1261 魔の婚礼(32)
旧ジョレ領と旧ポーマ領を預かる行政長官の地位にあったロッシュは、ガルマニア帝国時代にはマインドルフ将軍配下の百人長にすぎなかった。
それが主人の出世と共に引き立てられ、マインドルフがアーズラム帝国の初代皇帝に即位するのに合わせ、三千名の近衛兵の長に任命された。
その後、マインドルフを弑して強引に二代目皇帝となったアラインに阿って仕えていたが、ヤーマン軍の包囲を受け、部下たちと一緒になってアラインを惨殺した。
大統領となったヤーマンが、論功行賞に際してロッシュを文官にしたのは、人材不足という事情があったにせよ、こういうかれの前歴を考えてのことであったろう。
それを知ってか知らずか、豊かな地域を割り当てられたロッシュは私腹を肥やし、同時に自分のかつての部下である近衛兵出身者を州軍の幹部に送り込んだ。
従って、今回のようなことがなくとも、いずれはヤーマンに叛旗を翻したであろう。
ところが、魔道屋シャドフの手引きでバスティル監獄から脱出し、かつての部下のうち最も信頼している男に謀叛の話を持ち掛けると、首を傾げられたのである。
「うーん、それはどうでしょう?」
諸手を挙げて賛成するだろうと思い込んでいたロッシュは、「勝算はあるのだ」と当たり前のことを言って失笑された。
「勿論そうでしょうね。ですが、問題はその後です」
「その後?」
「ええ。今日の皇后宮の衛兵は三千、バロードから来ている警護兵が千、それ以外の国や自由都市の分を併せても五千には届きますまい。で、あれば、一万も兵が集まれば勝つことはできます」
「一万どころか、わがはいが声を掛ければ二万は固い。いや、三万、いいや、もっと集まるかもしれん。だから」
部下は笑って首を振った。
「考えてみてください、閣下。今回の婚礼には、中原と沿海諸国の殆どの国と自由都市の代表が集まっているのですよ。そこへ攻め込んで勝ったとしても、かれらを殺せば世界中を敵に回すことになりますぞ」
痛いところを衝かれ、ロッシュは動揺を隠せなかった。
「そ、そこは上手くやるさ。大軍で皇后宮を取り囲み、ヤーマンの身柄だけを要求する、とか」
部下は苦笑した。
「時間を与えれば、パシーバ族と共に逃げるに決まっていますよ。ヤーマンの首を取るには、一気に攻め込むしかありません。その際、外国の客に紛れて逃げられぬよう、皆殺しにする必要があります。よって、謀叛が成功しても、世界中の軍が攻めて来ます。無理です。無謀すぎます」
ロッシュは唇を噛んだ。
「それでも構わん。このままでは、わがはいは確実に殺される。もう後には引けんのだ!」
部下は態とらしく溜め息を吐いた。
「ならば、もうお止めはしません。しかし、ご協力もできません。どうか、お引き取りください。ああ、心配されぬように言っておきますが、この話は聞かなかったことに」
不意に相手の言葉が途切れたため、俯いていたロッシュが顔を上げると、部下の喉から刃物の先が出ていた。
その後ろに吟遊詩人のような尖がり帽が見えた。
ロッシュは不快そうに顔を顰め、「何も殺さなくても良かったろうに」と非難したが、前のめりに倒れた部下の背後に居たシャドフは鼻を鳴らした。
「大事の前の小事だ。せっかくバスティル監獄の近くにいた魔道師たちを全員始末し、馬小屋の馬も全部毒殺したのに、こんなところから秘密が漏れたんじゃ、元も子もねえ。さあ、もう時間がねえぞ。次へ行こうぜ」
「しかし、部下の言ったことにも一理ある。どうしたらいい?」
シャドフは舌打ちした。
「ちゃんと考えてあるから心配すんな。爺さんは、兵を集めることに専念しな」
ロッシュは一瞬ムッとしたが、さすがにすぐ気持ちを切り替え、「わかった。こうなったら、行くところまで行くしかないな」と言いながら、懐から人名を書き付けた紙を取り出した。
「よし。では、次はこの男だ」
リーロメルの手並みがあまりにも鮮やかであったことと、馬が殺されたことによって、バスティル監獄からの報告は未だに皇后宮に届いていなかった。
来賓の到着も一段落し、城内は正午の開宴に向けて戦場のように慌ただしくなっていた。
昨日は旋毛を曲げて途中で帰ってしまった魔女ドーラも、早朝から館内を飛び回っている。
「ええい、それは違うぞえ! こっちじゃ、こっち! おまえには美的感覚というものがないのかえ! おお、慎重に扱うのじゃぞ! 壊したら替えはないのじゃ!」
と、ドーラの傍に、黒い不吉な鳥のような東方魔道師がスーッと近づいて耳打ちした。
「バスティル監獄を担当している者たちから、定時の連絡が入りません。また、ジョレ将軍からも、魔道屋シャドフを斃したとの報告がございません」
ドーラも声を低めた。
「ふん。ジョレには最初から期待してはおらんが、監獄の方はまずいのう。恐らく、二人とも殺されたのであろう。おまえは手の空いている者を搔き集め、ロッシュの部下たちのところを探れ。もし、ロッシュを見つけたら、構わぬからその場で殺せ。但し、その近くにはシャドフがいるだろうから、充分気をつけるのじゃぞ」
「はっ」
東方魔道師が飛び去ると、ドーラは珍しく弱音を吐いた。
「手足となる者がおっても、頭がわたし一人ではどうにもならぬ。或る程度段取りがついたら、幻影を残して動くしかあるまい。こうなると、信頼できる仲間が欲しいものじゃのう。ええい、益体もない。今はできるだけ早くこの仕事を終わらせるだけじゃ。ああっ、違う、それはそこではないぞえ!」




