1243 魔の婚礼(14)
皇后宮で陰謀が交錯している頃、自由都市ロランでは、警護兵千騎を率いるタロスに同行を認められたジョレが、宿泊先の安宿で独り祝杯を上げていた。
「まあ、色々あったが、わたしもここらで落ち着きたいものだ。なあに、ガルマニアの婚礼で事件など起きるものか。あのヤーマンにそんな手抜かりなんぞないさ。婚礼さえ無事に終われば、わたしは約束どおりバロード軍に入れてもらえる。まあ、最初から将軍は無理だろうが、欲は言わん。千人長ぐらいが丁度いい。今は復興中だが、バロードは元々豊かな国だ。それなりの俸給は貰えるだろう。そしたら若い後妻を迎えて、田舎でのんびり暮らすさ」
杯から葡萄酒を飲み干すと、悦に入った笑顔で、山羊のような顎鬚に付いた滴を拭った。
と、その時、部屋の奥から声が聞こえた。
「わたしがおぬしの後妻になろうかの?」
ジョレは思わず杯を落とし、目を見開いて声のした方を凝視した。
「ま、まさか、ドーラか?」
部屋の奥の空気が朧に揺れ、薄い長衣を身に纏った美熟女姿のドーラが姿を現した。
皮肉な笑みを浮かべてジョレを見ている。
「散々裏切りを繰り返したおぬしが、静かな余生を過ごそうと決意しておるのに気の毒じゃが、そう簡単には行かぬぞえ。どう見ても今回の婚礼は、徒では済まぬ。多くの血が流れることになろうさ」
ジョレの鬚が細かく震えた。
「お、おまえが謀叛を起こすのか?」
ドーラは嘲笑った。
「おぬしのように、かえ? 馬鹿馬鹿しい。先日のエイサ攻略戦で被った痛手がまだ回復しておらぬわ。今は只管隠忍自重するべき時期ぞえ。逆に言えば、今合州国がガタガタするのは、わたしも困るのじゃ。実は、謀叛を企んでおるのは、外ならぬ花嫁のオーネさ。よって、多少の流血沙汰は避けられぬとしても、大規模な内戦は何とか回避したいのじゃ」
すっかりドーラの話に引き込まれたジョレは、自然と身を乗り出して聞いた。
「内戦になりそうなのか?」
逆にドーラは勿体をつけるように、少し肩を竦めた。
「このまま放って置けばな」
「だが、オーネという女は、自分の軍は持っておらんだろう?」
「そうじゃ。しかし、以前アラインを誑かしてマインドルフを殺させたであろう? 同じことをまたやろうとしておるのさ。今度の生贄は、元近衛師団長のロッシュじゃ。もうええ歳じゃが、オーネの色香に惑わされておる。幸いというと語弊があるが、おぬしとポーマの旧領の行政長官になっておるから、最大四万の軍を動かせる。これはヤーマンの直属軍二万の倍ぞえ」
「ほ、本当か?」
「ああ。兵を養う都合上、豊かな旧ジョレ領・旧ポーマ領を任されたロッシュの配下の兵が多くなったのであろうが、こういう点にも、ヤーマンの大盤振る舞い政策の矛盾が露呈しておるわい」
恐らく今のところドーラが得ている情報はそこまでであるらしく、既にコロクスらの手によってロッシュの身柄が拘束されたとは知らぬようである。
ドーラすら知らないことをジョレが知るはずもなく、見当違いの質問をした。
「成程。と、いうことは、おまえもロッシュに味方するつもりだな?」
真面目な顔で聞くジョレを、ドーラは呆れたように見返した。
「阿呆。ロッシュのような男に、この複雑怪奇な国を纏められるものか。忽ち四分五裂して、収拾がつかなくなるわい」
「ならば、オーネが女帝になればどうだろう? 何といってもマインドルフの姪だし」
ドーラは心の底から軽蔑したような顔になった。
「あの女子に、政治的な能力など皆無じゃ。自分が置かれた状況から、真っ先に懐柔しておくべきわたしを、まるで使用人のように扱う女ぞえ。わたしがあの女を殺さなかったのは、背後にヤーマンがおったからじゃ。あやつには、そういう政治の機微など、全くわかっておらぬ」
多分に個人的な恨み辛みも入っているドーラの分析に、しかし、ジョレはアッサリ同意した。
「そうだろうな。じゃあ、やっぱりヤーマンの味方をするんだな?」
ドーラはあからさまに溜め息を吐いた。
「おぬしもオーネと五十歩百歩じゃな。教えるのも面倒じゃが、態々煮え滾る湯に手を入れて、半熟卵を掴んでどうする? 火傷をするだけぞえ。茹で上がりを待つのじゃ」
ジョレは驚いた顔で聞き返した。
「だって、そのままにはして置けないって、さっき言ったじゃないか?」
「そうさ。今のままでは綺麗に茹で上がらず、卵が割れてグチャグチャになるわい。そうならぬよう、上手に湯をかき回すのじゃ」
「ええっ? 意味がわからん」
頭を抱えるジョレにドーラはまた吐息したが、気を取り直し、子供に噛んで含めるような口調で教えた。
良いかの?
今回の婚礼の意図は、中原はおろかガルマニア領域内ですら殆ど無名であったパシーバ族出身のヤーマンが、マインドルフ一世の姪であるオーネを娶ることによって、揺るぎない支配体制を築くことにある。
まあ、もっといい家柄の娘を捜せば幾らでもおるじゃろうが、マインドルフほどの知名度はないからの。
それに、ヤーマンは決して色男ではない。
有り体に言えば、見た目は猿じゃ。
普通の娘なら、二の足を踏む。
ところが、オーネは能力もないくせに、野心だけは叔父のマインドルフ並みに持っておる。
つまり、両者の思惑が一致して、目出度し目出度し、となるはずじゃった。
ところが、ここに魔道屋シャドフという色悪が絡んで、ややこしいことになっておる。
オーネも当初は、形だけの夫婦なら我慢してもいいと思っていたかもしれぬが、今ではヤーマンを亡き者にして権力を奪取し、晴れてシャドフと夫婦になることを、本気で考えておる。
これを止める手立ては一つしかない。
シャドフを殺すのじゃ。
ドーラに見つめられ、ジョレは怯えたように身を反らした。
「ま、まさか……」
「そう、そのまさかぞえ。おぬしの手で、密かにシャドフを斃して欲しいのじゃ」




