1258 魔の婚礼(29)
少年ゾイアがウルスラの部屋を訪れた頃、昨日からバスティル監獄近くで張り込んでいる魔道屋スルージのところへも、想定外の訪問客が来た。
「虚空眼とやらが得意と聞きましたが、隠形は然程でもありませんね」
その時スルージは、監獄全体が見渡せる樹の上に居たのだが、危うく落ちそうになった。
「だ、誰でえ!」
声のした方を振り返った時には攻撃ができるよう隠形を解き、その手に刀子を握っていた。
が、今度は真後ろから声が聞こえた。
「残念ながら、わたくしに殺意があれば、あなたはもう死んでいますよ、魔道屋スルージさん。おっと、無駄な抵抗をすれば、せっかく拾った生命を失くしますよ」
スルージは振り向かなかった。
相手の言うとおり、完全に死命を制されていることがわかり、持っていた刀子をポロリと下に落とすと両手を挙げた。
「そんなに惜しい生命でもねえが、抵抗はしねえ。あんたが何者かも聞かねえ。が、一つだけ教えてくれ。あんたの目的は何だ?」
相手の含み笑いが聞こえた。
「それを言えば、わたくしが誰かもわかるでしょう。でも、構いませんよ。身元を隠すつもりなど、最初からありませんから。どうぞ、こちらをお向きなさい。但し、ゆっくりとね」
スルージは警戒しながらも結局好奇心には勝てず、ゆっくり振り向いた。
「へえ」
思わずそんな声が出た。
見たことのない金髪碧眼の男であるが、マオール風に髪を頭頂部で結んで馬の尻尾のように垂らし、服装も身体にピッタリしたマオールの民族衣装を着ている。
スルージの高さに合わせて浮身しているが、空中でピタリと動かない。
頭の良さが滲み出るような怜悧な顔に、皮肉な笑みを浮かべている。
「一応名乗っておきましょうか。わたくしはマオール帝国特命全権大使のリーロメルと申します」
「え、でも」
「そうです。わたくしはマオール人ではありません。本来の名前はロメルです。生まれはバロードの外れにある寒村と聞いていますが、うんと幼い頃に養子に出されたので殆ど覚えていません。貰われた先は魔道師の都エイサで、養父は魔道師でした」
「それじゃまるで……」
リーロメルの笑みが深くなった。
「ええ。あなたと同じ境遇です。しかし、あなたの養父ケロニウスはあなたを表に出さないよう、田舎の農夫に預けたり、エイサでは学校へ行かせなかったりしていたため、あなたの存在を知ったのはつい最近のことです。逆にわたくしは正式な教育を受け、将来を嘱望されていましたよ」
「それが何故マオールに?」
穏やかだったリーロメルの顔が一変した。
「決まっているでしょう! あのゲールの焼き討ちのせいですよ!」
スルージ自身はそのずっと前にエイサを離れていたが、あの事件以降、生き残った僅かな魔道師たちは、散り散りに中原の各地へ逃げたという。
「そりゃ大変だったろうな」
思わず同情の言葉が出たスルージを、リーロメルは睨みつけた。
「あなたに何がわかるというのですか。エイサの魔道師に報復されぬよう、ゲールは徹底的に残党狩りをさせました。多くの仲間が死に、わたくしは密かに東廻り航路の奴隷船に潜り込み、マオール帝国へ渡りました。奴隷として辛酸を舐めましたが、魔道が使えることがバレて、危うく首を刎ねられるところを救ってくださったのが、当時のヌルサン皇子です」
また慰めの言葉を掛けようと開きかけた口を、スルージは堅く閉じた。
それに気づいたリーロメルは嘲笑った。
「おお、お悧巧さんですね。安っぽい同情など真っ平です。それに、本当に大変だったのは、ヌルサン皇子の許で働くようになってからです。あなたもご存じのように、マオールには東方魔道師がいます。それなのに、わたくしが必要とされたのは、何故だと思います? 刺客のためですよ。東方魔道師は裏切らないよう、鍔広の帽子を被らないと魔道が使えないよう条件付けられますが、それでは目立つからです」
「だけど、女は……」
「そうですね。東方魔道師の女は目印として髪に金の輪っかを付けますが、それがなくても魔道は使えます。よって、暗殺は主に女の仕事でした。あの、タンファンのようにね」
話を聞くうちにリーロメルに対する恐怖が薄れ、スルージは普段のかれらしさを取り戻した。
「成程でやんすねえ。いつも女が刺客じゃ相手も用心する。それで男のあんたに白羽の矢が立ったんだね」
リーロメルは鼻を鳴らした。
「自分でも驚きましたが、わたくしは殺し屋として有能でした。皇子の政敵を次々斃し、それに伴って地位も上がりました。皇子が皇帝に即位されると刺客の仕事は減りましたが、異国人としては初めて皇帝補佐官に任じられました。そして今回、この大役を命じられたのです。まあ、依然として東廻り航路が使えぬため、という理由も大きいでしょうが」
「ふむ。あんたの事情は、まあわかりやした。ですが、その大使さまのあんたが、なんでまた間諜の真似事をしてるんです?」
リーロメルは馬鹿にしたように笑った。
「真似ではありません。大使は隠れ蓑で、わたくしの本来の仕事は間諜だからですよ」




