1254 魔の婚礼(25)
皇后オーネから、いっそヤーマンを斬れと囁かれたジョレは、仰け反るように驚いた。
「は、話が違う! わたしが言われたのは、ウルスラ女王を、うっ!」
意外に強い力でオーネに喉を掴まれ、ジョレは目を白黒させた。
オーネは見せかけの上品さをかなぐり捨て、育ちの悪さを剝き出しに、ドスの利いた声で脅しをかけて来た。
「それ以上一言でも喋ったら、拷問係に命じておまえの舌を引っこ抜かせるわ。冗談で言ってるんじゃないよ。いいね?」
ジョレがガクガクと頷くと、オーネは手を離し、取って付けたような明るい声で告げた。
「まあ、珍しい山羊のようなお鬚ね。思わず触ってしまったわ。そうそう。あなたがあの有名なジョレ将軍なのね。叔父マインドルフ一世の昔話など聞きたいわ。わらわの部屋にいらっしゃいな」
「え? あ、いや、わかりました」
その場には、婚礼の前日に男を私室に連れて行くというオーネの非常識な行動を咎める者などなく、皆見て見ぬフリをしている。
ジョレもそのような気遣いをする余裕などなく、引き摺られるようにしてオーネについて行った。
一方、ハリスの私室へ行ったタロスは、室内の暗さに驚いた。
昼間だというのに分厚い遮光カーテンが閉められている。
その代わり、テーブルの上に燈明皿が載せられており、橙色の小さな炎が揺れていた。
「暗くて、すまない。陽の光が、われらは、苦手でな。構わぬか?」
弁解するように告げるハリスに、タロスは笑って答えた。
「勿論構わぬ。酒を飲むにはいい雰囲気だ」
ハリスも笑った。
「実は、酒はない。ああでも、言わねば、二人きりに、なれぬと、思うたからな。もし、本当に、飲みたいのなら、持って、来させようか?」
「冗談だよ。本当のところ、祝いの席などは別にして、日常は酒を飲む習慣がないのさ。役目柄、常在戦場だからな」
「おお、わたしも、同じだ。酒は、頭の、働きを、鈍くする。飲まないに、越したことは、ない。さて、それでは、失礼して、これも、脱がせて、もらおう」
そう言いながら、ハリスは白頭巾を取った。
素顔のハリスは意外に若く、整った顔立ちをしているが、肌は薄く、微かに血管が透けて見える。
癖のない銀色の髪に、透き通るような灰色の目をしていた。
その目を細めて笑って見せた。
「表情を、隠すのは、わたしのような、仕事をする、人間には、時には、有利だが、本音で、話したい時には、やはり、この方が、良い」
「そうだな。まあ、わたしは常に本音だが」
お道化たように笑うタロスに、ハリスは優しい目を向けながらも、フッと溜め息を吐いた。
「おぬしが、羨ましい」
「ん? 何故だ?」
「上に立つ人間を、信じられるし、また、信じてもらえる、からだ。わたしは、ずっとそうでは、なかった。いや、今も、そうではない」
正直なタロスは「お気の毒に」と言ってから、詫びた。
「いや、失礼した。他国者のわたしが言うべきことではなかったな」
ハリスは微苦笑した。
「良いのだ。事実、だからな。わたしは、少数部族の、出身として、異例の出世を、果たした。が、その道程は、険しく、辛いことも、多かった。歴代仕えたのは、皆一癖も、二癖もある、相手だったよ」
遠くを見るような目をし、特有の抑揚で列挙した。
「梟雄と呼ばれた、ゲール帝、宰相チャドスの、傀儡であった、ゲルカッツェ帝、野人そのままで、あればまだ良かった、ゲーリッヒ帝、元は親友であったのに、元首になって、人が変わってしまった、リンドル、奸佞ではあったが、剛腕でもあった、マインドルフ帝、そして現在の、大統領ヤーマン」
ヤーマンにだけ何の形容もつかないことを、世知に疎いタロスもさすがに気がついた。
「話とは、ヤーマンのことだな?」
ハリスは深く息を吐いた。
「ああ。そちらにも、既に情報が、入っている、かもしれぬが、謀叛の動きが、ある。首謀者は、オーネだ。恐らくヤーマンも、知っている。知っていて態と、見過ごして、いる。どうせ大したことは、できまいと、高を括って、いるのかと、思っていたが、どうも変だ」
「変?」
「逆に謀叛を、期待して、いるような、節が見える」
「そんな馬鹿な! お、すまん」
正直すぎるタロスの反応に、ハリスは微笑みながら首を振った。
「謝ることは、ない。わたしも、馬鹿げている、とは思う。思うが、ヤーマンの気持ちも、少しわかる。かれの婚礼の目的は、無名の自分を、中原中に、知らしめる、ことだ。謀叛が起きた方が、結果として、世間の耳目が、集まるだろう。そうなれば、我儘放題の、皇后など、要らなくなる」
タロスは間違って酸っぱいものを食べたような顔になった。
「ひどい話だな」
「確かに。が、それもこれも、謀叛がすぐに、鎮圧できる、ことが前提だ。わたしは、そう甘くないと、見ている」
「オーネの愛人とかいう男のことか?」
「それもある。が、シャドフは、智慧の回る、男だ。自分が不利と、思えば逃げる。怖いのは、愚か者の、方だ」
無論ハリスはロッシュを想定しているのだろうが、タロスはふと「ジョレ?」と呟いていた。




