1228 同行二人(9)
せせらぎの音で目が醒めた。
模様の無い白い天井が見える。
「……ここは、ああ、そうだわ。霊癒族の隠れ里だったわね」
ウルスラは寝台から半身を起こすと、室内を見回した。
天井だけでなく、壁も床も白かった。
しかし、目が痛くなるような真っ白ではなく、態と燻んだ白にしてある。
壁は少し青みがかっているし、床はこころなしか茶色が混じっているようだ。
狭い個室で、家具らしいものはベッドと付属の小さなサイドテーブルぐらいしかない。
昨夜エマが、本来は病人や怪我人を泊まらせるための部屋だと、すまなそうに教えてくれたのを思い出した。
実は、泊まるつもりではなかったのだが、レナとの話し合いの後、レイチェルにせがまれて子供部屋で一緒に遊ぶうちに夕食の時間となり、エマに勧められるまま大食堂へ行った。
みんなで愉しく食べているうちに、旅の疲れが出てウトウトしてしまったところで、この部屋に案内され、そのまま眠りに落ちたのである。
ウルスラはベッドから降り、扉の反対側にある小さな明かり採りの窓に歩み寄った。
目醒めた時に聞こえたせせらぎが気になったのだ。
現在十歳児の体格になっているゾイアには高すぎる窓枠も、間もなく十四歳の誕生日を迎えるウルスラには、楽に外の様子が見えた。
「施療院の中庭ね」
煉瓦に囲まれた幾つもの菜園の間を縫うように流れる小川が、キラキラと光っていた。
そこに架けられた何本もの小さな橋の一つに、十歳ぐらいの少年が佇んでいる。
ゾイアであった。
何か思いつめたように、水面を見つめているようだ。
すると、いきなり川へ飛び込んだ。
「まあ、大変!」
叫んだ時には、ウルスラは窓の外に飛び出していた。
服装は、昨夜寝間着代わりに与えられた麻のような素材の貫頭衣のままであったが、それを気にする余裕もない。
水面近くまで降下したところで、やっと自分の勘違いに気づいた。
水の深さは大人の膝ぐらいしかなく、何よりも、びしょ濡れのゾイアが両手で魚を掴んだ状態で立っており、ギョッとしたように空中に浮かんでいるウルスラを凝視している。
ウルスラは照れたように笑った。
「おはよう。お魚を獲るのが上手なのね」
ゾイアは、少年らしくややぶっきらぼうに応えた。
「エマさんに頼まれたんだ。お客さまに食べさせたいからって。この川は、地下から水を引いて来てる人工の川なんだけど、水槽に入った稚魚を貰って来て、定期的に放流してるらしいよ」
「あ、ちょっと待って」
ウルスラは慌てて橋の上に着地すると、顔を上下させた。
瞳の色がコバルトブルーに変わり、改めて「おはよう」と挨拶した。
「ぼくはウルスだよ。驚かせてごめんね。その魚のことを、もっと詳しく知りたいな。一緒に料理してみない?」
と、ゾイアは魚を掴んだまま固まり、喉の辺りから抑揚のない声がした。
「……両性具有者を発見。抑圧された記憶に反応あり。速やかな再起動を推奨する……」
その時、建物の方から「そこで何をしているの!」という厳しい声が聞こえた。
ゾイアの凝固状態はすぐに解け、「あ、エマさん。ぼくは言いつけどおりに」と弁解した。
その間にも小走りで中庭を横切って小川の傍まで来ていたエマは、「あなたに言ってるんじゃないわ」と告げると、凛とした顔でウルスに向き直った。
「昨日言ったはずよ。勝手にゾイアに話しかけないでって。約束が守れないなら、出て行ってちょうだい!」
「違うんだ!」
そう叫んだのは、返事に困っているウルスではなく、ゾイアであった。
「その人は、ぼくが川に飛び込んだのを見て、何か勘違いして助けに来たんだと思う。きっと悪気じゃないよ」
エマは二人の少年の顔を交互に見て、フッと表情を緩めた。
「わかったわ。じゃあ、ゾイアはその魚を厨房に運んでちょうだい。ウルスはわたしと一緒に来て。ああ、心配しなくてもお説教じゃないわ。用があるのはウルスラの方よ。昨日ちょっと話していた、癒しを職員に教えるという件を、ちょっと試してみたいのよ」
名残惜しそうにゾイアが去った後、ウルスは悪戯を叱られた生徒のように悄然としていたが、「謝るならぼくの方さ」と呟くと、ウルスラに交替せずにエマの方を向いた。
「エマさん、悪いのはぼくなんだ。姉さんは、ゾイアが身投げしたんじゃないかと思って部屋を飛び出したんだけど、そうじゃないとわかった時、ぼくが魚のことをもっと聞きたいからって、無理に替わってもらったんだよ」
エマは、お道化たように肩を竦めて見せた。
「もういいのよ。それより、話の続きだけど、職員の中に簡単な魔道なら使える人が何人かいるの。今、大広間に集まってもらってるわ。朝食の時は病人や怪我人の世話で戦争みたいに忙しいから、悪いけど、その前に少し手解きしてくれないかしら?」
ウルスの顔が上下し、ウルスラに替わったが、その表情は自信なさげであった。
「わかりました。やってみます」
歩き出した二人は気づかなかったが、どこかで「あっ」という声がした。
「あれは噂に聞いたバロードの……」
中庭に散歩に来たらしい病人の一人のようであったが、ウルスからウルスラへの交替を目撃したらしい。
その山羊のような髭が、細かく震えていた。




