1242 魔の婚礼(13)
「おれなら、ここにいるぜ」
窓の外に浮身している魔道屋シャドフは、吟遊詩人のような尖がり帽を指先でチョンと上げ、笑って見せた。
皇后オーネは安堵のあまりその場にへたり込みそうになりながらも、拗ねたように頬を膨らませてシャドフを詰った。
「もうっ、どこに行ってたのよ! あなたがいないから、大変なことになったのよ!」
しかし、シャドフは惚けたように笑った。
「窓枠に盗聴用の魔道糸をくっ付けておいたから、近くの樹の上で今の一幕は全部聞いてたよ。が、まあ、別に大変ってことはねえだろ? ロッシュの爺さんがブチ込まれる牢屋の目星はもうついてる。なんと、あのバスティル監獄だぜ。因果は巡る、ってやつだな」
アーズラム帝国の末期、皇帝マインドルフ一世の圧政に苦しむ民衆が、当時叛逆者として追われる身であった元国防長官ハリスを中心に、バスティル監獄に立て籠った。
その捕縛に当たったのが、その当時近衛師団長であったロッシュである。
ロッシュは、投降しなければ人質を殺すと脅したのだが、偶々バスティル監獄にいたファーンに殴り倒され、人質を奪い返された。
素手の女に負けるという軍人として最大の屈辱を味わい、本来なら激しく報復すべきところ、その間に主のマインドルフが暗殺されてしまい、それどころではなくなってしまった。
その後ロッシュは、暗殺の張本人であるアラインに媚び諂って仕え、ヤーマンが大軍を率いて攻めて来ると、今度は自らそのアラインを殺し、ここまで伸し上がって来た。
そして今、ロッシュにとって一番入りたくないであろう、そのバスティル監獄に収監されるのだという。
が、オーネは、そんな運命の皮肉には興味がないようであった。
「そこまでわかってるなら、早くなんとかしてよ!」
「勿論なんとかするさ。だが、今じゃねえ」
「じゃあ、いつよ?」
「明後日、おめえの婚礼が宴も酣って時さ。当然警備も緩むから、おれが脱獄させる。後は、最初に決めてた段取りどおりさ」
大分安心したのか、オーネは甘えたような声で尋ねた。
「そんなに上手くいくかしら?」
シャドフも内心はともかく、自信たっぷりなニヤケた笑みを浮かべて答えた。
「ああ。これぞ怪我の功名ってやつさ。誰が見ても胡散臭いロッシュの爺さんも、牢屋の中に入ってるってことで、みんな油断する。一方、爺さん自身も、謀叛が成功しなけりゃ確実に死罪だから、必死になる」
「違うわ。あたしが心配してるのは、脱獄のことよ。なんといってもバスティル監獄よ。立て籠り事件の後、また民衆に奪われないようヤーマンが大改装したって聞いたわよ」
すると、ずっと窓の外に浮かんでいたシャドフが、スーッとオーネの傍に寄って来て、色悪めいた笑顔を近づけた。
「おれを誰だと思ってる? 裏稼業では知らねえ者はいねえ魔道屋シャドフさまだぜ。おれが本気で取り組んで脱獄できねえような場所は、あの悪名高い牢獄島くらいさ。心配すんな」
オーネは目をトロンとさせ、シャドフの顔を両手で挟んだ。
「ちゃんとあたしを安心させてよ」
「おお、わかってるさ。だが、まだやることがいっぱい残ってるんだ。全部の段取りをおれ一人でやってるのに、何しろもう日にちが今日明日しかねえからな。明後日無事にヤーマンの首を取ったら、幾らでもおめえを可愛がってやるからよ。それまで辛抱しな」
シャドフは邪険に見えないよう、ゆっくりオーネの手を外した。
オーネは落胆の表情を隠そうともせず、文句を言った。
「他に女ができたんじゃないでしょうね?」
宙に浮いたまま少しずつオーネとの距離を開けながら、シャドフは肩を竦めて見せた。
「そんなはずがねえだろう。おれのお姫さまは、おめえ一人さ。さあ、二人の未来のために頑張ってるおれを、笑顔で見送ってくれ」
オーネは無理に笑顔を作ったが、どう見ても半ベソのようであった。
「信じてるわよ、シャドフ!」
「ああ、信じて待っててくれ!」
手を振りながら窓から外へ飛び出すと、シャドフは吐息交じりで独り言ちた。
「さっき若い女官を抱いたばかりだからな。まあ、それがなくても、オーネには少し飽きた。なるべく早い段階で始末しねえとな」
シャドフが飛び去って暫くして、皇后宮の上空に魔道屋スルージが姿を見せた。
「ほう。あの航跡は、まだ新しいでやんすね。ふむふむ。行ったり来たり、忙しいですな。恐らく、シャドフの野郎でやんしょう。ん? 大きな荷物を持って裏門からトボトボ出て来てるあの婆さんは、見覚えがありやすね。確か、女官長とか。ちょっと様子を見てみやすか」
スルージは隠形しつつ、高度を下げた。
裏門の外にある狭い通路を歩きながら、女官長はブツブツと愚痴を溢している。
「もう少しで、ロッシュの逮捕とぶつかるところだったじゃないの。あの杜の番が今日中って言うから、夕方ぐらいかと思ったら、すぐじゃない。まあ、お蔭で面白いものが見れたけど。ああ、早くあの淫婦も捕まらないかしら。でも、斬首がロッシュだけじゃ、つまらないわね。オーネもバッサリ殺ってくれればいいのに。まあ、どうせ婚礼が済み次第、あの女は牢屋行きよ。いい気味だわ!」
女官長が通路の先の堀に架かる橋を渡って行く頃、見えないスルージの溜め息が聞こえた。
「今から婚礼当日が思いやられるでやんす。なんて言ってる場合じゃねえですねえ。いったい何が起きたのか、そして、何が起きようとしてるのか、今のうちに調べねえと。うん、こうしちゃいられないでやんすね」




