1265 魔の婚礼(36)
婚礼が行われている皇后宮は、元々この地を領有していたヒューイ将軍の城であった。
貴族趣味のヒューイは城を遊興施設のようにしか考えておらず、美的感覚だけを基準に建設させた。
よって敵に攻め込まれた瞬間に落城し、その後放置されていたが、風光明媚な場所にあることからオーネが気に入り、ヤーマンにねだって自分の城とした。
改築はされたものの、一層華美になっただけで、防衛のための設備は当初のまま手付かずであった。
その無防備極まる皇后宮に、ロッシュ軍一万が迫っている。
ロッシュは、肉眼でギリギリ皇后宮が見えるか見えないかの位置で一旦全軍を停止させ、隊列を整えさせる間に檄を飛ばした。
「これより一気呵成に皇后宮を攻め、ヤーマンの首を取る! 皇后オーネさまと主な来賓は、既にわがはいの手の者が脱出させておるから、躊躇することなく皆殺しにせよ! 何があっても、ヤーマンを討ち漏らしてはならぬ! 見事討ち取った者には、望むままの褒賞を与える! 皆の者、奮え!」
全軍から応ずる声は上がったものの、戦意が昂揚しているというより、半ばヤケクソの空元気のようであった。
皆、これが楽な戦であることは百も承知だが、その結果どうなるかが不安なのであろう。
尤も、ここまで来て引き返すことはできず、固唾を呑んでロッシュの号令を待っている。
「さあ、行くぞ! 全軍、押し出せ!」
策戦らしい指示もなく、全軍突撃態勢で驀進した。
最初に異変に気づいたのは、ジョレに席に戻るよう説得した後、外の様子を見に出た魔道師カールであった。
上空から周辺を遠望すると、凄まじい土煙を上げながら、こちらに猛進して来る集団が見えた。
「むっ、あれは? いかん、やられる!」
普段冷静そのもののカールも、敵の数と勢いにやや動顛し、空中で隠形を解くのと同時に叫んだ。
「敵襲だーっ! 約一万の軍勢が、こちらに急行している! 直ちに貴賓らの避難を誘導せよ!」
カールの立場上、さすがに衛兵たちに戦えとは言えない。
が、彼我の距離を考えれば、犠牲を覚悟で客たちが逃げる時間を稼ぐべき衛兵たちが、真っ先に逃げ出した。
この婚礼のために急遽集められた傭兵が殆どで、わが身を危険に晒すような恩も義理もまだないのである。
カールは舌打ちすると、「ともかく陛下をお護りせねば」と、焦って地上に戻ろうとしたところで、「ぐあっ!」と呻いた。
左肩の辺りを右手で押さえているが、そこに刀子が突き刺さっており、左腕はダラリと下がったままである。
と、すぐ近くの空気が朧に揺れ、吟遊詩人のような尖がり帽を被った魔道屋シャドフが姿を現した。
勝ち誇ったように、歯を剥き出して笑っている。
「隠形が得意なおめえを何とかしなきゃとずっと考えていたが、自分から姿を見せた上に、大声で叫んでくれたんで助かったぜ。一撃目は用心して痺れ薬にしたが、ちゃんとトドメは毒薬を塗った刀子を刺してやるから覚悟しな」
シャドフが北叟笑みながら懐に手を入れようとした刹那、カールは自分の肩に刺さった刀子を引き抜くや否やシャドフに向けて投じた。
「あがっ!」
シャドフの手の甲に刀子が突き刺さっていた。
もう一方の手でそれを引き抜いた時には、カールの姿は見えなくなっていた。
多少は痺れ薬が残っていたらしく、手首から先がダランとなっている。
シャドフは悔しそうに歯噛みした。
「くそうっ、逃げられたか。仕方ねえ。後はあの山羊鬚野郎次第だな」
シャドフも地上に向かって降下しながら、再び隠形した。
一方、衛兵は逃げたものの、屋上で見張りに立っていた杜の番たちは、ヤーマンに知らせるため階段を飛ぶように駆け下りた。
さすがに新郎新婦席では話せないため、会場の入口からヤーマンに合図を送った。
それに気づいたヤーマンは、ゆっくり立ち上がった。
「すまにゃあが、ちと厠に行ってくるだで」
オーネは返事すらせず、鼻を鳴らした。
ヤーマンもそのようなことに構っている余裕はなく、何気ない素振りで部下たちに近づくと、声を押し殺して訊いた。
「来ちょるか?」
「へえ。凡そ一万だぎゃ」
「ほう。思うたほどでもにゃあのう。まあ、ええ。予定どおり逃げるだけだで。準備してちょ」
「連れて逃げるのは、ウルスラ女王とオーネさまだけでええんかね?」
「まあ、仕方にゃあ。バロード以外は大したことはにゃあで、最悪の場合は全部ロッシュのせいにすりゃあええ。但し、ウルスラには傷一つ負わせにゃあでちょうよ」
「んで、オーネさまは?」
ヤーマンは顔から表情を消した。
「そげなこと、新郎のわしに聞かんでちょうよ。まあ、万一死んだとしても、運が悪かったと諦めるしかにゃあで。その代わり、絶対に逃がしたら、だちかんで!」
つまり、逃げられそうな時は殺せ、ということであろう。
杜の番たちも了解したらしく、黙って頷いた。
同じ頃、新郎新婦への給仕を終え、自分の席で酒を呷っていたドーラのところへも、隠形した東方魔道師が知らせに来た。
「そうかえ。結局、止められなんだか。ならば、巻き込まれるだけ損じゃ。今のうちに逃げて、バローニャ州の防衛体制を固めるぞえ。この場は、幻影に任せるとしようかの」
一瞬だけドーラの身体が二重に見えたが、すぐに片方は消えた。
もう一方の補佐官であるハリスは、まだ裏方に指示を出していたが、部下のガーコ族から耳打ちされた。
「そう、か。遂に、来たか。で、あれば、恐慌を、来さぬよう、上手に、来賓を、避難させねば、ならぬ。とりあえず、わたしは、ウルスラ女王の、ところへ行く。おまえたちは、避難路を、確保せよ」
ところが、明確な情報が入らぬまま、会場は徐々に騒がしくなりつつあった。
「なんだか様子がおかしいぞ」
「ちょっと外を覗いたけど、兵隊さんたちが誰もいないわ」
「遠くの方で、馬の嘶きが聞こえる気がする」
「だからここへ来るのは嫌だったんだ」
「すみません。先に逃げますんで、通してください」
そのざわめきの中、新婦オーネがスックと立ち上がり、異様な声で叫んだ。
「メエエエーッ! メエエエーッ!」
皆がオーネの正気を疑ってギョッとなった時、今度はウルスラ女王の悲鳴が聞こえた。
「やめて! 何をするの、ジョレ!」




