1275 遥かなる帰路(4)
「バロード連合王国!」
少年ゾイアの声に、ハッとしたようにファーンが訊いた。
「記憶が戻ったのか?」
が、ゾイアは自分でも驚いたように「あ、いえ」と首を振った。
「不意にその言葉が頭に浮かんだんです」
「そうか。ふむ。まあ、それはそれとして、考え方としては間違ってはいない。今の中原でガルマニアに対して対等にものが言える国はバロードしかないからな。頼むなら、確かにそこしかあるまい。だが……」
苦渋の表情になったファーンに、今度はガブリエルが尋ねた。
「どうした? わしもいい考えだと思うぞ。まあ、どうやって頼めばいいのか、その方法はわからんが」
すると、ミハエルが勢い込んで発言した。
「それこそ、この子を女王さまのところへ届けて、そこで頼めばいいんじゃないか! まあ、この子が本当にゾイア将軍としての話だが、記憶を失くして彷徨っているところを保護して連れて行くんだから、きっとすごく感謝されるよ。うん、それがいい!」
しかし、ファーンの表情は晴れなかった。
「色々複雑な事情があって詳しいことは言えぬが、わたしは過去、バロードにとても酷い仕打ちをした。にも拘らず、女王陛下が亡きサンサルス猊下の葬儀に会葬された際には、勿体なくもわたしに直接、過去の罪は問わないと仰ってくださった。それでも、わたし自身は未だに忸怩たる思いが消えぬのだ」
若いミハエルが「向こうがいいと言ってるんだから、いいじゃないか」と軽く流そうとするのをガブリエルが「まあ、待て」と制し、ファーンの目を見ながら話した。
「わしも多少は長く生きて来たから、ファーンの前歴は凡そ察しがつく。それを恥じて気後れするのは、人間として、とても真っ当なことだとは思う。しかし、敢えてその相手に無理な頼み事をするのなら、誠心誠意、お願いするしかないではないか?」
ファーンは深く息を吐くと、迷いを吹っ切るように笑った。
「ガブリエルの言うとおりだな。わかった。これも何かの縁だろう。ゾイアを連れてウルスラ陛下の許へ行き、ガルマニア合州国との仲裁を頼んでみる。おお、そうだ。肝心の本人の気持ちを聞いていなかったな」
ファーンは改めて少年の姿のゾイアに問いかけた。
「今日はもう遅いが、夜が明けたら、共にウルスラ陛下一行を捜す旅に出てくれるか?」
ゾイアは戸惑ったように大人三人の顔を見ていたが、不意に「あ、思い出した!」と声を上げた。
「誰かに頼まれたんだ、その女王さまのことを。救けてあげないといけないんだ。ぼく、行くよ」
不得要領な顔のガブリエルとミハエルに、ファーンが苦笑して説明した。
「わたしの経験から言うと、記憶が戻って来る時は、一遍に完全な形ではない。あちこち抜けて、斑に思い出す。が、やがてそれらの断片が繋がり、全体の因果関係が理解できるようになる。大丈夫だ。ゾイアの記憶はいずれ戻る。さあ、今夜はもう寝よう」
結局、ミハエルも泊まっていくことになり、本人は床に寝ると言い張ったが、ファーンは事も無げに「ミハエルの汚いベッドに寝かされるより、ゾイアと一緒に以前使っていた自分のベッドで眠る方がよい」と押し切った。
勿論ゾイアは恥ずかしがったが、ファーンが「わたしを母と思え」と告げると、ハッとしたように目を潤ませて頷いた。
その様子を見て、多少嫉妬に駆られていたようなミハエルも、「そういうことか」と納得した。
翌朝、旅装を整えて出発する二人を見送るガブリエル兄弟に、ファーンは感謝を伝えると共に、次のように警告した。
「全てが順調に行ったとしても、その結果が出るのは何か月も先だろう。それまでは身を慎み、目立たぬようにした方がいい。特に、ミハエル、バスティル騎士団の活動は暫く止めておけ。捕まっては何にもならぬ。それでも危なそうなら、一時的に聖地シンガリアに避難しろ。無謀なことをして殉教しても、決してプシュケーは喜ばれぬ。いいな?」
不満そうな弟の肩を抱き、ガブリエルが笑顔で「わしに任せておけ」と応えた。
ファーンは「頼む」と頭を下げると、ゾイアに「行くぞ」と告げた。
ゾイアは本当の子供のように「はい!」と返事をしてついて行った。
その頃、先行するウルスラたちは、まだガルマニア中央部を過ぎた辺りであった。
馬車の中で揺られながら目醒めたウルスラは、「もう少し急いだ方がいいんじゃないの?」と呟くように言うと、顔を上下させた。
「これでも速すぎるくらいだよ」
ウルスもすぐに顔を上下させた。
「でも、ファイム大臣に悪いわ」
「だって、ゆっくりでいいって言ってたじゃん」
「それは社交辞令よ。本音は早く帰りたいはずよ」
「そうかなあ」
「そうよ。あっ、戻って来るわ」
馬車の幌が捲れ、ファイム大臣が入って来た。
「おお、もうお目醒めでしたか。斥候に出た者の報告では、この先に沢があるようですので、その近くに停めて朝食にいたしましょう。そういえば、結局昨夜はラミアンどのは戻られなかったのですね?」
「ええ。どうしても見たい歴史上の遺構があるらしくて。本当に我儘ばかり言ってすみません」
「ああ、それはどうかお気になさらずに。しかし、この近辺は、決して治安のいいところではありませんので」
「スルージが一緒ですから、ご心配は要らないと思いますわ」
と、慌てた様子でそのスルージが飛び込んで来た。
「す、すいやせん! ラミアンの坊ちゃんが、攫われやした!」




