1252 魔の婚礼(23)
魔道屋シャドフから、軽い調子でウルスラ女王を人質にしろと言われ、ジョレはまた落馬しそうになった。
「そんなの無理に決ってるだろ! 相手は大国バロードの女王で、警護兵が千人いて、しかも、本人は強い魔道の力を持ってるんだぞ!」
シャドフは空中に浮いたまま舌打ちした。
「声がでけえよ。何も今すぐ攫えって言ってるんじゃねえ。いざとなったら、って言っただろ? その時には、ちゃんとオーネから合図を送らせる。どうせ婚礼本番の時には、警護兵は皇后宮の外で待機するんだ。それから魔道については、コッソリこれを飲ませりゃいい」
シャドフは懐から小さな瓶を取り出すと、ジョレに向かって投げた。
焦ったジョレが落とさぬようだろう、瓶はゆっくり空中を移動し、自分からジョレの掌に乗った。
「これは?」
「消魔草の煎じ汁だ。女王の飲み物に二三滴垂らすだけでいい。魔道さえ使えなきゃ、高が十四歳の小娘だ。おめえ一人で充分だろう。後の段取りはその時オーネから伝えるように言っておく。それとも、副皇帝になりたくねえのか?」
ジョレは、自分を落ち着かせるように深呼吸すると、「わかった」と頷いた。
「わたしに任せてくれ」
強がって胸を反らすジョレに、シャドフは皮肉な笑みを浮かべて「おお、頼もしいねえ」と感心して見せたが、すぐに釘を刺した。
「当たり前だが、この話は絶対に誰にも秘密だぞ。特に魔女ドーラにはな。暴露したら生命はないものと思え。いいな?」
「う、うむ、わかっているさ」
「よし。外出があまり長くなると怪しまれる。そろそろ戻った方がいいぞ」
「そうだな。じゃあ、いざという時には、ちゃんと合図させるように頼むぞ」
シャドフは「ああ」と言いながら斜め後ろにスーッと上昇し、いつの間にか消えていた。
馬首を巡らし、不自然でない程度の速度で皇后宮へ戻りながらも、ジョレはずっとブツブツ溢していた。
「果たしてこれで良かったのだろうか? あの男を信用していいんだろうか? いやいや、もう約束したんだ。ここで迷っても仕方ない。それに、いざという時が、来ないかもしれないじゃないか。そしたら、何もせずに副皇帝だ。ああ、本当にそうなるといいんだが」
と、前方から何か灰色のものがヒラヒラと飛んで来た。
コウモリのようである。
「ん? あれは、もしかして……」
灰色のノスフェルは、顔を強張らせるジョレの目の前まで飛んで来るとクルリと宙返りし、灰色の長衣を着た美熟女姿のドーラに変わった。
馬の高さに合わせて浮身したまま、ホッとしたように話しかけて来た。
「おお、捜したぞえ。どこへ行っておったのじゃ?」
ジョレは動揺を隠そうと、ややぶっきらぼうに答えた。
「どこだっていいだろう。わたしだって気まぐれに馬を乗り回したい時だってあるさ」
「ほう。気まぐれにのう」
ドーラに疑われたと思い、ジョレは急いで弁解した。
「あ、いや、実は、土地鑑があるとの触れ込みでバロードに雇ってもらったものの、旧ヒューイ領には殆ど来たことがないんだ。だから、慌てて下見してるところだ」
それは事実だから、ドーラも納得したように笑った。
「成程のう。隣同士で仲が悪いというのは、世間ではよくある話ぞえ。それはそれとして、ここでおぬしに会えたのは、わたしにとっては勿怪の幸いじゃ。おぬしと話がしたいと思うておったのじゃが、皇后宮では人目があるのでな」
ジョレは山羊のような鬚を震わせた。
「な、何の話だ?」
「決まっておろう、魔道屋シャドフを殺る件じゃ。まさか忘れた訳ではあるまい?」
「あ、ああ、ああ。勿論覚えているさ。わたしに任せてくれ」
ドーラは失笑した。
「任せるも何も、まだ詳しいことは何も言うておらんぞえ。これから説明するのじゃ。まあ、聞け」
「うむ。聞いている」
ドーラは空中を少し近づき、声を低めて告げた。
「恐らく、シャドフの方からおぬしに近づいて来るはずじゃ」
「え、ええっ、そう、そうなのか?」
どの程度の驚き方が適切なのかわからず、ジョレは脂汗を流した。
が、ドーラはそれをジョレの臆病さと勘違いしたらしく、軽く舌打ちした。
「そう怖がるな。シャドフがおぬしに近づくのは、仲間に引き摺り込むためじゃ」
「へえ」
思わず間の抜けた声が出たが、却ってドーラは安心した顔になった。
「意外じゃろう? だが、これはかなりの確率でそうなるはずじゃ。明日、あやつはバスティル監獄からロッシュを脱獄させ、配下の兵を糾合させて叛乱を起こす肚ぞえ。当然、ロッシュに付きっ切りにならざるを得ぬ。すると、肝心の皇后宮のことは、他人に頼むしかない。そこで、操り易い、あ、いや、言うことを聞いてくれそうなおぬしに接触してくるのさ」
「ふーん」
動揺しすぎて、もう変な声しか出ないようだ。
「その時が好機ぞえ。魔道屋としては有能でも、剣の腕前はおぬしの方が格段に上じゃ。油断させて近くに来させ、一気にバッサリ、という寸法さね。ん? どうした、震えておるのか?」
「あ、いいや、武者震いだ。それにしても、本当に向こうから来るかなあ」
「来るとも。皇后宮で、一番の大仕事を頼むはずじゃ」
「一番の大仕事?」
「ああ。大統領ヤーマンの暗殺じゃ」
「そ、そんなことは言って」
「何じゃと?」
「いや、本当にそんなこと、言うかな?」
「まあ、おぬしに暗殺は無理と思えば、誰かを人質に取れとか言うかもしれんが、要は、おぬしに近づいてくれば良いのじゃ。その好機を逃すでないぞ」
「お、おお。心得た」
「ここがおぬしの正念場ぞえ! 必ずやり遂げるのじゃ!」
ドーラが再びノスフェルとなって飛び去った後、結局、ジョレは馬から転がり落ちてしまった。




