1240 魔の婚礼(11)
大統領ヤーマンが州総督を兼ねるパシーバ州は、旧ザネンコフ領・旧ポーマ領・旧ジョレ領から構成されている。
面積はガルマニア合州国全体の三分の一を占め、人口も一番多い。
ヤーマン自身は山間地の旧ザネンコフ領にあるパシントン特別区に常駐し、国政全般を動かしているため、旧ポーマ領と旧ジョレ領は部下の行政長官に任せきりであった。
それが元近衛師団長のロッシュである。
旧ポーマ領・旧ジョレ領を併せても、面積は旧ザネンコフ領の半分ほどだが、ここはガルマニア最大の穀倉地帯であり、その収穫によって州全体の食糧を賄っても猶余りある。
余剰の穀物は他の州、就中ガルム州への支援に廻されているのだが、当然残りは換金されて国庫に納められている。
だが、長官就任以来、ロッシュはその一部を着服していた。
かれに言わせればこれは当然の権利であり、役得だという。
実際、かれが政治上のお手本としているマインドルフは、そうやって集めた財力によって皇帝にまで伸し上がったのだ。
だが、ロッシュにはそこまでの野望はなく、ちょっとした老後の備えのつもりであった。
早くに妻を亡くしたロッシュには子供もなく、財産を残す相手もいないのだが、若い頃貧しかったこともあって、惨めな老後だけは御免だと常々言っていた。
引退後にそれなりの後妻を迎え、悠々自適に暮らすのが夢だという。
それが急に、向こうから幸運が転がり込んで来たのだ。
いや、これを幸運といっても良いのか、本人もわからなくなっている。
オーネの部屋を出た後、歩きながらずっとブツブツ呟いていた。
「オーネが女帝で、わがはいが夫君か。悪くはない。悪くはないが、本当に信じていいのだろうか。ヤーマンに対しては元々忠誠心などないが、そんなに簡単に事が運ぶとも思えぬ。万が一失敗した時に、オーネが救けてくれればいいが、知らぬ存ぜぬと言われたら、一人で罪を被らされて殺されるだけだ。割に合わん。こっちばかりが危険を冒すことになる。うーん、やはり止めるか。いや、もう約束したしな。どうしたものか。ん?」
皇后宮の裏門を潜ったところで、細い通路の行く手を塞ぐように立っている人物が目に入った。
独特の貫頭衣を身に纏い、でっぷりと太った狒々のような顔をした巫術師のコロクスである。
意味不明のニヤニヤ笑いを浮かべてロッシュの顔を見ている。
コロクスはヤーマンの側近ではあるが、今のところ公的な役職には一切就いておらず、謂わば私人である。
ロッシュは自分の動揺を隠すように、威丈高に告げた。
「そこをどけ! わがはいの通行の邪魔だ!」
が、コロクスは一層笑みを深くした。
「そうは行かにゃあ。わしゃおみゃあに用があるでよ」
「ぶ、無礼であろう! おまえがヤーマン閣下の腹心だとしても、それは森の奥での話。ここでは徒の山猿にすぎん。とっとと道を開けろ!」
パシーバ族全体を馬鹿にした言い方であったが、コロクスは怒らず、笑顔のままズングリした肩を竦めた。
「おみゃあがそげなことを言うじゃろうと、うちの大将から特別に肩書をいたでゃあたがや。監察官っちゅう大層な名前じゃが、まあ、問題は中身だで。大将からこの一件に関する全権を委ねられちょる。大人しゅう縛に付いてちょ」
コロクスが合図を送ると、ザッ、ザッと樹の枝が撓るような音が近づいて来て、数名のパシーバ族が周辺に降り立った。
皆手に重りの付いた荒縄のようなものを持ち、グルグルと回し始めた。
恐らく、森で獲物を捕らえる道具なのであろう。
ロッシュは反射的に腰に手をやったが、文官になってから帯剣していないことを思い出し、舌打ちした。
「まあ、待て。おぬしらは何か誤解しているのだ。わがはいはこの地区を担当する長官として、明後日の婚礼の警備状況を確認に来ただけだ。何の疚しいこともない。忙しいからもう行くぞ。さあ、通してくれ」
言えば言うほど言い訳がましくなるため、ロッシュは強引に行こうとした。
と、振り回されていた荒縄が飛んで来て、ロッシュの身体に絡みついた。
「何をするか! 無礼にも程がある! この場に居る全員、後日キッチリ処罰してやる! 死罪を覚悟しておけ!」
手足の自由を奪われた状態で叫ぶロッシュを、笑顔を消したコロクスが冷ややかに見下ろした。
「残念だなや。おみゃあはこのまんま牢屋に入れられて、婚礼が済み次第、斬首の予定だぎゃ」
ロッシュはポカンと口を開け、なかなか言葉を発することができないようであったが、やっと声を絞り出した。
「ざ、罪状は、何だ?」
コロクスは再びニヤニヤと笑った。
「決まっとるだがや。不義密通だで」
「え? 謀叛の疑いじゃ、あわわ」
思わず口が滑ったロッシュだったが、コロクスは聞こえないフリをした。
「まあ、あの皇后さまの色気には、わしもフラッとなることもあったがや。じゃが、性格が悪すぎるだで。うちの大将も手を焼いちょる。まあ、おみゃあの処刑が済んだら、皇后さまは幽閉じゃろう。お気の毒じゃがのう」
「ち、違う! わがはいは、まだ何もして……」
それ以上反論する気力もなくなったらしく、ロッシュはガックリと項垂れた。




