1208 風が吹けば(31)
混戦の最中、敵将がかつてのタンファンであると知った魔女ドーラは、自分の馬に幻影を残して空中に舞い上がった。
その顔には、皮肉な笑みが貼りついている。
「何にせよ一言挨拶をしてやらねば気が済まぬ。さてさて、最後にあやつと会うたのはいつであったかのう? あやつを魔の球で強制転送して以来、聖地シンガリアでもすれ違うたし、アーズラム帝国の末期にバスティル監獄で騒ぎを起こした時もわたしは国外におったし、本当に久しぶりじゃな。しかし、記憶を失くしたとの話もあった故、わたしを覚えておらぬかもしれん。まあ、本人に聞くに如くはないかのう」
近くにいた敵味方の何名かは上昇するドーラに気づいたが、目前に迫る危機に気を取られるうちに姿が見えなくなった。
一方のファーンは激闘中で空を見上げる余裕などなく、押し寄せる敵兵を斬って斬って斬りまくっていたが、その合間に剣を握っていない方の手で懐から刀子を抜き出すと、上に向かって投じた。
ところが、刀子は空中の一点でピタリと止まり、逆にファーンに向かって飛んで来た。
ファーンはそれを見ることもなく、ヒョイと頭の位置をズラしただけでやり過ごすと、改めて上を向いて声を掛けた。
「姿を見せよ! そこにおるのはわかっておるぞ!」
その間にも、下から突き上げて来た槍の柄を斬っている。
と、刀子が反転した位置の空気が朧に揺れ、ドーラが笑いながら姿を現した。
「さすがよのう。剣の腕にも一段と磨きがかかったようじゃな。に、しても、随分と陽に焼けたものよ。わたしが知っておった頃は、暗がりに咲く妖艶な花のように美しかったが、今や、男か女かもわからぬ武者振りではないか。変わらぬのは、切れ長の美しい目ぐらいかのう」
その目でキッとドーラを睨むと、ファーンは激しい言葉を吐いた。
「黙れ、魔女め! 過去の記憶の幾らかは消えたが、おまえの仕打ちは忘れぬ! よくも父タンリンを殺し、その同じ手法でわたしをも亡き者にしようと謀ったな! その悪行、赦すまじ!」
ドーラは空中に浮いたまま、お道化たように肩を竦めた。
「それはこちらの科白ぞえ。おぬしのせいで蛮族の纏め役と見込んだレロンは無残に殺され、蛮族全体もわたしから離れてしもうた。おぬしを信じた竜騎兵たちは、裏切られ、散り散りになり、行方知れずじゃ。今更正義の味方面をするなど、片腹痛いわ。悪人なら悪人らしゅうせよ」
ファーンは、密かに背後から近づいて来ていた敵を、剣を真後ろに振って斬り伏せると、「その手に乗るか!」と叫んだ。
「わたしに罵詈雑言を浴びせ、動揺させようとしても無駄なこと。いっそ、一対一の真剣勝負で決着をつけようではないか!」
ドーラは苦笑した。
「おっと、そうはいかぬ。おぬしこそわたしを怒らせて、自分の得意な剣の勝負に持ち込もうとの魂胆が見え透いておるわ。忘れておるのかもしれんが、わたしはともかく、兄アルゴドラスの剣の技なら、おぬしを斃すことなど児戯に等しいぞえ。が、今はそんな暇はないし、おぬしのことじゃから、わたしが兄と交代した途端に、魔道を仕掛けてくるやもしれぬ。まあ、互いに軍を率いておるのじゃから、勝敗はそこで決めるのが妥当であろう。さあて、お遊びはここまでじゃ。容赦なく潰してくれるわ!」
ドーラがファーンとのやり取りを切り上げようとしたのは、あるいは何か予感がしたのかもしれない。
再び敵兵に囲まれて、ドーラに構う余裕がなくなったファーンに攻撃を加えることもせず、静かに上昇しようとした。
その時。
「ドーラさま、大変でございます、ジョレさまが!」
慌てた様子で跳躍して来た東方魔道師を見て、ドーラは舌打ちした。
「またおまえか。大きな声を出すなと申したであろう。敵に丸聞こえではないか。まあ、よい。で、ジョレがどうしたというのじゃ?」
東方魔道師はハッとして、声を低めた。
「申し訳ございませぬ。ご命令どおりジョレさまを唆し、反転させることには成功したのですが、途中で行方不明となり、代わりにゲルヌ殿下がジョレ軍一万を率いてこちらに向かって来ております」
大きな声を出すなと命じたことも忘れ、ドーラは叫んだ。
「それを早く言わぬか! ええい、こんなところで油を売っておる場合ではないぞえ。わたしは戻って軍の指揮を執るから、おまえは東口を攻めている二万にも至急こちらに来るよう伝えよ!」
「ははっ!」
しかし、その東口でも、戦局はドーラ軍に不利になりつつあった。
当初、あまりにもマーサ軍が突出し、分けてもマーサ姫自身が敵中深く入り込み過ぎて孤立したため、あわやというところであったが、ゾイアの変身した狼に救われた。
その後、ツァラト軍が追いついて合流し、マーサとツァラト将軍の両名を中心に二万の軍が有機的に動き出すと、同じ二万でも率いる将を欠くドーラ軍は、防戦一方となったのである。
そこへ北口方面への転進命令が伝わると、それを口実に脱走兵が相次ぎ、総崩れに近い状態となった。
それでも、飼い主を慕う忠犬のように、半数の一万ほどは西北に駆け去った。
追いかけようとするマーサを、ツァラトが止めた。
「殿下から伝令が入った。ジョレに不穏な動きがあったため身柄を拘束し、ジョレ軍一万は殿下が指揮して北口に向かわれたそうだ。今駆けて行った敵軍が着く頃には、もう勝負はついている。それよりも、市内に戻って市民の防衛に当たってくれ、とのことだ」
マーサは、姫らしくない言葉で悔しがった。
「くそっ!」




