1246 魔の婚礼(17)
バスティル監獄は、皇后領と同じ旧ヒューイ領の市街地にある。
東西南北を高い城壁と深い堀に囲まれ、西に面した正門に架かる跳ね橋は、普段は城壁側に引き上げられており、簡単には往来できない。
また、壁の内側は広い中庭で、孤立した監獄棟を四角く囲んでいる。
城壁の四隅には高い望楼があり、常時内外を監視していた。
よって、別名を『要塞監獄』とも云う。
これを造ったのはアーズラム帝国皇帝マインドルフ一世であるが、帝国末期に住民と共にハリスが立て籠もったため、後継政権を担ったヤーマン大統領は大改装を加えた。
堀の幅と城壁の高さを倍にし、衛兵を千名に増員し、専属の杜の番を五名配置した。
正に要塞であり、ヤーマンの本性が垣間見える設備である。
尤も、合州国建国以来、ヤーマンは内外共に微笑政策を継続しており、政治犯が捕らえられるのは、今回の行政長官ロッシュが最初であった。
ここへ魔道屋スルージが様子を見に来る少し前のことである。
杜の番の縄で縛り上げられ、罪人用の馬車に乗せられたロッシュは悄然と俯いたまま、堀に架かる橋を渡ろうとしていた。
「……女の色香に迷った報いとはいえ、このような恥辱、とても耐えられぬ。いっそ、この堀に身を投げて死にたいが、こう緊く縛られては身動ぎもできぬ。ああ、已んぬる哉……」
その時、細い蜘蛛の糸のようなものが風に乗って飛んで来て、ロッシュの耳にピタリと貼り付いた。
「うっ」
反射的に首を振って外そうとしたが離れない。
と、糸から声が聞こえて来た。
「静かに。おれは味方だ。周りに気づかれねえよう、ジッとしててくれ」
囁くような声で「だ、誰だ?」と聞いた時、もう一本の糸が喉に貼り付いた。
また耳の糸から声がした。
「そっちは声を出さなくていい。直接喉の振動を拾うから、声を出さずに喋ってくれ」
「わかった。で、おまえは誰だ?」
「皇后オーネに頼まれた魔道屋だ」
「ま、まさか、あ、少し声を出してしまった。すまん。まさかシャドフという男ではあるまいな?」
相手はホンの一瞬間を置いたが、「違う」と否定した。
「スルージという者だ。ちゃんと組合にも登録している」
勿論、嘘である。
が、ロッシュはホッとした顔になった。
「そうか。ならばいい。で、オーネから頼まれたこととは?」
「おめえを脱獄させて欲しいとよ」
「おお! できるのか?」
「できなきゃ、引き受けねえよ。但し、今日じゃねえ。明日だ」
「今すぐ何とかならんのか! あ、声が」
糸を通して舌打ちが聞こえた。
「落ち着けよ。この厳重な警戒の中、危険を冒して話をしてるんだ。もし、今気づかれたら、全部おジャンになるんだぜ」
「すまん。しかし、できれば牢屋になど入りたくないのだ」
「そりゃ誰だってそうだろうさ。だが、どう考えたって今日は無理なんだ」
「跳躍すればいいだろう?」
「駄目だ。杜の番が五人も見張ってるから、何かあれば必ず航跡を追われる。それに、世の中には時間が経っても航跡が見えるやつもいるしな。だが、明日になりゃ、確実にここは手薄になるんだ」
「そうか。どうしても牢屋に入るしかないんだな」
「ああ。今夜一晩辛抱して大人しく牢屋に入っててくれ。危険を承知で話しかけてるのは、あんたが早まったことをしたり、暴れて怪我をしたりしたんじゃ、明日の本番に差し障りがあると思ってのことさ」
「明日の本番?」
「決まってるだろう。謀叛さ」
「ううっ。声が出そうになった。やっぱり、やらなきゃ駄目か?」
「今更何を言ってやんでえ。無事にここを逃げられても、ヤーマンが生きてる限り、一生追われる身になるんだぜ。ところが、おめえが四万の軍勢を率いてヤーマンとその配下のパシーバ族をやっつけりゃ、もう安心だ。それどころか、女帝になったオーネに呼ばれて、夫君になるのも夢じゃねえよ」
「そ、そうだな。やるしかないな」
「おお、その意気だ。だからよ、明日おれが救けに来るまで、変な気を起こさずに待っててくれよ。いいな?」
「ああ。そうする。だから、きっとだぞ」
「任せときな。じゃあ、あんまり長くなると危ねえからな。あばよ」
耳と喉にくっ付いていた糸が、ピッ、ピッと外れ、風に流されて飛んで行った。
ロッシュが大人しく収監され、様子を見に来たスルージが慌てて自由都市ロランへリープした後、バスティル監獄の傍の森の樹の上で、空気が朧に揺れて魔道屋シャドフが姿を現した。
「ふふん。噂をすれば何とやらだ。苦し紛れにスルージの名前を騙ったが、すぐに本人が来やがった。例の虚空眼で、下調べに来た時に残した航跡を見られただろうな。まあ、仕方ねえ。逆にあいつを利用してやろう。お調子者だから、ギャアギャア大騒ぎするだろうから、その裏を掻いてやる。待ってろよ」
シャドフが姿を消した後、樹上の別の場所の空気が同じように揺れ、魔女ドーラが姿を見せた。
「ふうっ。何とか耐えたぞえ。まあ、あの地味な顔のカールほどではないが、わたしの隠形もわれながら天晴なものじゃ。さて、あの色悪がスルージの裏を掻くなら、そのまた裏を掻くまでぞえ」
北叟笑みながら、ドーラも姿を消した。




