1273 遥かなる帰路(2)
ファイム大臣らの一行が通ったような正規の道路ではなく、森の中の獣道のような隘路をトボトボと東へ向かって歩いている少年がいた。
しかも、一糸も纏わぬ全裸である。
少年の姿となったゾイアであった。
そのアクアマリンの瞳は虚ろであり、歩きながらブツブツと独り言ちる言葉は「ぼくは誰? ここはどこ?」の繰り返しであった。
皇后宮を囲むロッシュ軍の進軍を止めるため、巨大な狼となって暴れたが、そのことによって再び全ての記憶が白紙となってしまったらしい。
あれ以来ずっと歩き続けているのだろうが、疲れることも空腹になることもないゾイアは倒れることもできず、当てもなく彷徨っているのだ。
と、複数の人の足音が近づいて来た。
「どうした、小僧? 迷子になったのか?」
ゾイアは立ち止まり、声がした方を見た。
三人の若い男が歩いて来ていた。
揃いの革張りの制服を着て腰に剣を差しているが、正式な兵士ではなく、羽織っているマントの紋章を見ると自警団のようである。
最初に声を掛けた人の好さそうな若者は、改めてゾイアが全裸であることに驚いた顔になった。
「小僧、服はどうした?」
「服? あ、ああ、破れたから捨てた」
平然と答えるゾイアを横目で見ながら、若者は仲間に小声で相談した。
「どうする?」
「このまま放って置く訳にもいくまい」
「そうだな。保護して、親の家まで送り届けよう」
若者は怖がらせないよう笑顔を作り、ゾイアに尋ねた。
「小僧、名は何という?」
ゾイアは悲しげに首を振った。
「思い出せない」
「うーん、では、家はどこら辺だ?」
「わからない」
困惑した若者は、また仲間に耳打ちした。
「嘘や冗談ではなさそうだ。まだ巡回の途中だから、一旦兄貴の家に預けようと思う。おまえたちは先に行っててくれ」
「わかった」
「慌てなくていいぞ」
二人が離れると、若者は改めてゾイアに話しかけた。
「小僧、心配しなくていい。おれはバスティル騎士団のミハエルという者だ。仲間と一緒に、この辺り一帯の治安を護っている。こんな場所に裸の子供を一人で放置することはできないから、これからおれの兄貴の家に連れて行く。ガブリエルという鍛冶屋で、見かけはおっかないおっさんだが優しい男だ。おまえが何か思い出すまで、預かってもらうつもりだ。いいな?」
ゾイアは迷っているようであったが、自分でも明確な答えが出せないようで、黙って頷いた。
ミハエルは羽織っていたマントを脱ぎ、ゾイアに着せた。
「兄貴の家に行けば、昔おれが着てた服があるはずだ。それまでこれで辛抱してくれ」
ゾイアは「ありがとう」と応えたものの、どこか上の空で、マントに描かれたエンブレムに見入っていた。
受け入れ先となった鍛冶屋のガブリエルは、過剰なほどゾイアに親切であった。
ミハエルのお下がりの服を着せ、手ずから野菜のスープを作り、これもお手製だというパンを添えて食べさせた。
ゾイアも素直に受け入れ、食べることによって食欲が増すのか、与えられたものを全て平らげた。
ガブリエルは「いい食べっぷりだな」と嬉しそうに笑った。
「おまえさえ良ければ、いつまでだってわしの家に居てくれて構わんぞ。気儘な一人暮らしだからな」
「あの弟さんは?」
ガブリエルは少し淋しそうに笑った。
「ミハエルか。最近は、いつも騎士団の詰め所に寝泊まりしているよ。帰って来るのは年に数えるほどだ」
「騎士団って、どういうものですか?」
「そうさなあ。わしもよくわからんが、普段はバスティル村の治安を維持し、為政者の圧政などがあれば戦う、と言っておるな。ほら、この間、この村の監獄から脱走したロッシュという男が叛乱を起こしたろう? あの時なんぞ、この村もトバッチリを喰らうかもしれないと厳戒態勢だったよ。ん? どうした?」
不自然に固まっていたゾイアが、不意に何事もなかったように「何がですか?」と聞き返した。
「あ、いや、いいんだ。どこまで話したっけ? ああ、そうそう。結果的にあの時は特に何もなかったんだが、その後、この地域の支配者が交代することになったんで、不測の事態が起きないようにと、しょっちゅう巡回しているよ」
「支配者が交代?」
「ああ。おまえには関係ないだろうが、税を納めるわしらにとって、支配者がどんな人物かは重大問題だ。マインドルフやアラインの頃は酷いものだったが、意外にも魔女ドーラは善政を布いていた。ところが、今度のコロクスという男は……。おい、大丈夫か?」
ゾイアは頭を抱えて俯いていたが、辛うじて「大丈夫です」と答えた。
ガブリエルは心配そうにその背中を撫でた。
「可哀想に、旅の疲れが出たんだろう。少し横になれ。ミハエルの寝台は汚れているから、ファーンが使っていた方を使わせよう」
ガブリエルが奥へ行った後、ゾイアは俯いたまま「マインドルフ、アライン、ドーラ、コロクス、ファーン」と同じ言葉を言い続けていた。
その時、玄関から誰か入って来たため、ゾイアはハッとして顔を上げた。
砂まみれの旅装の女であった。
長い黒髪を頭頂部で一纏めに縛り、切れ長の黒い瞳でゾイアを見ている。
「ほう。アクアマリンの瞳か。まるであのお方のようだな。まあ、よい。子供、ガブリエルどのはおるか?」
ゾイアはそれには答えず、相手のキリリとした美貌に見入っていたが、ポツリと呟くように聞いた。
「タンファン?」




