1237 魔の婚礼(8)
婚礼を二日後に控え、皇后宮では慌ただしく準備が進められていた。
隅々に至るまで綺麗に掃き清められ、かつてのヒューイの城以上に美々しく飾り立てられている。
厨房には多量の食材と酒類が運び込まれ、料理人たちは早くも下拵えを始めていた。
そうした中、一番焦って苛立っているのは、勿論、オーネ本人であった。
「何じゃこの下卑たドレスは! わらわに娼婦の真似をさせるつもりか!」
手に持っていた薄絹のドレスを、衣装係の若い女官に丸めて投げつけた。
因みに、皇后らしさを出すためか、一人称を変えたようである。
ドレスをぶつけられた女官は、一瞬、悔しさに唇を噛んだが、その表情を見られると後でどのような仕打ちを受けるかもしれぬため、すぐに面を伏せ、「失礼いたしました」と詫びながら部屋を出て行った。
オーネが忌々しそうに舌打ちしたところへ、女官長が入って来た。
途中、血相を変えて逃げ出した若い女官とすれ違ったはずだが、全くの無表情で静かに用件を述べた。
「畏れ入りますが、お客さまがお見えでございます」
オーネは美しい唇を歪め、「今は誰にも会いとうない!」と吐き捨てるように告げた。
女官長は声の調子を変えぬまま、「行政長官ロッシュさまですが、宜しいのですか?」と尋ねた。
オーネの柳の葉のような眉がキリキリと上がった。
「それを早く言わぬか! 会うに決まっておろう! 小会議室へお通しせよ!」
「謁見の間ではないのですね?」
念を押したのは、前回オーネの言いつけどおりにしたのに、帰り際ロッシュから、『間違いは誰にでもあること。どうかお気にならずに』と慰められたからである。
が、オーネの険しい表情を見て、「ご無礼申し上げました」と深く一礼すると、返事を待たずに立ち去ろうとした。
その背中に、オーネの冷たい一言が浴びせられた
「引退せよ」
女官長は驚いて振り返った。
「はい?」
「耳も遠くなったのか? ならばもう一度言ってやろう。わらわの命令を理解できぬほど耄碌したのなら、これ以上女官長の職に留めておけぬ。ロッシュへの伝言が済み次第、即刻引退せよ。申して置くが、これは温情じゃぞ。首を刎ねられなかったことを感謝するが良い」
蒼白な顔で、「畏まりました」と応えると、女官長は少し足元をふらつかせながら出て行った。
その後簡単に化粧を直したオーネは、手鏡を見ながら自分の表情を、化け物への人身御供にされる哀れな小娘に近づけようと、百面相のようなことをしていたが、結局諦めて部屋を出た。
「この前の反応は良かったから、勝手に想像を膨らませて、若い姫君を救う老騎士という役柄に嵌ってくれるはずよ。万一裏切りそうなら、シャドフに頼んで始末してもらえばいいし。まあ、大丈夫でしょ」
オーネが小会議室へ行くと、緊張した面持ちのロッシュが姿勢を正して座っていた。
「ごめんなさい、お待たせして」
早くも演技に入ったオーネは、自分が魅力的に見えるであろう表情や声音を意識しながら謝った。
「ああ、いや、それほどでは。それより、先程本人から聞いたのだが、女官長を辞めさせたとか?」
オーネは悲しそうな顔をして見せた。
「ええ。本当に残念だけど、寄る年波というのかしら、時々記憶が飛ぶみたいなの。さすがにこれ以上女官長の重責を負わせるのは気の毒だと思って、勇退を勧めたわ」
「おお、成程。それで合点がいった。前回は案内する部屋を間違った訳ではないと力説されたが、可哀想に、そう思い込んでいるのだな」
「そうなの。だから、少々変なことを言っても、許してあげてね」
「勿論だ。オーネさまのことを、その、まあ、かなり悪しざまに言われていたが、最早、事の善悪や理非曲直もわからぬのだろう。こんなことを言ってはなんだが、ああはなりたくないものだ」
「まあ、あなたに限って、そんな心配は要らないわ。お気持ちもお身体も、若々しいですもの」
そう言いながら、オーネはロッシュの手を握った。
ロッシュは首筋まで赤くしながら、「うむ。まだまだ若い者には負けぬつもりだ」と胸を張った。
その耳元に囁くようにして、オーネは日常会話の続きのように訊いた。
「それで、ヤーマンを殺す決心はついたの?」
一方、オーネにドレスを投げつけられた若い女官は、控えの間で泣いていた。
「何よ、あの女。ついこの間までわたしたちと変わらない立場だったのに。マインドルフの姪だっていうけど、そのマインドルフだって、どこの馬の骨かもわからない旅商人上がりじゃないの。わたしなんて、貴族の血筋なのよ。まあ、傍流だけど。でも、あの女よりは、ずっとマシよ」
「全くだな」
突然聞こえた返事に、若い女官はギョッとしたように周囲を見回した。
と、奥の空気が朧に揺れ、吟遊詩人のような尖がり帽を被った痩せた男が姿を現した。
「おめえの言うとおりさ。あの女より、おめえの方がずっと可愛いぜ」
そう言いながら皮肉な笑みを浮かべているのは、魔道屋シャドフであった。
「どうだ。いっちょうおれと手を組まねえか?」




