1272 遥かなる帰路(1)
(作者註)
わたしは『百姓』という言葉は良い意味の言葉(=多くの作物を育てる自作農)だと思っていますので、今回はあえて使わせていただきます。
古来沿海諸国から中原へ行く経路は、西廻り航路でスカンポ河の河口に入り、河を遡上する方法が主であった。
この経路では、中原の西部にある商人の都サイカやバロードへはともかく、東部のガルマニアへは迂遠すぎる。
そこで、野人太子ゲーリッヒはガルム族に命じ、ガルム大森林の中の細い迷路のような道を潰して、南北を一直線に貫く『森の街道』を開通させた。
この街道を真っ直ぐ南に下り、ガルム大森林最南端の岬にある港から船に乗れるようにしたのである。
その後、帝位に就いたゲーリッヒは、マオール帝国の援助で更に街道を広く整備し、軍用道路として活用した。
同時に、東廻り航路から来るマオール帝国の軍船が寄港できるよう、港の方も拡張した。
しかし、ゲーリッヒが退位を余儀なくされ、元の野人太子に戻ると共に、『森の街道』も寂れてしまった。
が、今でも一般の旅人は、ガルマニアと沿海諸国を繋ぐ最短路として重宝しており、今回の婚礼に出席したカリオテのファイム大臣もこの街道経由で来たのである。
同行する騎兵は二十名ほどだが、これでも馬の少ない沿海諸国では多い方なのである。
因みに、ファイム自身は馬に乗れないため、天蓋付きの豪華な馬車を仕立てて来ていた。
帰国する前にカリオテに立ち寄ることにしたウルスラたちも、この経路を同行することになった。
「ぼくらはともかく、陛下は直接跳躍された方が安全じゃないですか?」
出発前、物怖じせずに質問して来た秘書官ラミアンに、ウルスラは苦笑して「理由は直接本人に聞いてちょうだい」と、顔を上下させた。
ウルスに代わると、コバルトブルーの瞳を輝かせて説明した。
「こんなまたとない好機を逃すなんて、考えられないよ! 以前ぼくらがガルマニアに人質で連れて来られた時は、自由に外出することなんか許されなかった。それが今回は、ガルマニア国内の農地をじっくり見て、その上、ガルム大森林の植生を調べられるんだ。いくら時間があっても足りないよ」
横で聞いていたギータが、苦笑して釘を刺した。
「これこれ、そんなにゆっくりしては、いつカリオテに到着するかわからんぞ。ファイム大臣にもご迷惑が掛かる」
人の良いファイムは笑いながら「わたしは一向に構いませんよ」と、数日後には確実に後悔するであろうことを言ってしまったのである。
当然のことながら、ウルスラたちがカリオテ大公国の一行に加わることは内密であり、公式には、タロス率いる警護兵千騎と共に馬車でバロードへ帰国することになっていた。
そのため、ウルスとラミアンは小姓姿となってファイムの馬車に乗せてもらい、ギータは似合わない雑士の恰好で騾馬に乗って行く。
魔道屋スルージは基本的には隠形して、一行から付かず離れずで同行することになった。
また、安全のため、人前ではウルスラは表面に出ないように決めた。
準備を整え、昼前には出発したものの、ウルスは何でも見たがり、誰にでも話を聞きたがった。
畑の畝の作り方のコツを熱心に聞かれた百姓など、相手が大国の王などとは思わず、手取り足取り説明した挙句、良かったら娘の婿にならないかと半ば本気で言ったくらいである。
それは丁重に断ったものの、なかなか動かないウルスに、警護役のスルージの方が焦れた。
「さあさあ、お坊ちゃん、そろそろ行きやしょう。もう少し急がねえと、次の宿に着く前に日が暮れちまいまさあ。それに、なんだか知らねえが、背筋がゾクゾクするんでやんす」
百姓が離れたことを確認してからウルスの顔が上下し、ウルスラと交替した。
「風邪でもひいたのかしら? 念のため、少し癒ししておきましょうか?」
スルージは両手で壁を塗るような仕種をした。
「とんでもねえ。女王さまにそんなことしていただくなんて、勿体なさすぎまさあ。それに、あっしは滅多に風邪をひくような軟な男じゃありやせん。そうではなく、身の危険を感じるってこってす。バロードに比べて、決して治安がいい国じゃねえですからね」
「あら、そんなことないわ。わたしもこちらに来てから認識を改めたけど、ゲール帝の頃と比較して、国民が随分明るく穏やかになったわ」
「ああ、いえ、そういう意味じゃ、うーん、まあ、いいす。とにかく、早く出発しやしょう」
「そうね。ウルスはまだ名残惜しいみたいだけど、際限がないものね。行きましょう」
ウルスラとスルージがファイム大臣らが待つ馬車に戻った頃、畑の横の林から含み笑いが聞こえた。
朧に空気が揺れると、金髪碧眼の男が姿を現した。
但し、マオール人のように長い髪を頭頂部で一つに縛り、絹織りの身体にピッタリした民族衣装を着ている。
皇帝ヌルサンに派遣された特命全権大使のリーロメルであった。
「あの後どうなったのか、気になってこっそり戻って来た甲斐がありましたねえ。バロードの王/女王が、フラフラ物見遊山の旅とは。これはついて行かざるを得ないでしょう。まあ、もし必要なら、いつでも殺せますからね」
再び隠形しながら、北叟笑むリーロメルの笑顔だけが残像のように見えていたが、風と共に消えて行った。




