1276 遥かなる帰路(5)
その前の日のことである。
秘書官ラミアンがどうしても見たいという歴史的遺構とは、ガルマニア中央に位置するアルカン湖の牢獄島であった。
「いやもう、島ごと水に沈んで、跡形もありやせんぜ」
その経緯を知っている魔道屋スルージは当然止めたのだが、ラミアンの理屈は違っていた。
「だからこそ遺構なんだよ。かつては政治犯を収容するために要塞のように厳重に護られていた島が、今は湖底に沈んでいるなんて、こんな詩情をそそるものはないよ」
コバルトブルーの目を煌めかせるラミアンに押し切られ、ウルスラ女王の了解を貰うと、二人で別行動をとったのである。
アルカン湖には座標がないため、スルージは、直前の森までラミアンを連れて一気に跳躍した。
「さあ、ここからは、もう目と鼻の先でやんす。通常飛行で行きやすか?」
「いや。せっかくだから一人で歩くよ。森の小径を抜けると、青い水面が見える、って方が趣きがあるじゃない?」
スルージは自分のモジャモジャの頭を掻きながら苦笑した。
「あっしのような下世話な人間にゃわかりやせんが、坊ちゃんがそうしたいのなら、どうぞご自由に。ああ、そうだ。危険があるといけやせんから、念のためこれを持って行ってくだせえ」
懐から小さな笛のようなものを取り出し、ラミアンに渡した。
「これは何?」
「魔道の笛でさあ。ちょっと吹いてみてくだせえ」
「こう?」
吹き口に息を吹き込んだが、何の音もしない。
が、スルージは両耳を塞いで顔を顰めている。
「つうっ。もちっと加減してくだせえ。鼓膜が破れるかと思いやしたぜ」
「え? だって音は……」
不思議がるラミアンに、笑顔に戻ったスルージが説明した。
「普通の人間にゃあ聞こえやせん。だから魔道笛なんでさ。あっしはこの辺りでのんびり昼寝でもしてやすから、万が一危ないことがあったら、すぐにその笛を鳴らしてくだせえ。その笛の音はこの森全体ぐらいに響きますし、魔道を使う人間への覚醒効果もあるんでね。但し、日が暮れる前には、必ずここへ戻って来てくだせえよ」
「わかった。ありがとう」
いそいそと歩いて行くラミアンの後ろ姿をみながら、スルージは「まるで子供だねえ」と笑った。
「もう成人は過ぎてるはずなのに、ウルス坊ちゃんと同じだねえ。だから、まあ、気が合うんだろうけど。ふぁあ。いけねえいけねえ。旅の疲れが出て、本気で寝ちまいそうだ。ま、いいか」
スルージがふと目を開けると、周囲は真っ暗であった。
「あっ、いけねえ! 寝過ごしちまった!」
月がない夜で、比較的夜目が利くスルージにも、殆ど樹々の影ぐらいしか見えない。
「出でよ、鬼火!」
命じながら突き出したスルージの指先に、ポッと炎が現れた。
その明かりで周囲を照らしたが、誰もいない。
「近くにゃいねえ。ま、まさか湖で溺れてるんじゃねえだろうな。見に行かなきゃ」
焦って急上昇したため、鬼火が地上に残っているのに気づき、「ついて来い、鬼火!」と改めて命じた。
水平飛行に移るとすぐに、星明りに照らされた湖面が見えて来た。
「うーん、こりゃヤバイねえ。人っ子一人見えねえ。本当に溺れたのかねえ。いや、泳げないって言ってたから、自分から水に入るはずもねえが……、あっ、小舟がある!」
湖面に浮かぶ木の葉のように、小さな舟が見えた。
誰も乗っていないようだ。
急降下して舟の中を照らすと、スルージがラミアンに渡した笛と一緒に、紙切れがあった。
「な、何だ、これ?」
空中浮遊したまま手を伸ばし、紙を拾い上げた。
「お、なんか書いてある。『若者は預かった。返して欲しくば、身代金を用意しろ。追って連絡する。アルカン湖賊団』って、ええっ、どうしよう!」
責任を感じたスルージは、何か手掛かりが残っていないか、明け方まで周辺を捜索したが、湖畔の砂浜に残っていたラミアン本人の足跡以外、何も見つからなかった。
「……って、ことなんでやんす」
スルージが半ベソで説明し終えると、騒ぎを聞きつけて馬車の中に来ていたギータが「おかしいのう」と呟いた。
「わしの持っておる最新の暗黒街情報でも、アルカン湖賊団などという名は聞いたこともない。おそらく、偽名であろうな」
ウルスラは厳しい表情で首を振った。
「偽名であろうとなかろうと、ラミアンが誰かに誘拐されたことに変わりはないわ。何とかして救けないと」
行きがかり上、一緒に話を聞いていたファイム大臣が、「宜しければ」と発言を求めた。
「潤沢とは申せませぬが、多少は旅費を持って来ております。お金で済むことでしたら、ご協力させていただきますが」
ウルスラが応える前に、ギータが「いや、目的は金ではあるまい」と口を挟んだ。
スルージが「でも、身代金を用意しろって」と反論すると、ウルスラも「わたしもお金じゃないと思う」とギータに同意した。
「ラミアンは小姓の服を着ていたわ。普通、お金目当てで誘拐するなら、もっと身形のいい相手を選ぶはずよ。しかも、手際が良すぎるわ。スルージが明け方まで調べて、何の証拠も見つからないって、変よ。それに、疲れていたにしても、スルージの眠りが深すぎる気がする」
ギータが頷いた。
「魔道じゃな。そういえば、スルージがバスティル監獄を見張っていた時も、同じようなことがあったのう。あの時はてっきり、シャドフのせいじゃと思うたが。ん? どうした、スルージ?」
ガックリと俯いていたスルージが顔を上げると、両方の目が白眼の部分まで真っ黒になっていた。




