1274 遥かなる帰路(3)
自分の本来の名を言われたファーンは、反射的に身構えた。
その手には、いつ取り出したのか、数本の刀子が握られている。
少年ゾイアは戸惑ったように相手の顔と刀子を交互に見て、「どうしたの?」と尋ねた。
が、ファーンは硬い表情を崩さない。
「質問するのはこちらだ。何故その名を知っている?」
その時、奥からガブリエルが戻って来た。
「おお、ファーンじゃないか。その子なら心配ない。物騒なものは引っ込めてくれ」
ファーンはゾイアから目を逸らさぬまま、今度はガブリエルに聞いた。
「この子供は誰だ?」
「ミハエルが近くの森を巡回中に見つけた迷子だ。素っ裸で、記憶も失くしていたらしい。何かわかるまでわしに預かってくれと連れて来た。おまえが警戒するような相手じゃない」
「ほう。記憶を失くしているのか」
ファーンは刀子をしまうと、ゾイアの顔を繁々と眺めた。
「成程。こうして見ると面影がある。が、あの方に隠し子がいるとは思えぬから、やはり本人だろう」
「本人?」
訝るガブリエルに向き直って、ファーンは断言した。
「ああ。獣人将軍ゾイアどのだ」
一瞬唖然としたガブリエルは、すぐに吹き出した。
「そんな馬鹿な。ゾイア将軍といったら、筋骨隆々たる偉丈夫だというではないか。この弱々しい子供とは、似ても似つかぬぞ」
「いや。あの方は自由に変身できる。巨大になれるということは、小さくもなれるということだ。何より、このアクアマリンの瞳に見覚えがある。間違いあるまい。わたしも一度記憶を失くしたことがあるから、何となく気持ちもわかる気がする」
ファーンは改めてゾイアに話しかけた。
「不安であろう? 何なら、わたしがバロードの人間に引き渡してやろう。婚礼に出席していたウルスラ女王は先日警護兵と共に帰国の途に就いたが、すぐに跳躍すれば追いつける。今からでも良いぞ」
ゾイアは当惑しているようだったが、ゆっくり首を振った。
「違う、と思う」
「何! おぬしはゾイアどのではない、というのか?」
ゾイアは頭痛がするのか、顔を顰めた。
「それは……、わからない。でも、女王は西にはいない」
「そんなはずは」
言い掛けたファーンは、「ふむ」と考え込んだ。
「西にいないとは、東にいるということだな。そうか。婚礼にはカリオテの大臣が出席していたな。お忍びで、そちらへ向かったのか」
横で聞いていたガブリエルが、「そういえば」と口を挟んだ。
「ミハエルが森の中で発見した時、この子は東に向かっていたそうだ」
「そうか。記憶はなくとも、本能的にわかるのだな。良かろう。それなら連れて行ってやろう」
今すぐゾイアの手を引いて行きそうなファーンを、ガブリエルは苦笑して止めた。
「おいおい、そう急くな。このままこの子を連れ去られたら、わしがミハエルから叱られる。巡回が済んだら、一度様子を見に戻ると言っていたから、せめてそれまで待ってくれ。それに、抑々ここへ来たのは、別の用があったんじゃないか?」
ファーンもフッと自嘲するように笑った。
「確かにそうだった。それでは、ここでミハエルの帰りを待たせてもらおう。おぬしもそれで良いな、ゾイアどの?」
自分の名を呼ばれてもピンと来ないのか、ゾイアは首を傾げていたが、ふと納得したように微笑んだ。
「どの、は要らない。ゾイアでいい。おばあさんもそう呼んでいた」
「おばあさん?」
「そう。ぼくを治療してくれた。リ……」
ゾイアは悲しげに「それ以上思い出せない」と吐息した。
しんみりした空気を変えるように、ガブリエルがファーンに笑い掛けた。
「この子のために作った野菜スープが残ってる。せっかくだから食べてくれ」
ファーンも気持ちを切り替えるように明るく応えた。
「おお、馳走になろう」
結局、ミハエルが戻って来たのは日が沈んでだいぶ経ってからだった。
ファーンの顔を見るなり真っ赤になったミハエルは、口では「戻って来るなら来るで、連絡してくれりゃ良かったのに」と文句を言った。
ファーンは笑いながら「あんな置手紙を残したからな」と弁解したが、すぐに表情を改めた。
「実は、差し迫った用件があって知らせに来た。つい先日、ガルマニア合州国からわが教団に通達があった。今後、合州国内での教団の活動を段階的に禁止するという。差し当たっては、パシーバ州と新設のコロネ州が対象となる。ここはコロネ州に含まれるからな。当面は新規の布教が禁じられるだけだが、現在入信している者は、速やかな国外退去か、それが嫌なら棄教せよ、というのだ。従わぬ者は処罰するそうだ」
ミハエルが顔色を変えた。
「そんな馬鹿な話があるかよ! それじゃ、ゲール帝の時代に逆戻りじゃないか!」
自身は信者ではないガブリエルも憤慨した。
「ヤーマンめ、愈々本性を現して来たな。どうせあいつにゲール帝のような主義主張なんてありゃしない。目的は強権確立さ。と、なりゃ、相当にエゲツないことをやるぞ」
ファーンも頷いた。
「少し調べてみたが、密告制度を作ろうとしている。処罰も徐々に重くし、最終的には火炙りまで考えているらしい」
「魔女狩りだ」
そう呟いたのはゾイアだが、声が小さすぎて夢中で喋っている大人三人は気づかなかった。
昂奮したミハエルは、拳を突き上げて叫んだ。
「おれは戦うぞ! 聖戦だ! イーラ、プシュケー!」
さすがに鼻白むガブリエルの代わりに、ファーンが窘めた。
「しっ。声が大きい。密告制度は直に導入される。真っ先にやられるぞ。それに、教団としても、できればガルマニアとの全面戦争は避けたい。兄弟子は、いや、教主ヨルム猊下は、どこかの国に仲介を頼み、話し合いで解決したいと言っている」
と、今度は聞こえるぐらいの声でゾイアが言った。
「バロード連合王国!」




