1250 魔の婚礼(21)
ウルスラたちが部屋に案内され、警護兵千騎が近隣の宿舎に誘導されると、皇后宮は火が消えたように静かになった。
が、大統領ヤーマンは玄関ホールから動かなかった。
「そろそろ来る頃だがや」
ウルスラの時以上の緊張感を見せるヤーマンの許へ、ガルマニア人らしい赤毛の秘書官が歩み寄り、「お見えになりました」と言上した。
ヤーマンは「うむ」と頷いたものの、表情は硬い。
と、入口の方から、「邪魔するぜ」という知り合いの家を訪ねるようなざっかけない挨拶が聞こえた。
間を置かず、スルリと入って来たのは元皇帝のゲーリッヒである。
尤も、ボサボサの赤い髪を藁のようなもので一つに縛り、毛皮を繋いだ珍妙な服を身に纏った、野人太子と呼ばれた頃の恰好をしている。
屈託のない表情で、日に焼けた精悍な顔から真っ白な歯を覗かせ、「久しぶりだな、ヤーマン」と呼び掛け、苦笑して付け加えた。
「閣下って言わなきゃな」
内心はどうあれ、ヤーマンも如才なく微笑みながら、「構わにゃあでよ」と応えた。
「今はこげに美々しい服装をしとるが、わしとてガルム大森林を駆け回っちょった頃は、太子と同じような恰好じゃった。本音を言やあ、わしとてそうしたいくれえだで。が、立場上それもできにゃあでよ。太子はどうぞ自由にしてちょう。おお、部屋に案内せんと」
が、ゲーリッヒは笑顔のまま首を振った。
「それには及ばねえ。森の暮らしに戻ってから、どうもこういうところじゃ眠れなくなっちまってよ。連れて来た仲間三人とこの近くに野宿するから、心配しねえでくれ。それから」
笑顔の底に、凄みのようなものが走った。
「どうせ監視役を付けるんだろうが、この際、一思いに、なんてのは勘弁してくれよ」
ヤーマンは両手を開き、眉を大きく上げて驚いた顔をして見せた。
「とんでもにゃあことだぎゃ。わしゃ自分の婚礼を血で汚すような情け知らずではにゃあよ。安心してちょう」
その裏の意味は、婚礼の時でなければ容赦しないぞ、という脅しであろう。
ゲーリッヒにもそれは伝わったらしく、クックッと声を出して笑いながらも、目は少しも笑っていなかった。
「安心したよ。それじゃ、おれも明日の式典には遅刻しねえようにするから、おめえも確り花婿役を務めてくれよ、閣下」
尚も笑いつつゲーリッヒが出て行くと、ヤーマンは鼻を鳴らして「負け犬めが!」と罵った。
それを聞こえないフリで、案内役の赤毛の秘書官が近づいて来た。
「以上にて、前日入りのお客さまは、全員ご到着になられました。後の皆さまは、当日となります」
そのまま下がろうとする秘書官を、ヤーマンが「ちょっとええかの?」と止めた。
戸惑った顔で「はい?」と聞き返す秘書官の顔を見つめながら、ヤーマンはズケリと訊いた。
「おみゃあは、ゲーリッヒをどう思っちょる?」
赤毛の秘書官は軽く肩を竦めた。
「確かにわたくしはガルマニア人ですが、何世代も前に中原に定住した一族で、あのお方のようなガルム族ではありません。小国乱立していたガルマニアを統一されたゲール帝には敬意を払いますが、その息子たちにまで忠義を尽くす義理などございません。このようなお答えで、よろしいですか?」
ヤーマンもそれで満足したようで、「まあ、ええじゃろ」と欠伸混じりに答えた。
「わしゃ草臥れたで、少し寝る。じゃが、何かあったら、すぐに起こしてちょう」
「御意のままに」
一方、各自に部屋を与えられたバロード一行は、着替えを済ませてウルスラの部屋に集合した。
「結界は大丈夫かしら?」
ウルスラの質問に、部屋の奥の空気が朧に揺れ、魔道師カールが姿を現した。
「大丈夫でございます。元々ヤーマン配下のパシーバ族は、体術は得意でも、魔道は然程でもありません。わたくしの侵入にも、全く気づいておりませんでした」
ウルスラは苦笑した。
「それはパシーバ族に限らないわ。わたしもいつあなたが部屋に入って来たのか、全然わからなかったもの。さて、それじゃ確認ね。スルージは今どこ?」
「はい。何か動きがあるまでは、バスティル監獄に貼り付くと言われておりました」
ラミアンが首を傾げ、「それはどうでしょう?」と発言した。
「動きがあるとしたら、明日の婚礼が始まってからだと思います。それまではパシーバ族の監視も厳重でしょうから、却って見つかる危険があるのではないですか?」
すると、タロスが穏やかながらキッパリとした口調で、「それは違うな」と否定した。
「危険はスルージも充分承知していると思う。それでも事前の動きは、動きがないことも含め、探っておかねばならん。結局のところ、事の成否を決するのは、情報だからな。まあ、これは、ゾイアどのの受け売りだが」
ゾイアの名前が出て、ウルスラの顔が少し曇ったが、不安を振り払うように別のことを尋ねた。
「そういえば、ジョレはどこへ行ってるの?」
一瞬、三人が譲り合うような間があったが、直属の上司となったタロスが代表して答えた。
「実は、この皇后宮のある旧ヒューイ領にはあまり来たことがないそうで、事前に現地を視察したいと、馬を借りて行きました」
「まあ、それじゃ、地理に詳しいという話は嘘なの?」
聞かれたタロスも困惑の表情になった。
「満更嘘ではないでしょうが、生前ヒューイとは仲が悪かったそうで。それでも、われわれよりは土地鑑があるはずです」
「そう。なら、いいけど」
ウルスラの顔に不安が過った。




