1268 魔の婚礼(39)
周辺に遮るものもない平野の真ん中にある皇后宮を、一万のロッシュ軍は蟻の這い出る隙間もないように包囲してから突撃を開始した。
さすがに歴戦の将であるロッシュは、確実にヤーマンの首を取るためには短期決戦しかないと理解していた。
「一気に城内に攻め込んで殲滅するのだ! 女子供と雖も容赦するな!」
元々ロッシュが冷酷非情ということもあるが、この場合は、小柄なヤーマンが紛れて逃げることを警戒しての命令であろう。
そのくせ、跳躍で逃亡されることへの対策は、魔道屋シャドフが何とかしてくれるものと高を括っている。
事前に斥候から衛兵三千名の逃亡を聞いていたロッシュは、勝利を確信してか、皇后宮に向かって愛馬で爆走しながら、歯を剥き出して笑っていた。
が、その笑顔が突如凍りついた。
前方から真っ黒な獣が、ロッシュに向かって猛然と駆けて来ている。
「狼?」
そう思った瞬間にはルプスは跳び上がり、馬上のロッシュを狙って来た。
「くそっ!」
反射的に剣を引き抜いて、そのまま横に薙いだ。
確かに斬ったはずが、バターを切ったように手応えがなく、剣はスルリと通り抜けた。
「あっ」
驚愕し、仰け反ったロッシュの首にルプスが噛みつき、共に落馬した。
トドメを刺すまでもなく、地面に倒れたロッシュは既に絶命していた。
しかし、その周辺こそ騒然となったが、一度突撃態勢に入った一万の軍勢は止まらない。
と、ルプスは喉を上げ、朗々と遠吠えを始めた。
吠えるにつれて身体が大きくなり、すぐに馬を超え、その数倍になった。
フサフサした長い尻尾の先が伸びてロッシュの遺体に巻きつき、それを高く掲げるようにして、軍勢の進行する方向と直交するように駆け出した。
一万の軍勢は同心円状に輪を縮めつつあったため、巨大化したルプスは、上から見て螺旋を描くように進んだ。
最初に殺したロッシュ以外の犠牲を出さぬためであろう、吠えながら駆け抜けるだけである。
それでもさすがに軍勢は動揺し、次第に進軍の速度が落ち、皇后宮の直前で全軍が停止した。
同時に立ち止まったルプスは尻尾を伸ばし、遠くからでも見えるようにロッシュの遺体を城門の上に置いた。
一万の軍勢の中にはロッシュ子飼いの近衛兵出身者もいるため、「弔い合戦だ!」という声もチラホラ上がったが、大部分は傭兵であるため、静まり返って互いの様子を窺っている。
と、皇后宮の望楼の上に、派手な婚礼衣装のままの大統領ヤーマンが姿を見せた。
前には声を拡大する魔道具が置かれていたが、その必要もないほどヤーマンの地声は大きく、近くに居たコロクスは慌てて耳を塞いだ。
おみゃらに告ぐ!
もう諦めて投降してちょう!
今すぐ武装解除すりゃあ、一切罪に問わにゃあと約束するでよ!
さっき杜の番の伝令を各地に跳躍させたで、追っつけ数万を超える討伐軍が、国中からこっちゃに向かって来るだぎゃ!
見てのとおり首謀者のロッシュはおっ死んじょるし、裏で操っちょった魔道屋も始末されたがや。
もしかしたらおみゃあらが当てにしちょるかもしれんオーネは、国家反逆罪で拘束済みじゃ。
早う投降せんと、だちかんでよ!
続々と武器を捨てる兵士の中で、猶も戦うことを主張する者は少数で、すぐに周囲から取り押さえられた。
その様子だけ確認すると、ヤーマンはホッとしたように望楼を下りた。
大広間に向かって歩きながら、誰にも聞こえぬよう小声で愚痴を溢している。
「これでわしの名前は広まるとしても、笑い者としてじゃで。基本的な国家統制もできにゃあ阿呆と言われるだぎゃ。この件が片付いたら、うーんと締め付けにゃあとな。そうじゃ、やっぱり禁教令じゃな。見せしめにプシュケー教団の信者狩りをやるかのう」
しかし、大広間に着いた時には、晴れ晴れとした笑顔を作り、決死の避難を覚悟していた来賓たちに、殊更に明るい声で告げた。
「もう心配にゃあでよ! 包囲軍は全員投降したでよ! まあ、討伐軍が来るまでは用心して城内におった方がええが、急ぎのお人は杜の番にリープさせるで、申し出てちょう!」
勿論意図的にであろうが、ヤーマンはロッシュ軍があっさり投降した理由には、一切触れなかった。
凡その事情を察しているバロード側も、敢えてヤーマンの面目を潰すようなことは言わなかった。
が、若いラミアンだけは、押し殺した声でギータに不満を述べた。
「ひどくないですか? 見た訳じゃないですけど、ずっとゾイアさまの遠吠えが聞こえてましたから、だいたいのことは想像がつきますよ。それをさも自分の手柄みたいに」
ギータは皺深い顔に苦笑を浮かべた。
「まあ、良いではないか。結果的に来賓全員が無事であったのじゃからのう。おっと、一人だけ怪我をした者がおったか」
「ジョレさんは自業自得ですよ。それなのに、見てください。女王陛下自らが傷の手当てをなさって、その後ずっと癒しなさっているんですよ」
「ほう。さすがというべきじゃな。ウルスラにしてみれば、生命を脅かされたことより、如何に自分を救けるためとはいえ、手首の骨が砕けるほどゾイアが噛んだことを、申し訳なく思うておるのじゃろう」
「あ、そういえば、ゾイアさまは、まだ戻って来られませんね」
「ふむ。投降した一万の兵の気が変わらぬよう、監視しておるんじゃろう。まあ、そのうち戻って来るさ」
だが、夕闇迫る頃、三万を超える討伐軍が到着しても、ゾイアは戻って来なかった。




