうに聞いていたゾイアが、嬉しそうに笑った。
「お母さんと一緒だね?」
ファーンは、少し照れたように「ああ」と答えた。
五人は昼前にはファイム大臣一行に合流した。
溺れかけてグッタリしているラミアンは、止められたままのファイムの馬車に寝かされ、ウルスラが癒しを施した。
着替え終わって横でそれを見ていたゾイアが、「あっ」と声を上げた。
「思い出した。ぼくにヒーリングしてくれたのは、リサさまだ」
ウルスラは手を翳したまま、「ええ、そうよ」と応えた。
「それに、あなたもヒーリングができるのよ」
「へえ、そうなんだ」
ウルスラはフフッと笑ってしまった。
「何でも教えてくれたゾイアにわたしが教えるなんて、ちょっと、くすぐったい感じ。でも、幼いゾイアも悪くないわ。新しい弟ができたみたいで」
すると、またゾイアが「思い出した」と言った。
「ウルスラさまを護るようにぼくに頼んだのは、妹さんだよ。レ、レイ、うーん」
「レイチェルよ」
「そうそう」
すると、寝ていたラミアンも「ぼくも話に混ぜてくださいよ」と笑った。
和やかに話す三人以外の面々は、馬車の外で今後の進路を話し合っていた。
「なるべくガルム州は避け、南下してハリスどののガーコ州に入った方が安全じゃろうのう」
ギータが提案すると、意外にもファイムが反対した。
「それはどうでしょう。『森の街道』の入口はガルム州にあります。そこからグッとガルム大森林に入り込んでいるので、ガーコ州辺りでは、州境からかなりの距離、大森林を横断することになります。なあに大丈夫ですよ。来る時にはガルム州を何事もなく通りましたから」
スルージが「それじゃ、あっしが先行して見てきやしょう」と言うと、ファーンも「ならば、わたしも同行しよう」と告げた。
「ゲーリッヒが、カリオテ大公国一行にウルスラ陛下やゾイアが居ることを知れば、何かに利用しようと考えるかもしれぬ。用心に如くはないからな」




