1266 魔の婚礼(37)
婚礼会場は騒然となった。
背後からウルスラ女王を羽交い絞めにしたジョレが、抜き放った短剣をウルスラの喉に突き付けていたのである。
ジョレは人が変わったようなドスの効いた声で、「騒げば殺す。言っておくが、消魔草を飲ませたから魔道は使えぬぞ」と脅した。
最初の驚きが冷めたウルスラは、寧ろ悲しげに尋ねた。
「どうしてこんなことをするの?」
「うるさい、黙ってろ!」
ジョレの注意が逸れている間に近づきつつあったタロスが反射的に顔を横に向けると、頬を掠めるようにして刀子が通り過ぎ、カツンと音を立てて椅子の背に突き刺さった。
いつの間にかジョレの背後に、吟遊詩人のような尖がり帽を被った魔道屋シャドフが立っていたのである。
皮肉な笑みを浮かべているが、投じたまま伸ばしているのは左腕の方であった。
「利き腕なら仕損じなかったろうが、仕方ねえ。が、おめえだけじゃなく、他の連中にも言っておくぞ。ちょっとでもおかしな素振りをしたら、ウルスラの生命はねえと思え。おれたちは無事にここを逃げ出したいだけなんだ。みんな大人しくしてろ」
シャドフはジョレに「何かあったら躊躇わず殺せ」と命じると、山羊の鳴き真似をした後、その場に立ち尽くしたままのオーネを呼んだ。
「何してやがる! 早くこっちへ来るんだ!」
ハッとして歩き出そうとしたオーネの腕が後ろに引っ張られた。
「新郎のわしを置いて、どけぇ行く? 淋しいでにゃあか」
小柄ながら膂力のあるヤーマンが、オーネの手をガッチリ掴んでいた。
「離してよ!」
顔を歪めるオーネに、ヤーマンはギョロリと目を剥き出して告げた。
「うんにゃ、もうおみゃあの自由にはさせにゃあで。一緒に来てもらうだぎゃ」
と、ヤーマンの背後に続々と杜の番たちが集まって来た。
その様子を見たシャドフは、「オーネの阿呆め」と舌打ちしたが、すぐに声を張ってヤーマンたちに告げた。
「今すぐオーネを解放しねえと、ウルスラを殺すぞ!」
が、ヤーマンは昂然と言い返した。
「そげなことをしたら、こっちゃもオーネを殺るだけだぎゃ。わしゃ、ちいっとも困らにゃあで」
が、ヤーマンのこの言葉には、酔った勢いもあってか、秘書官のラミアンが猛反発した。
「何ということを仰るのですか! そのような下種な女とわが女王陛下では、とても吊り合いませんよ!」
ジョレを睨んだまま身動きできずにいるタロスの代わりに、同じテーブルのギータが席を立ち、「まあ、落ち着け坊や」と宥めると、ヤーマンに向き直った。
「おぬしらの考えは良くわかった。じゃが、この坊やの言ったとおり、わしらにとってはウルスラの方が大事じゃ。抑々内乱の危険があることを承知の上で婚礼に客を呼んだのなら、その安全を護るのはおぬしらの最低限の務めであろう。それを自分らだけ助かろうとは、ちと虫が良すぎるのではないか?」
ヤーマンは開き直ったように肩を竦めた。
「できりゃあ、わしも女王さまを救けてやりてえだがや。じゃが、女王さまに剣を突き付けちょるのは、バロードの家臣ではにゃあか? わしらもそこまでの責任は負えりゃあせん」
これに異を唱えたのは、ヤーマンの家族席に居たヤンであった。
「お父、ウルスラはうちの友だちだがや。そげに薄情なこと言わんでちょう。どうせ裏で操っちょるのは、そこの魔道屋だで。顎髭の男は騙されとるだけだぎゃ」
思わずギクリとしたジョレに、シャドフが「惑わされるなよ」と釘を刺した。
「ここまで来たら、成功して全てを手に入れるか、失敗して全部失くすかだぞ」
「う、うむ」
明らかに動揺しているジョレに、ちょうど裏口から出て来たハリスも呼び掛けた。
「ジョレよ。人質なら、わたしが、なろう。どうか、ウルスラ女王を、解放して、くれぬか?」
何か言おうとするジョレを制し、シャドフが叫んだ。
「もう時間切れだ! たった今オーネを放さなきゃ、ウルスラを殺す!」
会場が静まり返る中、外から人馬の轟きが響いて来た。
ヤーマンの傍にスッとコロクスが近づいて耳打ちした。
「もう時間がにゃあです。オーネのことは国内問題、女王のことは国際問題。ここは目を瞑って、オーネを逃がしてちょう」
それでもヤーマンは頷かなかった。
それどころか、囁くような小声で恐るべきことを告げた。
「ここでオーネを逃がしちゃあ、禍根を残すだぎゃ。どうせロッシュが攻めてくりゃあ、残ってる人間は皆殺しだで、何も証拠は残らにゃあ。ギリギリまで引き延ばしてオーネを殺し、わしらだけ逃げりゃあええ。おお、ヤンも忘れんでちょうよ」
それが聞こえたらしく、オーネが悲鳴を上げたため、痺れを切らしたシャドフがジョレに命じた。
「構わねえから、殺っちまえ!」
が、ジョレはブルブル震えて迷っている。
タロスはジョレに飛び掛かる機会を窺って身構えているが、下手に動けば最悪の事態を招きかねず、脂汗を流しながら歯を喰い縛って堪えている。
更にその後ろでは、タロスを援護しようとフォルス将軍もファイム大臣も、ラミアンですら立ち上がっていた。
が、そのテーブルで一人だけ座ったまま俯き、ブツブツと呟いている者がいる。
少年の姿のゾイアであった。
「……ナターシャ、もう二度ときみを失いたくない……」
顔を上げると獣のように黒い毛に覆われており、両目が爛々と緑色に光っている。
その目でウルスラを見つめていたが、不意に口を大きく開けて牙を剥き出し、猛獣のような咆哮を上げると、ジョレに向かって一直線に飛び掛かった。




