1260 魔の婚礼(31)
魔道屋スルージを眠らせると、リーロメルはバスティル監獄を挟んで反対側の樹上に移動した。
微笑みながら、何もない空間に向かって話し掛けた。
「約束どおり、見張りは全て片付けましたよ」
と、空気が朧に揺れ、吟遊詩人のような尖がり帽を被った魔道屋シャドフが姿を現した。
「ほう。さすがに超一流の刺客を名乗るだけあって、素早えな。が、念のため聞いとこう。何人殺った?」
リーロメルは、愉しいことを思い出すかのように指折り数えた。
「臨時に監獄付きに雇われた下級魔道師が三人。連絡役に残されていたパシーバ族の杜の番が一人。ゲーリッヒが連れて来ていた護衛役のガルム族が一人。ハリスの意向を受けたらしいガーコ族が一人。魔女ドーラ配下の東方魔道師が二人。ええと、合計八人になりますね」
が、シャドフの片方の眉がクイッと上がった。
「一人足りねえな。スルージはどうした?」
「眠らせました」
「何故殺さねえ?」
リーロメルの笑みが深くなった。
「その理由はあなたには関係のないことです。ご不満なら、あなたを殺しますよ」
シャドフは鼻を鳴らした。
「まあ、邪魔が入らねえなら、それでいい。とにかく、八人の分の礼は言っとくぜ。だが、これでおれに恩を売ったと思うなよ」
リーロメルは驚いたように「勿論ですとも」と両手を広げて見せた。
「わたくしは、自分の目的のためにあなたをお手伝いしただけのこと。もし、目的が逆であれば、躊躇わずにあなたを殺していたでしょう」
「だろうな。それだけにスルージのことが気になったんだが、ああ、もう忘れるよ。おれはこれからが本番だからな。おめえはどうする?」
リーロメルは肩を竦めた。
「残念ですが、皇后宮に戻らねばなりません。表向きの仕事がありますのでね。後はあなたにお任せしますよ」
「言われなくたってちゃんとやるさ。こっちも生命懸けだからな。一段落した頃には、もうおめえは帰国してて、二度と会うこともねえだろうさ。あばよ」
「おお、わたくしもそのつもりです。あなたのためにも、二度と会わぬよう、祈っていますよ」
脅し文句ともとれる言葉を笑顔で告げると、リーロメルはその場から跳躍して消えた。
シャドフは、苦いものを口にしたように顔を顰めた。
「イカレ野郎め。まあ、こっちも人手が足りねえから話に乗ったが、あいつだけは敵に回したくねえや。おっと、そんなこと言ってる場合じゃねえな。急がなきゃ」
シャドフは飛びながら再び隠形すると、監獄の敷地内に降りた。
大勢の看守だけでなく、増員された衛兵が常時館内を巡回しているが、常人には姿が見えないシャドフはなんなく擦り抜け、牢内へ入った。
ロッシュを収監するために他の囚人は他所に移されているため、外の物々しさに比べ、人影は疎らである。
それだけに、音を立てぬようシャドフは浮身して廊下を進んだ。
一番奥まった位置の牢の前に看守が二人立っていたので、そこがロッシュの居場所と知れた。
隠形したままでは攻撃ができないため、シャドフは姿を見せると同時に、両手で刀子を投げた。
一人は見事に喉に命中して絶命したが、もう一人は直前に気がついて避けたため、シャドフがもう一本の刀子で心臓を突き刺すまで、「曲者だーっ!」と叫び続けた。
入口の方から、それに応じる声が聞こえて来た。
シャドフは舌打ちした。
「仕方ねえ。急ごう」
シャドフは倒れた看守に向けて手を伸ばした。
スッと鍵束を引き寄せると、牢の扉を開けた。
「おお、待っていたぞ!」
身も細るような不安な時を過ごしたらしいロッシュは、シャドフに飛びつかんばかりに喜んだ。
しかし、シャドフは厳しい顔で「黙ってろ」と命じると、ロッシュの手を引いて走り出した。
ロッシュは慌てて一緒に走りながら、「ど、どうした?」と尋ねた。
シャドフは面倒くさそうに走りながら答えた。
「声を立てさせずに始末するつもりだったが、仲間を呼ばれちまった。おれ一人ならすぐにリープできるが、あんたと一緒じゃ、ちょっとだけ時間がかかる。その間に串刺しにされねえよう、安全な場所を探してるんだよ」
「おお、それなら、いい場所がある。こっちだ!」
反対方向に手を引っ張られたが、さすがにシャドフも逆らわずに従った。
何度か廊下を曲がるうち、ツンと鼻を衝く血の臭いがして来た。
ロッシュが「この先に拷問部屋があるのだ」と説明した。
「痛みに耐えかねた罪人が暴れて逃げ出さぬよう、頑丈な鉄の扉がある」
「わかった」
背後から「こっちへ行ったぞ!」などと叫ぶ声が近づいて来ている。
二人は飛び込むように拷問部屋に入ると、鉄の扉を閉めた。
堅い樫の閂を掛けるのと同時に、ガンガンと扉が叩かれた。
「ここを開けろ!」
「もう逃げられんぞ!」
「大人しく出て来い!」
その間にざっと部屋の中を見回したシャドフは、鼻に皺を寄せて吐き捨てるように告げた。
「こんな場合じゃなきゃ、絶対に来たくねえ場所だな。さあ、爺さん、早いとこ脱出しようぜ」
血がこびり付いた、えげつない拷問道具の数々を、満更でもない顔で眺めていたロッシュは、「爺さんとは無礼な」と文句を言ったが、そのような場合ではないと思い直したらしく、再びシャドフの手を握った。
「わがはいは、いつでもよいぞ」
シャドフは嫌そうな顔をしたが、扉を叩く音が道具を使ったものに変わったため、「じゃあ、行くぜ」と精神を集中した。
ポッと光る点が球殻状に広がって二人を包んだ。
扉を叩く音は益々激しくなり、オーク材の閂が異音を発して折れるのと同時に、二人を包む防護殻は忽然と消えた。




