1279 遥かなる帰路(8)
バスティル村を出たゾイアとファーンは、途中で馬を買い入れた。
ゾイアを前に乗せ、ファーンはその指示のとおりに馬を走らせて、先行するカリオテ大公国一行との距離を順調に詰めていた。
ところが走行中、不意にゾイアが「待って!」と叫んだのである。
馬を止めたファーンが「どうした?」と聞いても、すぐには答えない。
胸の辺りを押さえて目をギュッと閉じている。
「苦しいのか?」
再度尋ねたが、何も言わず、微かに首を振った。
ファーンは周囲を見回して危険がないことを確認すると、「少し休もう」と告げて先に馬を下り、ゾイアを抱き下ろした。
ゾイアを手頃な岩に凭れさせ、近くの樹に馬を繋ぐ。
目を瞑ったままのゾイアの表情を見ながら、気遣わしげに「病気ということはあるまいが」と呟いた。
と、ゾイアの目が開いたが、その瞳は限りなく灰色に近い薄いブルーであった。
「……ここは?」
その声も少年のものではなく、少女のようである。
ファーンはハッとして、「若しや、ウルスラ陛下でしょうか?」と聞いた。
漸く焦点が定まったのか、その特徴的な瞳が確りファーンの顔を捉えると、「おお」と声を上げた。
「ファーンさんね。と、いうことは……」
「はい。今陛下はゾイアどのの身体にいます」
「ああ、良かった。まだ繋がっていたのね。でも、どうしてファーンさんが一緒なの?」
ファーンは経緯を掻い摘んで説明した。
「……ということで、ウルスラさまの後を追っていたのです」
「そう。ガルマニアに禁教令が出されるのね。わかったわ。国に戻り次第交渉の準備を始めます。ああ、でも、今は大変なことが起きているの」
今度はウルスラが事情を説明する番だった。
聞くうちに、ファーンの顔が蒼褪めた。
「わたしがマオール帝国を出国する直前、刺客の手解きをした相手がリーロメルです。今にして思えば悍ましいことですが、極めて優秀な弟子でした。いえ、殺しの技もさることながら、わたしのような者でさえ多少はあった良心の呵責のようなものを、微塵も感じないらしいのです」
ゾイアの身体を借りているウルスラが、自分の肩を抱いて震えた。
「ああ、どうしましょう。ラミアンが、ラミアンが……」
ファーンはその震える両肩に自分の両手を添え、ウルスラの瞳を見つめながら告げた。
「わたしにお任せください。ここから馬を走らせれば、明日の朝には着くでしょう。近くで跳躍すると警戒されますし、どうせアルカン湖には座標がありませんからね。向こうに着いたらゾイアどのを小舟に乗せ、リーロメルが現れたら、わたしが斃します」
「でも、大丈夫かしら。相手は魔眼という技を使うらしいわ」
「そのようですね。わたしにさえ教えなかったイビルアイを伝授するほど、従兄のヌルサンの信頼を得ていたのでしょう。但し、わたしの知識が間違っていなければ、あの技は一度に一人にしか使えぬはず。そこに勝機があると思います」
「ああ、こんな危険なことを頼んで申し訳ないけど、今はもう、あなたにお願いするしかないわ」
ファーンは少し微笑んで見せた。
「ご心配なく。わたしも全力を尽くしますが、いざという時には、ゾイアどのが救けてくださると信じています」
「そうね。わたしも信じているわ。あなたたちの邪魔にならないよう近くには行かないけど、心は繋がっているから、いつでも呼んでちょうだい」
「わかりました。では、吉報をお待ちください」
「ありがとう。お願いします……」
俯いた顔が上がった時には、瞳の色がアクアマリンに戻っていた。
「……ぼく、どうしたんだろう?」
ファーンはフッと吐息した。
「覚えていないか。仕方あるまい。道すがら教えよう。ともかく、馬に乗れ。出発するぞ」
「あ、はい」
一方、馬車の中では、ギータとファイム大臣が、祈る姿勢のまま固まってしまったウルスラを心配そうに見ていた。
「お、唇が動いておる」
ギータが指摘すると、ファイムも「おお、本当に」と頷いた。
次の瞬間。
閉じていたウルスラの目が開いた。
「あ、戻ったのね」
「接触できたかの?」
ギータに聞かれ、ウルスラは「ええ」と答えたが、表情は不安げだった。
「ゾイアの身体に移動して、ファーンさんと話したわ」
ウルスラから説明されたギータも「ううむ」と唸った。
「確かにファーンことタンファンは一流の刺客ではあった。が、それでイビルアイに立ち向かえるか、どうかのう。で、ゾイアの様子はどうであった?」
「そうねえ。中にいた時の感じだと、身体は少年のままだったわ。ゾイアの心は隅っこに引っ込んでて、殻に閉じこもっているみたいだった。とても本来のゾイアではなかったわ」
「そうか。何か切っ掛けがあれば、変わるのじゃろうが」
横で聞いていたファイムが、「援軍を出しますか?」と聞いたが、ウルスラは首を振った。
「ここはファーンさんにお任せしましょう。それと、ゾイアの復活を祈るしかありません」
考えていたギータが、「わしも行くぞ」と告げた。
ウルスラが「でも」と止めようとするのを、笑顔で制した。
「一応、わしがゾイアを連れて行くという体にした方が、リーロメルも油断するじゃろう。馬で行く経路はわかっておるから、途中でファーンと合流する。ファイム大臣、ウルスラを頼みまするぞ」
ファイムは顔を真っ赤にして「心得た!」と胸を叩いた。




