1238 魔の婚礼(9)
蒼白な顔でオーネの私室を出た女官長は、機械的にロッシュへの伝言を告げると、蹌踉と自分の控室に戻った。
部屋に入るなり扉に凭れ、譫言のようにブツブツと呟いている。
「……赦さない……絶対に赦さない……殺してやりたい……誰かあの女を殺してちょうだい……ああ、そうだわ、一先ずヤーマン閣下にお知らせしなくては」
女官長はヨロヨロと部屋を横切り、窓を開け放つと、ピーッと指笛を鳴らした。
ザッ、ザッと樹の枝が撓るような音が近づいて来て、トンと誰かが軽々と床に降り立った。
毛皮の服から突き出した手足が異様に長く、顔も皺ばんで手長猿のようである。
「定時連絡にゃあ、まだ早いだぎゃ」
女官長は吐息混じりに応えた。
「これが最後の連絡よ」
「ほう。馘首にでもなったかや?」
「そうよ! あの淫婦に、今すぐ引退しろと言われたのよ!」
「まあまあ、落ち着いてちょう。あんたの人事権は、まだうちの大将ヤーマンさまが握っちょる。明後日の婚礼が済むまでは、オーネは徒の女官だぎゃ」
「だったら本人にそう言ってよ! ヤーマン閣下を始め、みんなして皇后、皇后って呼ぶから、本人はすっかりそのつもりよ!」
「わかっちょる。じゃが、それはわしら杜の番の役目ではにゃあ。一応、うちの大将には執り成してちょうでえと言うちょくが、まあ、無理じゃろう」
相手の投げ遣りな態度に、先程まで蒼褪めていた女官長の顔が赤く染まった。
「じゃあ、わたしはどうすればいいのよ!」
杜の番の男は、皺深い顔を顰めた。
「そうギャアギャア言わんでちょう。耳が痛えわ。まあ、少しでもおみゃあが安心するように、内緒の話を一つだけ教えとくだぎゃ」
女官長は急に昂奮が冷めたように、「何?」と好奇心を剥き出しにして訊いた。
男は唇に人差し指を当て、左右を見回してから、囁くように告げた。
「オーネはロッシュ長官を誑かして、大将の暗殺を目論んどるだで」
「な、何ですって! あっ」
思わず大声を上げた女官長の口を、男の手が押さえていた。
「まだ話の途中だぎゃ。もう一遍大きな声を出したら、そこで終わりだでよ」
終わりとは、話を止めるということだろうが、口封じに殺すぞという意味にも取れる。
女官長はガクガクと頷いた。
杜の番の男はもう一度左右を確認してから、静かに手を離した。
「まあ、ロッシュっちゅう男は、マインドルフを裏切り、更にアラインを殺してもうた、謂わば、主殺しの常習犯だぎゃ。急いで国を纏めるために、大将も片目を瞑って採り立てたものの、今じゃ後悔しちょるそうじゃ。声を掛けたのはオーネの方にしても、それを大将に報告せんのは、裏切ったも同じだで。まあ、婚礼の前に血腥いこともできにゃあで、今日中に一旦逮捕するちゅうことになっちょる」
女官長は唾を飲み、焦って尋ねた。
「そ、それで、あの女はどうなるの?」
「婚礼が無事に終わり、諸外国の貴賓が全員帰国し次第、同じく逮捕じゃ。容疑は、ロッシュとの不義密通の廉だがや」
「だって、それなら今でも」
「わかっちょる。じゃが、どこの馬の骨かもわからん魔道屋との浮気では、大将の沽券に係わる。その点、元近衛師団長のロッシュなら丁度ええんじゃ」
「じゃあ、二人とも斬首ね?」
嬉しそうに言う女官長を呆れ顔で見ながら、男は声を低めて答えた。
「ロッシュは勿論斬首じゃが、オーネは終身幽閉ちゅうことになるらしいでよ」
女官長は物足りなそうな顔であったが、ハッとしたように質問した。
「それで、わたしはどうなるの?」
「知らん」
「そんな!」
「静かにせんと、だちかんで。心配せんでも、一連の処置が済んだら呼び戻されるじゃろう。逆に、逮捕の時に巻き添えにされんで、良かったかも知れにゃあで。休暇を貰うたと思うて、暫く田舎にでも帰ったらどうじゃ?」
女官長は胸を撫で下ろした。
「そうするわ。考えてみれば、わたし以外は新人ばかりだもの。あの女にいびられて、中堅がみんな辞めたからよ。わたしがいなけりゃ、女官を統率できる人間はいないわ。それじゃ、くれぐれもヤーマン閣下によろしくお伝えしてね」
「ああ。おみゃあも達者でな」
そう告げた次の瞬間には、男は窓を飛び出し、ザッ、ザッと樹の枝が撓る音が遠ざかって行った。
一方小会議室では、オーネにヤーマンを殺す覚悟ができたかと問われたロッシュが、黙って小さく頷いていた。
不満そうな顔のオーネに「ちゃんと返事してよ」と催促され、ロッシュは聞き取れぬぐらい小さな声で応えた。
「ああ」
「ああって?」
「決心はしている。が、まだ何も準備はできておらん」
「じゃあ、急いでよ!」
本音の部分を垣間見せてしまい、ロッシュが鼻白んだ顔になったため、オーネは慌てて言い繕った。
「わたしももう後には引けないのよ。それとも、あなたはわたしに、大人しくあの猿に抱かれろと言うの?」
「いや、決してそのようなことはさせぬ!」
「ありがとう!」
オーネは身を投げ出すようにロッシュに抱きついた。
ロッシュはおずおずと抱き返したが、ゆっくり身体を引き離して吐息した。
「もう少しの辛抱だ。必ず、成功させる。待っていてくれ」
自分に言い聞かせるように告げるロッシュに、オーネは飛び切りの笑顔を見せた。
「信じてるわ、あなた」




