1227 同行二人(8)
少年の姿のゾイアから自分と違う名前で呼ばれたウルスラは、一瞬ハッとした顔になったが、キッパリと否定した。
「いいえ、わたしはウルスラ、バロード連合王国の女王よ。あなたが昔知っていた人に似ていたとしても、わたしはわたし。そして、あなたはバロードの参謀総長ゾイアよ。今あなたが為すべきことは、一刻も早くその自覚を取り戻すこと。あなたはバロードにとって、いいえ、この世界にとって、なくてはならない存在なのよ。お願い、ゾイア、元のあなたに戻ってちょうだい!」
切々と訴えるウルスラの言葉を、ゾイアは悲しげな顔で聞いていたが、目を逸らすとポツリと呟いた。
「ナターシャじゃないのか……」
更に言い募ろうとするウルスラを、リサンドールが止めた。
「今日はそれぐらいにおし。多少刺激を与えた方がいいと思ったけれど、それ以上は却って症状を悪化させるだけだよ。後は日にちが薬さ。それから、本人の思い込みを否定したのは、今回は正しい判断だったけど、それも時と場合によることだと覚えておくんだよ」
ウルスラは大きく息を吐き、リサンドールに詫びた。
「すみませんでした、リサさま。焦ってしまって。でも、ゾイアの元気そうな様子を見て、少し安堵しました。どうか、よろしくお願いします」
「ああ、任せておくれ。これがあたしの最後の務めだからね」
リサンドールは微笑んで応えると、俯いたままのゾイアの手を引いた。
「さあ、ゾイア、休憩の時間だよ。おまえが昨日摘んだ木苺を使った焼き菓子を作ったのさ。一緒に食べようじゃないか」
ゾイアは名残惜しそうにチラッとウルスラを見たが、「うん」と頷き、リサンドールと共に奥の建物に入って行った。
中庭に呆然と立ち尽くしていたウルスラは、いつの間にか横に立っていたエマに腕を掴まれた。
「うるさいことは言いたくないけど、今のようなことをされると、この施療院の責任者として、あなたを自由に歩かせられないわ。今度からは、先にわたしに相談してね」
凛とした美貌のエマの厳しい顔つきに、ウルスラは目を潤ませて謝った。
「本当にごめんなさい。そっと様子を見るつもりが、ゾイアの姿が目に入った途端、初めて出会った時のことを思い出してしまって」
エマは表情を和らげ、手を離した。
「スカンポ河の河原で援けてくれたそうね」
ウルスラも、零れ落ちた涙を拭い、少し照れたように微笑んで答えた。
「ええ。最初は敵をやっつけてくれたけど、ウルスにも襲いかかろうとしたのでわたしが交替して波動を打ったんです。でも、波動というより、わたしの声か名前かに反応して攻撃を止めてくれたので、もしかしたらという気がして、つい声を掛けてしまったんです。でも、今の様子を見ると違っていたみたい。多分あの時も、わたしを誰か知っている人と勘違いしたんだわ」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれないわね。いずれにしても、後はお義母さまにお任せしましょう。さあ、レナさんのところへ案内するわ」
レナの家族は、広めの続き部屋と、別に子供部屋も与えられており、親子三人で不自由なく暮らしているようであった。
ウルスラと遊びたがるレイチェルを、義父のゲルカッツェが宥め賺して子供部屋に連れて行き、エマも気を利かせて戻って行ったので、スイートの応接間でレナと二人きりになった。
緊張するウルスラの気持ちを解すように、レナは自分の大きなお腹を撫でながら、穏やかな声で話し始めた。
あなたとこういう形で再会するとは、思ってもみなかったわ。
正直に言うと、つい最近まで、野望を捨てていなかったの。
夫は元ガルマニア皇帝、レウス/レイチェルはバロード王の子、そしてわたしは摂政レオンの孫。
もう一度、権力の座につけるんじゃないかと、カールに中原の各勢力を探らせたりもしたわ。
そうそう、カール、近くに居るんでしょう?
やっぱりね。
きっと、わたしがあなたに何か悪さをするんじゃないかと心配して見張っているのよ。
でも、ご心配なく。
ここでの暮らしと、夫とお腹のこの子がわたしを変えたの。
以前、国を追い出された際、聖地シンガリアへ亡命しようとしたら、亡くなったサンサルス猊下から一般人になったら受け入れると言われたことがあるのよ。
その時はとんでもないと反発したけれど、今はそのご配慮が身に沁みるわ。
夫は決して悪い人ではないけれど、皇帝である間は、宰相チャドスの操り人形として圧政を布き、しなくてもよい戦争を繰り返した。
わたしもまた、祖父に命じられるままあなたの父上に近づき、バロードを乗っ取る陰謀に加担した。
ちょっと、昔話になるけど、いいかしら?
ありがとう。
あなたは知らないでしょうけど、わたしたちシトラ族の蛮族の中での地位は、決して高くないの。
勿論、始祖アルゴドラスの末裔としての誇りはあったけれど、中原との貿易を生業としていたから、謂わば間諜の役目で、一段低く見られていたわ。
だから、祖父は久しぶりに出現した蛮族の帝王に取り入ろうと、必死だった。
帝王カーン、つまりカルス王も蛮族支配を盤石にするために、シトラ族を味方にしたかった。
まあ、そうするように魔女ドーラが仕向けたんでしょうけど。
話が逸れるけど、崇拝していた初代蛮族の帝王アルゴドラスと、魔女ドーラが同一人物だと知った時の衝撃は、今でも忘れられないわ。
ああ、ごめんなさい。
話を戻すわね。
結果として、わたしはカルス王の子を産んだけれど、決して愛されてはいなかった。
あの人の心は、非業の死を遂げたウィナ王妃、つまりあなたの母上への愛で占められていて、わたしが入り込むような隙はなかった。
それでもいいと、わたしは思っていたの。
愚かにも、自分たちの野望のことしか考えていなかった。
でも、夫と知り合って全てが変わったわ。
夫は、為政者としては失格だと思うけど、子供の父親としては申し分のない人だった。
わたしは、初めて幸せを実感することができた。
それは、ここでの暮らしも大きな要因だと思う。
わたしたちでも、少しは他人の役に立てるのだから。
あらあら、自分の話ばかりでごめんなさいね。
肝心なことを言わなきゃ。
実は、再従姉妹といってもローラのことは、ホンの子供の頃のことしか知らないのよ。
ハッキリ覚えているのは、シトラ族には珍しく蔭日向のない娘だったってこと。
でも、カールから聞いたと思うけど、ギルマンへ行ってから男性の人格が現れ、そのローランドって弟は陰険らしいから気をつけた方がいいわ。
こんな話でも、少しは役に立ったかしら。
途中から泣き出していたウルスラは、大きく頷いた。
「ありがとう、レナさん。今は、とてもローラさんに会いたいわ」




